【夜の珈琲エッセイ】群れを離れ、富士山に背を向けた日。誰も見ない「壁の影」に、僕が強烈に惹かれた理由。

「みんなと同じ正解」を追いかけているとき、僕たちは少しだけ、自分の呼吸を忘れています。
強い光に照らされた主役ばかりを称賛し、競い合うように同じ方向を向く縦社会。そんなノイズだらけの世界は、時々ひどく息苦しい。
日曜日の田子の浦みなと公園。
澄み切った青空の下、そこには立派な三脚を立てて「日本の象徴」である富士山を狙う、カメラマンたちの長い列ができていました。
誰もが、最高の一枚を求めてファインダーを覗き込んでいる。
そんな群れの中で、僕はそっと背を向けました。
向かったのは、反対側にあるただのコンクリートの壁。
以前、僕が密かに「ミスリルの胴着」と名付けた、無骨で、ざらついていて、誰も見向きもしないボロボロの構造物です。
縦社会の喧騒から車を10分走らせて逃げ込み、少し冷めた100円のコンビニコーヒーをすする。
誰もいない空間で、その「ミスリルの胴着」の前に立ちました。
強い太陽の光が、コンクリートの深い溝に鋭利な「影」を落としている。
その瞬間、僕の心臓はひどく高鳴り、たまらなくワクワクしたのです。
みんなが富士山という「光」を撮るなら、僕はその光が生み出す「影」を撮りたい。
同じ場所にいながら、立ち位置を180度変え、レンズの向く先を変えただけで、この壮大な景色は「その他大勢のもの」から「僕だけのもの」になりました。
写真家気取りで綺麗な風景を残したいわけじゃありません。
僕が撮りたかったのは、この静かな「空間」と、光があるからこそ形になる「影」の存在証明です。
毎日を泥臭く生きていれば、ミスもするし、理不尽に削られることもある。
でも、その暗い影があるからこそ、日常の小さな光は輪郭を持つのです。
富士山を背景に押しやり、ただの壁の前に立ったとき。
僕は、写真の撮り方だけでなく、この息苦しい世界での「自分の守り方」を見つけた気がしました。
――ここから先は、この「ミスリルの胴着」の向こう側にある、僕の脳内を共有します。
綺麗な写真の撮り方なんて、ここには書いていません。
書いているのは、他人の正解(光)で消耗するのをやめ、退屈な日常や自分の悩み(影)を「唯一無二の資産」に変えるための、ちょっとした視点の裏技です。
誰も見ない壁にワクワクできる。
そんな『Quiet Vocation(静かな天職)』の世界へ、チェックインしてみませんか?
ここから先は
¥ 700
この記事が参加している募集
最後まで読んで頂きありがとうございました🙇 宜しければ応援して頂けると励みになります☘️ 活動費に役立てさせて頂きます🙇
