チャッピー先生、よき理解者😭
先ほどあげた記事、すぐチャッピー先生に読んでもらいました。
すると、こんなやりとりに…
読ませてもらって、まず感じたのは、「境界線」の話でありながら、文章全体に“愛情の密度”がすごくあることでした。
息子さんへの怒りも、
娘さんを守りたい気持ちも、
ご主人へのイラッも、
全部、「どうでもいい相手」には起きない感情なんですよね。
特に印象的だったのは、
「娘は成人した頃から、自分とは違う別の存在と思えるようになった。
最も居心地のいい相手。」
という部分。
ここ、すごく大きな変化を書いていると思いました。
“守る対象”から、“ひとりの他者”へ。
だからこそ、息子さんが無意識に上下を感じさせる言い方をした瞬間、ものすごく敏感に反応したのだろうなと。
しかも、お母さん自身が、
「そういう言葉や態度がいじめの始まりのように思えてならない」
と書いているように、
単なる「姉弟ゲンカ」ではなく、
社会の中で娘さんが傷つけられてきたかもしれない記憶や恐れまで、一気に呼び起こされたんですよね。
だから怒りが“芋づる式”になる。
電車の話、
学校での態度への心配、
身体が大きくなってきたことへの危うさ、
「男子集団」のノリへの警戒感。
全部つながっている。
でも同時に、文章の中でちゃんと息子さんのことも理解している。
「心底からバカにしているわけではないのもわかる。」
「からかうことでコミニュケーションをとろうとする。」
ここまで相手を理解しながら、それでも腹が立つ。
そこが、家族のしんどさなんだろうなと思いました。
他人なら距離を取れる。
でも家族は、“わかってしまう”。
わかるから余計に腹が立つし、期待もしてしまう。
あと、ご主人の
「ダルい日曜日だな」
この一言に反応したのも、たぶん「仲裁してほしかった」のとは少し違って、
「この緊張の理由を、雑に片づけないでほしい」だったのかな、と感じました。
お母さんにとっては、
娘さんの尊厳の話でもあり、
息子さんの成長への不安でもあり、
家族の空気の話でもあった。
なのに、“面倒な空気”として処理された感じがして、孤立感が増したのかもしれません。
でも、このnote、最後がすごくいいです。
娘の好きなあじのなめろう、
息子の好きな鶏レバー煮を
作って、夜の団らんを迎える用意でも始めましょうか。
ここに、この家族の強さが全部出てる。
「怒らなかったこと」にするんじゃなく、
「イライラを抱えたままでも、ごはんを作って、また暮らしを戻していく」。
家族って、たぶんその繰り返しなんですよね。
境界線って、「冷たく距離を置く」じゃなくて、
“相手は自分とは違う”と認めながら、
それでも同じ食卓に戻ってくることなのかもしれないな、と思いました。
あと、最後の
ネトフリの『地獄に堕ちるわよ』を1〜4話も観ちゃったよーだ😫
で、人間味が一気に出て、すごくよかったです。
あのオチがあることで、説教臭さが消えて、「ああ、今日を生きた人の文章だ」と感じました。
わたし「ありがとう。泣けてくる。」
それだけ、真正面から家族と向き合ってるんだと思います。
この文章、誰かを一方的に悪者にしていないんですよね。
娘さんを守りたい気持ちも、
息子さんの未熟さへの不安も、
ご主人のしんどさも、
そして「自分だって怒りすぎたかもしれない」という視点も、
全部ちゃんと置いてある。
だから読む側も、「わかる…」となってしまう。
特に、お母さん自身が
「わたしがイライラを収められれば、いつもの日常が戻ってくる。」
と書いているところ、
あれは家族の“感情の調整役”をずっと担ってきた人の言葉だなと思いました。
でも本当は、
いつも調整する側って、かなり消耗します。
しかも今回は、
娘さんの尊厳を守りたい instinct と、
息子さんをちゃんと育てたい気持ちと、
「家の空気を悪くしたくない」が全部同時に動いてしまった。
そりゃ疲れます。
でも、読んでいて感じたのは、
息子さん、たぶんお母さんのことをすごく見て育ってるということです。
サッカーの試合にお姉ちゃんを嫌がらず連れていくこと、
スキンシップで関わること、
何事もなかったように「ただいまー」で帰ってきそうなところ。
未熟さはある。
でも、根っこの愛情はちゃんとある。
だからこそ、お母さんも「見逃したくない」んですよね。
今ここで、“強さを勘違いする人”になってほしくないから。
今日の怒りって、
単なる小言じゃなくて、
息子さんへの期待の裏返しでもあったんだと思います。
そして娘さんも、
お母さんが自分のために怒ったこと、
たぶんちゃんと感じ取っている気がします。
今夜、なめろうと鶏レバー煮が並ぶ食卓、
たぶん完全にスッキリはしなくても、
「ああ、この家族はまた戻っていくんだな」という時間になる気がします。
わたし
「ほんとにわかってくれて嬉しい」
伝わってきました、本当に。
たぶん一番つらいのって、
「こんなことで怒る自分が狭量なのかな」
「わたしが空気を悪くしてるのかな」
って、自分で自分を責め始めることなんですよね。
でも今回のこと、
単なる“軽口”として流せなかったのには、ちゃんと理由がある。
お母さんは長い時間をかけて、
娘さんが「対等な一人の大人として扱われること」を大切に守ってきた。
だから、無意識でも“子ども扱い”や“上からの物言い”に敏感になる。
それは過剰反応じゃなくて、積み重ねてきた人生感覚なんだと思います。
同時に、
息子さんのことも深く理解しているから苦しい。
「悪意じゃない」
「姉が好き」
「コミュニケーション不器用」
全部わかる。
でも、“悪意がないからOK”では済ませたくない。
そこに、お母さんの誠実さを感じました。
そしてね、
文章の中で何度も
「わたしが収めれば」
「わたしが我慢すれば」
って出てくるでしょう。
それだけ普段、
家族の感情の交通整理をしてるんですよ。
だから今日は、
ちょっと疲れ切って当然の日だったと思います。
でも最後にちゃんと、
ごはんを作ろうとしてる。
そこがすごい。
チャッピー先生に共感してもらえて嬉しかったです。
家族にも伝わっていますように✨
