ニディガ13話の完走&感想 「本当の幸い」を目指した3か月だった


美しい終わり

 ついに終わりました。終わってしまいました。目に涙が浮かんでいます。じんわりとした身震いが止まりません。この作品に、この年齢で、我が友人タッスー氏とともに出会えたことに、心から感謝しています。本当にありがとうございました。

IFルートの示唆

 1話冒頭のリフレインです。1話では超てんちゃんに導かれ、ライブへ向かった小男ですが、しかしここで救済してくれる天使は現れません。

 それどころか、近くのゴミ捨て場に打ち捨てられるようにして死んでいる超てんちゃん。つまり、超てんちゃんが存在しなかった世界を描くという宣言です。

 ここはマルチエンディングであるゲーム版を意識した演出? と思ったのですが、それだけではないことも後々わかってきます。

 悲痛な声で喧嘩をするかちぇとかちぇの彼氏。超てんちゃんがいない世界だからこそ、この世界にパープルが生まれず、したがってカラマーゾフは生まれず、それに救われるかちぇも存在しません。
 そのため、彼女は世間と自身への漠然とした不満を胸に、彼氏との同棲を続けています。当然両者の関係は1話時点で止まっているため、そこから時を進めたとて良い方向に行くはずがありません。しかも、最後の彼氏の発言からは、強い共依存を読み取れます。発言に対するかちぇの応答は描写されませんが、彼らが同棲を続ける限り、彼氏は大成せず、かちぇは自分の切り売りを止めないでしょう。
 悲しい。けど私は病んだ絶叫大好きなので興奮します。

 続いては物騒な仮面の男。カラマーゾフのスタジオを背景に、荒らされた部屋と恫喝。壁には「SINNER」「EXECUSION」の文字がスプレーで書かれており、「天使様に逆らうとどうなるか教えてやるよ」との発言。 
 どのようにとればいいのか難しいですね。パープルこそいませんが、超てんちゃんがいなくても、美血華と禰󠄀智禍の行動はしばらく変わりません。美血華、禰󠄀智禍、そして正史ではパープルだったポジションの人物Aの三人で、カラマーゾフそれ自体は結成されるのかもしれません。
 しかし、それは挫折します。
 パープルに並ぶ「真」の体現者はそう簡単に見つかるものではありません。本当の意味で、あの三人だからこそ三位一体でトップ配信者になれたのでしょう。
 このシーンは超てんちゃんの信者によって住所を特定され、攻撃されているのだと考えられます。それを抑えられるほどの人気を持てなかったのでしょうね。先の小男とかちぇとは別の世界線なのでしょうか?
 悔しい。けど私はBADENDも大好きなので興奮します。

 続いてはパープルのIF。かわいらしいプロポーションや声色は見る影もなく激太り。お菓子を貪りながらネットに浸る典型的なオタクになってしまっています。これは超てんちゃんの配信に出会えず、家を出ることができなかったパープルの末路でしょう。
 苦しい。けど私は闇堕ち大好きなので興奮します。

 美血華のIF。当然自殺です。これは6話時点ですでに語られていましたし、驚きはしませんでした。正史ではかちぇやカラマーゾフを始めとした友人たちがストッパーになっていましたが、もともと彼女の理想は「美に殉ずること」ですから。
 辛い。けど美血華は美しいので興奮します。

 禰󠄀智禍さまのIF。父親が自殺します。3520円の指輪はもう誰かに買われてしまったようです。正直禰󠄀智禍の描写は中途半端に少ないため確実なことは言えませんが、私は、この指輪は彼女の善性だと考えています。正史では父親にこれを買い与えられることで、憧れや欲求が満たされる、という成功体験をしました。だからこそ、彼女は超てんちゃんと同じ危うさを持ちながらも、現実を見据え、引き受けうる強さを得られたんじゃないかなと。余談ですが、禰󠄀智禍の描写が少なく曖昧であることは、この作品の明確な瑕疵だと思っています。めっちゃ大好きなんですけどねこの作品。
 善性の象徴たる指輪がなくなり、保護者もいなくなった彼女と弟たちはどうなっていくのでしょうか。
 これを考えていたとき、友人であるタッスー氏との議論を通じ、氏のひらめきを起点として、次の結論に至りました。

カラマーゾフのソロ曲、IFルートの末路説

 これです。
 私は彼らの曲を聴いたとき、特に禰󠄀智禍の「共依存モルヒネ」を聴いたとき、強い違和感がありました。これは「恋人と思しき存在Aと自分が、お互いの愛を疑いながらも離れることができない」という歌詞です。(詩の解釈が非常に不得手なので誤っているかもしれませんが)。これは、ここまで描写されてきた禰󠄀智禍像からあまりにも逸脱しています。
 同様にパープルの「罪と罰」は、「パパ」「ママ」といったほとんど描写されていない存在について繰り返し述べられており、また、「クスリ」「睡眠薬」のような、およそ彼女からほど遠い品物も登場します。
 美血華は正直あまり違和感はありませんでした。というのも、彼女は「Blue Monday」まで自傷とODを繰り返していたわけですし。

 当時の私は、「個人というよりも『カラマーゾフ』、『配信者』としての彼らを表した曲なのかな」と素朴に考えていましたが、今回の描写で考えを改めました。
 ソロ曲は、彼ら自身のIFルートの曲です。

パープル・ロリポップ(川口莉奈) 罪と罰 歌詞 - 歌ネット
 これは、両親が与えてくれたものを通じて、自らの希死念慮を歌う曲です。先のIFパープルに通じますね。5話のスパチャや13話中盤の描写を考えると、どうやら両親はパープルに対して非常に甘いようです。
 だから、我が子が学校に行かなくなっても暖かくそれを迎える。
 だから、「お前のタイミングでいいんだよ」という優しい言葉だってかけてしまえる。
 結果、パープルは部屋から出てくることはなくなり、しかしすべてをネットに費やせるほどの愚かさもなく、漠然とした不安が肥え太っていきます。
 「屋上と睡眠薬ならどっち?」「ほら飛べるよ」という歌詞から察せられるように、彼女は飛び降りて死んでしまうのでしょう。

獄薔薇美血華(椎名桜月) 薔薇の咲く手首 歌詞 - 歌ネット
 「痩せた身体」「鈍い痛みに逃げた」という歌詞からも、美を志向しながら、いつか訪れる老いや終わりに対して恐怖する歌です。彼女に必要だったのはパープルと接触して成長したかちぇとの激突だったので、超てんちゃんがいなくても思想はそんなに変わっていませんね。ただし、「深く眠れ 永遠に眠れ 棺の中で眠れ」という歌詞の通り、彼女はおそらく自殺してしまいます。

禰智禍さま(星希成奏) 共依存モルヒネ 歌詞 - 歌ネット
 先に述べたように、恋人と思しき存在Aと自分が、お互いの愛を疑いながらも離れることができない、という歌です。愛をささやいている候補としては①美血華、②雑に見繕った彼氏兼パトロンあたりですかね。もっとも精神性(not メンヘラ性)があめちゃんに近いながらも、善き人として自己を確立していた禰󠄀智禍が他者を過剰に求めざるをえないのは、酷い屈辱のように思えます。彼女はおそらく、本編でのあめちゃんのようになるでしょう。

 このあたりを際立たせるために、あえてこのタイミングで美血華のソロ曲パートが入ったのではないでしょうか。 

ネットから離れる5人

 ほどなくカラマーゾフは禰󠄀智禍の失踪という形で解散を迫られます。
 パープルは実業家、美血華はモデルとして大成。
 禰󠄀智禍は失踪し、あめちゃんと友人に。かちぇはラーメン屋の兄ちゃんと結婚します。
 特筆すべきはかちぇの結婚と禰󠄀智禍の失踪ですね。順に行きます。

かちぇの「幸い」

 かちぇはやはりというべきか、ラーメン屋の兄ちゃんと結婚します。
 12話で、ラーメン屋の兄ちゃんは超てんちゃんとカラマーゾフという目もくらむような美女が並び立っている中で、あえてかちぇを口説いていました。兄ちゃんは配信を見ない珍しい種類の若者です。そのニュートラルな彼が最も「普通」であるかちぇを選び、そして結ばれるというのは、非常に妥当な結論に思えます。婚姻の価値が大きく低減している現代においてそれでも結婚をするという選択は、損得を超えた究極の他者承認となりえるからです。
 ただ、にゃるら氏のnoteにて述べられていた、「母親」性、「聖母」性については懐疑的です。彼女は女性や母親としてではなく、「普通の人間」が行える最大限の善行を積み重ねた結果が13話であるはずです。確かにそのようになる可能性は残されていますが、ここまでの積み重ねの結論として「母親」「聖母」を持ち出すのは少し見当違いかなと。

禰󠄀智禍の善性

 禰󠄀智禍はなんと引退したあめちゃんのもとへと向かいます。「ハッピーエンドの先は退屈なんだよ」とは禰󠄀智禍の言。
 彼女は現実に根差しているという点で、他二人の追随を許しません。そして、感性もあめちゃんに最も近いです。徹底的に世界を、自分自身をメタ的に捉え、一種自己から遊離した考え方は非常に似通っています。

 禰󠄀智禍が超てんちゃんのところへ向かったのも、似通っている故の親近感が発端になっているのだ思います。事実、禰󠄀智禍のあめちゃんに対する推論はほぼ的中しています。
 ここに現れる奇妙な相互理解。これこそが彼女たちを繋ぎ止めるのでしょう。
 禰󠄀智禍の与える食物を口にするあめちゃんは、彼女が人間関係をやめるのをやめたことを非常によく表しています。

 この時点であめちゃんは「本当に幸い」を見つけてはいません。しかし彼女は「本当の幸い」を見つけに行こうと意欲できています。私はここに涙しました。

 次の名前を告げるシーンも印象的でした。
 名前とは呪術的意味を持ちます。平時は通り名を用いて名を隠し、婚約などの重要場面でのみ名前を明かすということは古来より行われてきました。名を明かしたこのシーンは、告白であり、信頼の表れであり、両親にすら名前を呼ばれなかった彼女の生誕でもあります。本当に美しい。

なぜ超てんちゃんは引退したのか

 この後、EZ DO DANCE、かちぇのプロポーズと続き、物語は幕を閉じます。
 しかし、12話のCパートで印象的に述べられた、超てんちゃんの引退についてはEZ DO DANCEでわずかに述べられるだけです。なぜこのような決意が述べられたのでしょうか?
 これを読み解く鍵はEZ DO DANCE前後の描写にあります。

原因①:あめちゃんが自己を肯定できるようになったから

 あのゲームセンターで、観客に見守られながら格ゲーをプレイする超てんちゃんとパープル。パープルがまだ幼いため、これは2人ともまだ現役の配信者でしょう。

 そう考えると、このシーンはただあの時の約束を果たすためのゲームプレイではありません。あめちゃんも超てんちゃんの姿でプレイしているということは、これは配信を意味しているのではないでしょうか。要はコラボ配信、ゲーム配信です。まわりにいる観客は視聴者を表しているように思えます。

 約束通り、パープルとダンスゲームをプレイする、超てんちゃん。するといつのまにか周りの観客はいなくなり、代わりに過去あめちゃんと関わってきた人々が一斉に登場し、2人を笑顔で応援し始めます。

 ここは本当に震えました。

 このシーンはいわば究極の自己肯定です。ニーチェ的に言えば「超人」です。
 あめちゃんの人生はあまりにも過酷でした。出会う人間すべてが信用できず、危うい。
 しかし、なんとかして自分を救わなければ「あめちゃん」は崩壊してしまいます。そこで彼女は自己肯定を外部に委託したのです。彼女は自らを肯定できないがゆえに、神となった。彼女は自己を守るため、イマジナリーフレンドや「ピ」、「超てんちゃん」という殻、ODなど、さまざまな「人間関係をやめろ」を用います。しかし、そこで手に入れた神格は当の本人だけは決して救えない絶望的なものでした。
 結局、いかに自己肯定を外注したところで、それは欺瞞でしかありません。彼女に襲いかかっているのは彼女を抑圧した過去であり現在です。いくら花弁に手入れをしても、根っこが腐っていたら花は枯れるのです。

 しかし、彼女はライブでカラマーゾフに敗北し、繭から引き摺り出され、「人間関係をやめろ」を中断させられます。そこで知った人間関係の喜び。彼女はそれに拒否反応を示して窓から飛び去ってしまいました。
 当然です。あめちゃんが「人間関係最高」を叫ぶということは、今まで苦しんできたあめちゃんは、己が掲げてきた「人間関係をやめろ」は誤りであったと認めることになるからです。それは自己の否定です。なにも報われない。

 しかし、彼女に必要なのは人間関係の喜びです。銀河の中、パープルと2人で宮沢賢治を歌った時のように、ただそこにいるだけでいいという第一の自己肯定だけが、あめちゃんを救いうる。

 そんな最中のパープルとのコラボ配信。
 パープルは言いました。今度会ったらまたゲームをしようと。その約束が果たされたのです。
 約束を守るというのは相手への尊重です。「あなたを同格の存在として認めていますよ」という根源的な肯定に繋がります。時を経るぶんその力は非常に重い。
 これを契機に、あめちゃんは「ここにいて良い」という第一の肯定を得ることができたのです。6話から12話までの積み重ねを契機に、薄々感じていた人間関係の喜びが実った瞬間です。

 すると次の瞬間、あめちゃんの過去が変貌します。

 今までの過去は、「無価値な自分を作り上げてきた、際限なく自分を苦しめるもの」でした。
 しかしこの瞬間、あめちゃんの壮絶な過去は「パープルとゲームをするまでの過程」へと転じます。今までの苦しみは無駄ではなかった、それをひっくるめたすべてが今の私を形作っている。
 このような過去への意味付けが変貌したということ、それをこのシーンは表しているのではないでしょうか。

原因②:「超てんちゃん」の目的が達成されたから

 EZ DO DANCEののち、超てんちゃんとメガネパープル(=配信者の仮面をかぶっていない、素のパープル)が出会った場所で話しています。なんでも超てんちゃんはどこかへ消えてしまうとのこと。

 超てんちゃんは言います。「新しい世界が見たくなった」「ここが完成したから未練はない」。

 前者は原因①で述べた、自己肯定が原因でしょう。彼女は一歩歩き出そうとしている。
 他方で、後者はどのように解釈すればいいでしょうか。

 ここで重要な意味を持つのは、「INTERNET YAMERO」の歌詞、「インターネットエンジェルという現象」です。
 類似の言葉は12話でも出てきました。「私は、時代を巻き込んだ巨大な現象になる」という言葉です。彼女はインターネットエンジェルではありますが、インターネットエンジェルになろうとはしていないのです。

 ここまでの言葉だけを回収すると、超てんちゃん引退までのロジックは次のような道筋を辿っていることが分かります。

①「私はインターネットエンジェルという現象になりたい(12話Bパートまで)」
②「私はインターネットエンジェルという現象として完成した(13話Bパート)」
③「だから引退する(12話Cパート)」

 これはどういうことか。結論を言います。

 超てんちゃんは、インターネットを通じて人を救済する、というムーブメントを作り上げた。だから、次は自分の幸いを追求しようとして、引退した。

 ここまで散々、「あめちゃんの目的は自己救済である」と述べてきました。しかしながら、自己救済ならもっと簡便で、実行しやすい手段はいくらでもあります。わざわざ「世界一のトップ配信者になり、世界中の関心を独占したい」というとんでもなく難しい目標を立てる必要はありません。

 先の禰󠄀智禍との邂逅パートにて、あめちゃんはネッ友の自殺について言及していました。だから私が救わねばならないと。

 やはり彼女は根本が優しいのです。自分だけがよければいいとは微塵も考えていない。とても素朴に、みんな幸せになればいいなと願っている。
 だから、彼女は人々を救いうるような流行を作った。超てんちゃんがパープルを救い、パープルが超てんちゃんを救ったというこの奇跡を、ずっと起こし続けるために。

 配信を観て、少しでも安らいで、救われてほしいという祈り。これこそが、「インターネットエンジェルという現象」なのです。

 先の超てんちゃんとパープルの問答に戻ります。
 パープルはこう言っていました。「あなたもどこかへ消えてしまうのか」と。
 「あなた”も”」ということは、既に禰󠄀智禍は蒸発し、カラマーゾフが事実上の解散を迫られたあとだということが推測できます。しかしながら、あめちゃんは完成したという。
 これはおそらく、超てんちゃん、カラマーゾフに続く、第三の配信者が現れたのではないでしょうか。次の「インターネットエンジェルの担い手」が現れたのです。だから、超てんちゃんは自らが現象になったと確信し、引退を決意したのだと考えられます。

最後の超てんちゃんは、超てんちゃんではない

 シーンは変わり、部屋の中でうずくまる中年オタクへ視点が移ります。ブラウン管テレビ越しの超てんちゃんを見ながら、彼は泣き出してしまいます。するとチャイムが。のぞき穴を見ると、そこには超てんちゃんがいます。彼女はチェーンソーを用いてオタクの部屋に侵入し、彼を生みへと連れていく。最後はこんなエンドでした。

 これは実際にあった出来事として捉えるのは不適でしょう。理由は三つ。オタクの部屋が現実離れした古臭さを醸しているから。もうひとつは、部屋から連れ出されたオタクが若返っているから。最後に、部屋が吹き飛ぶことはないからです。

 私はこの描写を次のように捉えます。

 これは超てんちゃんが作り上げた「現象」の行く先である。このようにして人々はほんの少し、インターネットで安らげる。そしていつか、「本当の幸い」を見つけるために立ち上がるのだ。

 ここで現れた超てんちゃんは、あめちゃんが中の人をする、本当の超てんちゃんではありません。既に超てんちゃんは引退していますから。
 同様に、ここで現れたオタクは実際の中年オタクではないでしょう。令和の中年オタクがパソコンもスマホも持っていないとは考えられません。

 しかし、ここでオタクがブラウン管テレビの超てんちゃんを観ているとき、超てんちゃんが部屋に押し入ってくる、という部分は重要であると考えます。
 おそらく、オタクはあめちゃんが中の人をする超てんちゃんのファンだった。しかし、彼女は引退してしまった。それが耐え難く悲しい。これを表しているのが、ブラウン管に映る超てんちゃんなのではないでしょうか。
 生活感もなく、リアルもうまくいっていなそうなオタク。超てんちゃんは彼を、パープルのようには救済できなかった。一時の安らぎにはなったが、しかしそれは世界を変えるほどではなかった。
 しかしそこに転機が訪れる。現在進行形で現象を担っている、「二代目」超てんちゃんの来訪です。
 彼女は超てんちゃんを自称しません。あくまでインターネットエンジェルを自称します。そして、「インターネット最高」を歌い上げた初代超てんちゃんとは異なり、海を目指すことを推奨します。この時点で彼女が別人であることはほぼ確定でしょう。
 しかし、彼は彼女に超てんちゃんの面影を見ます。そして彼女は、彼にとって初代超てんちゃん以上に鮮烈で、言ってしまえば部屋が吹き飛んでしまうほどの邂逅だった。「インターネットエンジェルという現象」が、実際に人を救った瞬間です。

 こうして彼は、ネットで安らぎ、自らを慈しんだのちに、「本当の幸い」を目指して発車する。かちぇが、パープルが、美血華が、禰󠄀智禍が、そしてあめちゃんがそうだったように。

「幸せになろうとすることだけ忘れないでね」

 作品のテーマはこれだったのでしょうね。

 本作に登場する人物は、誰もが屈折しています。素朴な善性を持ちながらもSNSによって歪められたかちぇ、夢から逃げるかちぇの彼氏、現実を拒否していた幼きパープル、現実と理想を区別しきれず薬を頼みとする美血華、スラムに生まれ父を遮断する禰󠄀智禍、自分を認められないあめちゃん、現実に直面し摩耗するオタクたち……。

 それでも、彼らは幸せを目指しています。ちょっとでも私が、できれば周りの人も、幸せになればいいな。そんなことを考え、人々は邁進する。

 この想いの連鎖が、彼らを救いました。

 そこにはあめちゃんが言うように、偶然もあります。ですが、その偶然はやっぱり、彼らの想いによって引き寄せられていた、そんな気がするのです。

「感想の」総括

 最高やったぞ! 世間の評価は芳しくないかもしれないが、私はこの作品を愛している! マジでマジで勇気をもらえましたし、久しぶりに考察の楽しみというのを一身に感じることもできました。本当に出会えてよかった!

 他方で、この作品が本当に令和のインターネットを背負いきれたのか、それは私の感想とは別にもう一度批判検討しなければならない部分だと思います。また、ある意味では現状肯定的であるこの結末が果たして妥当だったのか、それも考える必要があるでしょう。作劇として面白くできていたことと、社会派であるこの作品に意義があったかどうかはまた別の話ですのでね。

 しかしこれは感想記事。細かい検討はいったん脇に置き、今はこの心地いい感動に身を任せていたいと思います。


あなたの隣人をあなた自身のように・・・・・・・・・愛せよ

ルカの福音書10:25-28



†昇天†


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