暮らしのサイリョウ
結婚して義父母と同居していた頃、私は「ちゃんとした家事」に縛られていた。
共有キッチンで気を遣いながら料理をしていたし、義父が買ってきてくれるのは、高級なお肉や海鮮、使い慣れない食材ばかりだった。
「失敗したらどうしよう」
そんなプレッシャーを感じながら台所に立っていた。
遠慮していれば、「働かない」と陰で言われる。
手を出せば、「いいから、いいから」とやんわり断られる。
今の私なら、「どっちやねん!」って言えるかなと思う。
元夫から「おかんに料理を教えてもらえ」と言われたことも、今でも嫌な記憶として残っている。
当時の私は、“ちゃんとした食卓”を作らなければいけないと思っていたのだと思う。
でも、20年以上仕事をしながら母親をしてきて、全部をがんばり続けるのは無理だとわかった。
だから私は、少しずつ手放した。
私は家事の中でも、料理は好きだ。
料理に集中すると不要なことを考えないで済むし、気分転換になる。
作って食べてもらえるのも嬉しい。
「美味しかった」「ありがとう」と言ってもらえること、子どもたちの健康を支えている実感、物価高の中で食費をやりくりしている達成感。料理にはいろいろな“特典”がついてくる。
もちろん、毎日そんなに丁寧ではない。
料理の後の洗い物や片付けは面倒だし、「今日何作ろう」「買い物行かないと」「帰るの遅くなっちゃったな」と思う日もある。
それでも昔より、ずっと気楽に台所に立てるようになった。
冷凍餃子で餃子パーティをしたり、混ぜるだけのパスタソースにおかずを添えて済ませたり、三日続けてカレーの日もある。たこ焼きを100個以上焼いて、それだけで夕ごはんにしたこともある。
餃子はみんなで焼き方を競い合って、最後は「もう食べて」「そっち食べて」と押し付け合いになる。
カレーが続いても、「寝かせた方が美味しいね」と言われる。
余ったたこ焼きは、次の日に白ごはんと並べて“たこ焼き定食”になる。
買い物に行けず食べるものが少ない日は、お弁当用の冷凍唐揚げが朝ごはんになることもある。
冷凍していた食パンでホットサンドを作ったり、残っていたホットケーキミックスで焼いたホットケーキが大好評だったこともある。
私は揚げ物はしない。
油の処理が面倒だからだ。
揚げ物は外食で食べればいい。その方が美味しいに決まっている。
でも、焼き魚や餃子、グラタン、生姜焼きやステーキみたいな“焼き物”は、焼き立てを出したい。
その方が絶対美味しいから。
逆に、ハンバーグや鶏の照り焼きみたいに、次の日でもそれなりに美味しく食べられるものもある。
子どもが大きくなると、それぞれ生活サイクルも違う。
揃って食べることの方が珍しくなった。
中高生になれば、部活や塾、習い事で帰宅時間も違う。
少し食べて帰ってきてもいいし、遅い時間に食べてもいい。
先に食べてから塾へ行く日もある。
友だちと食べて帰る日もある。
家にいても、「今は勉強してるからあとで食べる」「ゲームしてるからあとにする」でも構わない。
無理に中断しなくていい。
私のペースに巻き込みたくないと思っている。
大学生になった今は、朝の時間もバラバラだ。
寝坊して食べない朝もあるし、早い時間にさっと食べて出ていく日もある。
それでも、冷蔵庫を開けて何か食べたり、作り置きを温めたり、それぞれ自分で調整している。
毎日同じ時間に、家族揃って食卓を囲む生活ではない。
でも、それぞれのペースで暮らしながら、ちゃんと生活は回っている。
だから今は、作り置きのおかずを置いておいて、それぞれ好きに組み合わせて食べている。
きんぴらごぼう、蓮根のきんぴら、切り干し大根、高野豆腐、ひじきの煮物。
ナムル、おひたし、ポテトサラダ、かぼちゃサラダ、鶏サラダ、さつま芋のサラダ。
筑前煮、おでん、肉じゃが、ポトフ。
具沢山スープに、カレー、ハヤシライス、ドライカレー。
そんな作り置きのおかずが、冷蔵庫の中で循環している。
特別な日は揃って食べる約束をしたり、たまたまみんな揃った日は、それなりに家族団欒を楽しむ。
私はキッチンドリンカーなので、作りながらお腹いっぱいになっていることも多い。
味が少し乱れる日もある。
それでもあまりクレームはない。
それなりに“母の味”になっているのかもしれない。
何でも好き嫌いなく食べてくれるのは、ありがたいなと思う。
冷凍食品にも頼る。
掃除は後回し。
無理な日はSOSを出す。
「食器洗いお願い」
「洗濯物畳んでおいてほしい」
家族LINEに送ると、「適当だけどやっといた」と返事が来る。
私は「お手伝い」という言葉があまり好きではない。
家事は、誰か一人が抱えるものではなく、一緒に生活を整えることだと思っている。
何をがんばって、何を手放すか。
家事にも、暮らしにも、ある程度の裁量が必要なのだと思う。
これが最良かはわからない。
栄養バランスが完璧なわけでもないし、毎日家族揃って食卓を囲むわけでもない。
でも、無理をしすぎず、それぞれのペースを尊重しながら生活を回していく。
これが今の我が家なりの“サイリョウ”なのだと思う。
母の日や誕生日にもらう手紙には、「いつもごはんありがとう」と書いてあることが多い。
反抗期で普段はそっけない時期でも、「ごちそうさま」「美味しかった」「ありがとう」はちゃんと言っていた。
何気ない日常が、たくさんの思い出になっている。
やっぱり、ごはんは偉大だと思う。
