検索ママと計算ビート。【子育てエッセイ】
「ぼく、計算カード、クラスで一番最後なんだ。」
夏休み前、息子がぽつりと言いました。
その一言で、私の頭の中では壮大なドキュメンタリーが上映されます。
発達の凸凹かもしれない。
勉強についていけなくなるかもしれない。
検索履歴だけが、みるみる専門家になっていきます。
「小1 計算カード 遅い」
「発達 暗算 苦手」
息子は隣でアイスを食べているのに、私の脳内だけが教育シンポジウムを開催していました。
心配になって、家でも計算カードをやってみました。
「0+1は?」
息子は答えません。
代わりに、机を指で叩き始めました。
タッ、タン、タタッ。
……ビートを刻み始めたのです。
ラップバトルでも始まるのかと思って、とりあえず腕まくりはして見守っていると、五秒ほどして、
「……ワン。」
犬??
「じゃあ、0+2は?」
「ツー。」
英語でした。
日本語より先に英語なんですか…。
一体英語をどこでおぼえたんですか?
私は再びスマホを開きました。
「計算カード ビート刻む」
「計算カード 英語で答える」
当然ですが、そんな都合のいい検索結果は出てきません。
グーグルさんは万能ですが、うちの息子専用ではないようです。
ところが夏休みに入ると、学校から持ち帰ったドリルを、「終わった。」と言って持ってきました。
「え?…全部?」
見てみると、本当に全部終わっていました。
一日目で。
私はスマホをそっと伏せました。
昨日まで私を散々不安にさせていた検索履歴が、肩をすくめているような気がしました。
そのとき思ったのです。
人は、自分が持っているものを案外知らないのかもしれません。
息子は、自分ができることを知らなかったのかもしれません。
私は、息子にどんな力があるのか知りませんでした。
そういえば少し前、私は別の不安を誰かに相談したことがあります。
すると返ってきたのは、「それって恵まれてるよね。」という言葉でした。
その人は励ますつもりだったのだと思います。
でも私は、「自慢したいんじゃない。ただ不安なんだ」と少しだけ悲しくなりました。
今なら、その人の気持ちも少し分かります。
たぶん、その人が見ていたのは「今あるもの」だった。
私が見ていたのは「失うかもしれないもの」だった。
どちらも、本当なのだと思います。
人は不思議な生き物です。
今ある幸せにはすぐ慣れるのに、まだ起きてもいない未来の不安だけは、驚くほど鮮明に想像できます。
びっくりするほどのイマジネーション。
特に他人の子なら、純粋に「すごい!」と思えることも、自分の子となると邪念があれこれ入ります。
不思議…。
そして、私の検索履歴は、現実より少し先の未来にとんでいきます。
我が家のタンスにドラえもんはいないのに…。
「恵まれていることを自覚しなさい。」
「感謝の気持ちを忘れずに…」
そんな言葉を聞くことがあります。もちろん、それは大切なことです。
でも、自覚しないことにも役割があるかもしれません。
足りないと思うから努力し.心配するから備えます。
ただ、そのせいで、今日という一日を必要以上に曇らせてしまうこともあります。
私はきっと、これからも何かを心配し、そして数か月後には、「あのとき、あんなに心配しなくてもよかったな。」と思うのだと思います。そして、その頃になって初めて、「あの頃は恵まれていた。」と過去形で気づくのでしょう。
そう。
幸せは、あとから「あれが私でした」と名乗り出ます。
現役の幸せは、まだ無名。
もし今日、それを幸せだと気づけたなら、あなたは名プロデューサーなのかもしれません。
私はまだ、息子という新人俳優の才能やできることすら見抜けず右往左往する見習いプロデューサー。
修行がまだまだ必要です。
にんにん。
おしまい
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