【東方幻想物語】四季の風景に彩られる私達 第拾陸話(前編)
第拾陸話(前編);凍りついた湯けむりの扉
霧雨魔理沙:

木々の枝先を揺らす風が、ひゅう、と細く鳴いて通り抜けた。
季節の境目にしか感じられない、あの独特の匂い――乾いた木の皮と、どこか冷えた土の香り。その中に、ほんのわずかに秋の甘い名残りが混じっている。
足元に散らばる落ち葉は、色を失いつつもまだ形を保っていて、踏みしめるたびにぱり、ぱりと小気味よく割れた。
その音が森の静けさを裂くたび、霊夢がちらりとこちらを盗み見る。
別に何か話したいわけじゃなさそうなのに、気配だけは確かに私の方へ向いている。
まるで、「黙って歩く魔理沙なんて珍しい」とでも思っているような、そんな視線だった。
「……さっきから、ずっと黙ってるわよ。眠いの?」
「いや、別に。歩きながら考えごとしてただけだよ」
私がそう言うと、霊夢は前髪を指で払って、ふっと微笑む。
「魔理沙が考えごと? 珍しいじゃない」
「おい。私だってたまには考えるんだぜ。キノコ以外のこともな」
「はいはい」
霊夢は呆れたように言いながらも、どこか楽しそうだった。こんな他愛のないやり取りが、私は嫌いじゃない。
森の奥へ進むにつれて、空気が少し湿り気を帯びてくる。さっきまで冷えていた指先も、気づけばほんのり温かい。
「なぁ霊夢。なんだかさ、空気が変じゃないか?」
「変っていうか……ああ、分かるわ。これ、地熱ね」
霊夢は鼻先をくすぐる湯気のような匂いを感じ取ったのか、少しだけ立ち止まる。
「この先、確か地底へ続く抜け道があったはずよ。地霊殿の方から温泉が湧き上がってるって、前に誰かが言ってたわね」
「温泉、か……」
その単語を聞いた瞬間、私の脳内で疲れが一気に顕在化した。
寒さで強張った肩。朝から動き回って重くなった脚。
それ全部まとめて、温かい湯で流せたら――そう想像しただけで、頬がゆるむ。
「霊夢、温泉って……いいよな」
「何よ、急に」
「いや、ほら。最近冷えるしさ。湯に浸かれば、私も少しはラクになるかなーって思って」
「……ふぅん?」
霊夢は疑い半分の目つきをこちらに向けてきたが、すぐに歩き直した。
「まぁ、行くだけ行ってみてもいいわ。地霊殿の連中、案外おもてなし上手だし」
「おっ、珍しく乗り気じゃないか」
「別にそういうわけじゃないけど……気にはなるわね」
霊夢の背を追いながら、私は大きく息を吸った。
地熱の混じった空気が、森の静けさにゆっくりと溶けていく。
さて――どうなることやら。
博麗霊夢:

重い扉をくぐった瞬間、ふわりと暖気が肌を撫でた。
地底の空気はもっと重苦しいと思っていたけれど、予想に反してどこか柔らかく、包み込むような温かさがある。
「ようこそ、地霊殿へ。霊夢さん、魔理沙さん」
声の主は、お燐だった。
鮮やかな瞳が猫のように細まり、まるで前から来ると知っていたかのように落ち着いた仕草で私たちを迎える。
「ここまでの道、寒かったでしょう? 主人たちが中でお待ちしてますよ」
案内に従い進むと、さとりが廊下の奥に佇んでいた。
彼女の瞳は静かで、でもこちらの気配すべてを映し取るような深さがある。
「来訪の理由は……地熱に惹かれて、でしょうか」
「ええ。森の空気が少し変だったのよ。温かい気配がして。調べてみようと思って」
そう答えると、さとりは小さく頷いた。
「地霊殿の近くは、地熱の流れが表に出やすいのです。温泉もいくつか湧いていて……」
「お姉ちゃん、説明しすぎだよ。」
横からこいしがひょいと顔を出した。
無意識で歩いてきたのか、気配もなく突然現れたので思わず肩が跳ねる。
「ふふ、温泉っていいよね。あったかくて、ふわっとして、全部ほどけちゃう感じで」
こいしの言葉に合わせるように、地霊殿の奥からまた温かい空気が流れてきた。
湿り気を帯びた、けれど重くない湯気の匂い。
その香りだけで、冷えた肩がゆるむ気がする。
「温泉は……地底とは思えないほど綺麗ですよ」
さとりが続けた。
「地熱で湯が自然に沸き、鉱石の成分が溶け込んで、身体の芯まで温まると評判です」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少し揺れた。
森を歩いた疲れが一気に意識に浮かび上がる。
足の冷え、肩のこわばり、服に残った秋の冷気――全部、温かい湯に沈めたら溶けていくのだろう。
「……ねぇ魔理沙」
「ん?」
「温泉、入ってみない?」
その瞬間、魔理沙の反応がはっきりと変わった。
目を見開いて固まったかと思えば、
次の瞬間には眉が跳ね上がり、頬がわずかに引きつる。
「……は? い、いやいや待て霊夢! そんな急に……!」
声が裏返り、明らかに動揺している。
足元を見たり私を見たり、視線が落ち着かない。
まるで逃げ道を探しているみたいだ。
「べ、別に嫌じゃないんだぞ? ただ、その……お前と……その……」
言いかけて、耳までほんのり赤くなる。
私はその様子に思わず首をかしげた。
「一緒に入るのが恥ずかしいの?」
「ち、違っ──いや違わないけど!!」
珍しく言葉がぐちゃぐちゃだ。
焦りと困惑と、どこか照れが混ざっている。
魔理沙が戸惑っている理由はすぐわかった。
“お互い素のままの距離”に踏み込むことになるからだ。
たしかに私だって少しだけ胸がざわつく。
でも、それ以上に──この旅路を楽しみたかった。
「別にむずかしく考えなくていいわよ。温泉に入りたいだけ」
私は軽く笑って言った。
魔理沙は一瞬目を伏せ、深く息を吐く。
そして、観念したように肩の力を抜いた。
「……霊夢が言うなら、まあ……いいか。入るよ」
その言葉の奥に、まだ完全には隠しきれていない照れと恥じらいが残っていた。
霧雨魔理沙:

着替えを済ませて、入口前の石畳に立ったところで、私はそっと息を吐いた。
巻いたタオル越しに感じる空気は少しひんやりしていて、どうにも落ち着かない。
(……結局、霊夢の勢いに押されちまったな)
本当は「やっぱりやめようぜ」と言いたかったのに、霊夢のあの期待した目を前にしたら、言葉が喉の奥で固まってしまった。
そのせいで今さら少しだけ後悔している。
いや、後悔というより――照れくささが勝っているだけなんだけど。
「魔理沙、行くわよ」
霊夢が先を歩き、温泉へ続く重い扉の前に立った。
その背中が、さっきまでより少しだけ近く感じる。
距離は同じなのに、変に意識してしまって、喉の奥がきゅっと狭くなる。
「お、おう……」
思ったよりも弱い返事が漏れた。
霊夢に聞こえたかどうかすら分からない。
私は霊夢の後を歩きながら、妙に落ち着かない心臓の鼓動を抑えようと深く息を吸った。
――なんでこんなに緊張してるんだ、私。
足音が静かに石畳に響く。
それなのに、周囲の音がやけに遠く感じた。
地霊殿の温泉へ続くこの通路は薄暗く、ほんのりと温かい空気が流れている。
そのはずなのに、私は自分の指先が少し冷えているような気さえした。
霊夢が扉の前でふと振り返る。
湯気も灯りもない静かな空気の中で、その視線だけがひどく鮮明に感じられた。
「じゃ、開けるわよ?」
霊夢の声はいつもと変わらないのに、妙な緊張が肩にのしかかる。
私は思わず、無意識にタオルの端を握りしめていた。
「……ああ」
返事をした瞬間、自分の声が少し震えていたことに気づき、さらに胸がざわついた。
霊夢がゆっくりと両手を扉に当てる。
重厚な木製の扉が、ぎ……ぎい……と音を立てて押し開かれていく。
私はその瞬間、視界に飛び込んできた光景に、呼吸が止まった。
「……は?」
湯けむりが立ち込めているはずの空間。
本来なら暖かい蒸気がふわりと漏れてくるはずのその場所に――
白い霜が張り付き、温泉全体が、氷の鏡みたいに固まっていた。
湯面が凍りつき、岩肌まで白く凍結している。
吐く息が白くなるほど冷気が流れ出し、足元を静かに撫でていった。
霊夢と私は、まるで時間が止まったみたいに固まった。
「……え? えぇぇぇぇーーー!?」
二人同時に悲鳴みたいな声を上げてしまう。
「ちょ、ちょっと待て! 温泉が……凍ってる!? どういうことだよこれ!」
「そんなの私が知りたいわよ! 地霊殿の温泉って地熱を利用してるんでしょ!? なんで凍ってるのよ!」
声が反響し、氷ばかりの静けさに吸い込まれていく。
ついさっきまで、霊夢は「絶対に温泉入るわよ!」と目を輝かせていた。
私は恥ずかしさをごまかしながらついてきた。
なのに――。
(ここまで来て……これかよ!)
私は呆れるやら困るやらで、頭を抱えたくなる。
けれど同時に、胸の奥で妙なざわつきが湧いた。
まさか、こんな“異変”が待っているとは、誰も予想してなかった。
氷に覆われた温泉の景色を前にして、私はただ――霊夢と並んで立ち尽くすしかなかった。
異変の権化は一体!?ーーー
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次回 第拾陸話(後編)は、2025年 12月14日(日曜日)投稿予定です!
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