できていないことばかり見てた──ノアちゃんの物語が生まれた理由
『フルセイマブーリビ 第二章』の物語は、
私自身の「親としての振り返り」や「関わり方への気づき」から生まれました。
ノアちゃんのような子、
きっとたくさんいると思うんです。
がんばっているのに、
大人からは「できていないところ」ばかり指摘される。
でも、親は
もっと上手にできるように。
困らないように。
失敗しないように──
それは親の“愛”であり、“願い”のかたちだけれど、
ときにそれが、子どもをしぼませてしまうこともあるんですよね。
「あそこ、間違ってたよ」
「もうちょっとこうすればいいのに」
そう言うことで、できるようになるって思ってた。
でも、子どもにとっては──
がんばってる途中の姿を、ちゃんと“見てほしい”んです。
なのに、できていないことばかりを指摘されると、
「怒られないようにする」ことが、一番大事になってしまう。
「見られるのがこわい」
「失敗したらまた言われる」
そんな気持ちが積み重なると、
本当はやってみたいことにも、ブレーキをかけるようになります。
ノアちゃんは、見られることがこわくなっていきました。
「どうせまた、できてないって言うんでしょ?」
大人の愛からの、、ひとことは、
ノアちゃんの中の光にフタをしてしまうような、そんな言葉でした。
でも、ノアちゃんには「みゆちゃん」がいました。
一緒に踊って、一緒に笑って、
いつもそばで見てくれていた存在。
「ノアちゃん、光ってたよ」
みゆちゃんは、ノアちゃんが自分でも気づけていなかった
「光」を見つけてくれたんです。
その言葉で、ノアちゃんの中の光がポンっと点いた。
「大丈夫かもしれない」「やってみよう」って思えた。
ちゃんとできたことよりも、
がんばってる姿を見てくれる人がいること。
それが、子どもの自信になるんです。
実際に、「ここができてたね」と声をかけると、
子どもは「ここも気になるから、もうちょっとやってみる!」って言ったりします(笑)
指摘されるより、見てもらえることのほうが、
自分から動こうって思えるんですよね。
そして、それって──
子どもだけじゃない。大人だって、同じ。
私は相談室で、湊くんのような人たちにも出会ってきました。
湊くんも、ノアちゃんも、
「見てくれていた人」がいたから、自分の光を信じられた。
人は、寄り添われた記憶の中から、
やがて「自分で歩いてみよう」という芽を育てていく。
がんばれって言われるより、
「見てたよ」と言ってもらえたほうが、人は強くなれる。
子どもも、大人も。
誰かのまなざしに背中を押されて、
ふと、自分の足で歩き出す日がある。
そんな想いを込めて、
ノアちゃんとママの物語を作りました。
フルセイマブーリビ。
この不思議な言葉が灯るとき、
人は自分の光を信じられるようになるのかもしれません。
【作品リンク】
▶ フルセイマブーリビ 第二章
「100点は、はじめからここにあった。」
→https://youtu.be/XGJtCdR6U_I?si=shfV_CUHq3ko7K45
