何故人々はマスクを外さないのか③行動免疫システム活性化による弊害
先に参考資料をあげておく。
北村・唐沢編「偏見や差別はなぜ起こる?心理的メカニズムの解明と現象の分析」(ちとせプレス)より第11章「リスク・原発」および第1章、第5章
山本・岡(2021)「新型コロナウイルス感染者に対するステレオタイプと行動免役システム活性化の個人差との関連」心理学研究 第92巻 第5号 p360-366
福川ら(2014)「感染脆弱意識(PVD)尺度日本語版の作成」心理学研究 第85巻 p188-195
①行動免疫システムとは
感染症は、我々の生存にとって、長らく脅威であり続けている。ゆえに、その脅威を防御するための罹患回避のシステムが2つ進化した。
その1つが生物学的免疫システムであり、一般的に医療者などが「免疫」と言っているものだ。しかし、もう一つ、これを補完するシステムとして行動免疫システムというものがあるらしい。これは、病原体を持っていること(感染源になりうること)を示す「手がかり」(咳、発疹など)を検出し、それを有する対象に対する情動的反応(嫌悪感など)を誘発し、対象からの回避を促進する、という一連のシステムである。
人類は、繰り返し起こった生存・繁殖する上での重要な問題を解決するように、身体だけでなく心も進化させてきた。行動免疫システムは、重要な問題の一つである「感染症の脅威」を解決するために人類の心が進化させてきたシステム、なのだそうだ。
システムを機能させるために、まず病原体を有している対象を同定する必要がある。我々は表面的な「手がかり」を元に同定を行うが、当然、それだけで正確に同定することは不可能であり、必然的にエラーが生じる。その際、「病原体を有していないに関わらず、感染源とするエラー」の方が、「病原体を有しているにも関わらず、感染源でないとするエラー」よりも起こりやすい、という。つまり同定において、表面的な「手がかり」と「感染源であること」の関連を過剰に一般化してしまう、というバイアスが生じる。さらに、コロナ対策禍においては、PCRや抗原検査の常套化により、「病原体を有すること」と「感染源であること」の関連が過剰に一般化される、という今までにない新たなバイアスが生まれた。
さらに、「表面的な手がかり」を検出する際に重要な要素となるのが「容姿」だという。今までの研究において、肥満者、高齢者、障害者、見知らぬ他者(外国人など)が「手がかり」として挙げられている。個人の行動免疫システムが活性化すると、このような人々を外集団成員(「我々」とは違う「彼等」、要するに自分とは違う人々)、そして自身を内集団成員としてカテゴライズする。そして自分が属する内集団内の慣習や規律に従いにくい外集団成員を、否定的に評価し、排除するようになる。当然ながら、内集団内の習慣や規律に法的根拠があるか否か、などは問題にならない。
つまり行動免疫システムが活性化された状況では、見た目の違いや行動の違いにより、容易に他者をカテゴライズ化し、排除の対象としてしまいやすい、ということだ。なるほど、だから、ユニバーサルマスクを始めとした所謂「新しい生活様式」とやらに粛々と従う人々は、従わない人間に向けて、根拠のない敵意と遠慮のない押し付けを、当然のように行うことができたのだろう。そして、現状においても、内集団成員である自分が「外集団成員の慣習」と考えていたものを肯定することができないのだろう。
②感染脆弱意識とは
行動免疫システムの活性化の程度に影響する因子として、「自分が感染症に対してどの程度脆弱だと考えるか」といった個人差や、「状況的手がかり」(感染症の流行に関する報道の視聴など)がある。そして、「脆弱性」が高い人が「状況的手がかり」を知覚すると、行動免疫システムは活性化しやすい、という。この脆弱性を「感染脆弱意識」という。
感染脆弱意識を測定するにあたり、2つの因子が明らかになっている。1つは「易感染性」であり、将来への感染症への罹りやすさ(いわゆる「風邪」やインフルエンザあたりが想定されているようだ)についての信念である。もう一つは「感染嫌悪」であり、不衛生な物品に触るなどの「病原体が付着しやすい状況」における不快感についての信念である。
易感染性の知覚が合理的な判断に基づく反応であるのに対し、感染嫌悪の知覚は直感的な判断に基づく反応と考えられている。そして、前者は「心気症傾向」と、後者は「構造欲求」との間に、高い相関関係が認められた、という。
「構造欲求」とは、多様な外界の情報を単純化することで認知的負荷を軽減し、快や利益の追及(不快や損失の回避)の効率を高める認知方略とのこと。ゆえに、構造欲求の高い個人は、認知構造が単純であり、ステレオタイプな対人認知を行う、とされている。ここは「他者に対する想像力を働かせることができず、安易な思い込みで納得してしまう傾向」と言い切ってしまおう。
誤解を恐れずに簡略化すると、「易感染性」が強い人は「考えすぎによる不安が強い」、「感染嫌悪」が強い人は「思い込みによる偏見が強い」、ということになりそうだ。なるほど、ユニバーサルマスクを始めとした、いわゆる「新しい生活様式」とやらに粛々と従うのみならず、他者に従うことを要求してくる人々の特徴を表しているかのようだ。
もっとも、脆弱性の高い人々の行動免疫システム活性化の原因となった「状況的手がかり」を作り上げたのは、煽りまくったマスコミや自称感染症専門家である。彼らがこの世に存在しなかったら、そもそもそのシステムは活性化しなかったかもしれない。誠に、彼らの罪は海よりも深い。
③では、行動免疫システムが活性化してしまった人々をどう扱うべきなのか?
①外集団成員に対して偏見の目を向けないように注意喚起する。
これに関しては、この2年半の経験で、全く何の意味もないことはよくわかった。
意味がないだけでなく、注意喚起により偏見を抑制しようとすると、かえって偏見が強まりやすくなる、と言われている。ある集団に関する情報を受け取ったときには、その集団に結び付いた概念も自動的に呼び起され、ステレオタイプは活性化される。ゆえにステレオタイプ的思考を避けようとすることでその思考への注意が高まり、逆にステレオタイプは活性化されてしまい、偏見が強まることが起こり得るらしい。
つまり偏見を抑えようと頑張るほど、偏見が強くなってしまう、ということらしい。
②偏見である理由を説明する
これもこの2年半の経験で、言語的に説明することが多大な労力を要することがよくわかった。「常識」や「歴史」から説明しなければならない上に、説明の際に最も必要なものは「相手の理解力」だからだ。これは極めて不確実なものだ。科学と政治が結びついた時、彼らが権威を盾にして弄する詭弁を、行動免疫システムが活性化された人々は容易く信じてしまう。これは、今回のワクチン接種推進と接種率を見れば一目瞭然だ。むしろ一般に「科学的」とされた言説が、行動免疫システムの活性化に免罪符を与えていたとも言えるのではないか。
一方で、新聞という「権威」を利用することが、言葉を伝えることに非常に有効であったことは、如何にも我が国らしいとはいえ、大きな希望だ。意見広告運動のことである。
最も、もともと篤志かつ実行力が高かった個人同士が、たまたま協力し合えたからこそ実現できたものだと考えると、再現性は低いのかもしれない。
③外集団成員が感染予防を行い、感染リスクが低いと知覚させる。
これが論外であることはいまさら言うまでもないだろう。我々が根拠に乏しい対応に従うのみならず、自身の健康を害してまで、彼等に合わせてやる理由は、全くない。
なんというか、できることは少ないような気がしてくる・・・(涙)
④今後、どうすべきなのか
結局、個人でできることは、行動免疫システムの活性化による弊害に自覚的になるしかないのだろう。
人間として生きる限り、行動免疫システムの活性化は自動的に生じるものであり、それを抑制することはできない。しかし、このシステムの存在を意識することで、活性化を自覚することぐらいはできるかもしれない。
今後、同じような騒動が起こった時に同じような愚行を繰り返さないためにも・・・
