【ホラー小説】eaters 第8話
◆あらすじと各話は、こちらから
放課後、学校の前で小百合の車が待っていた。
「瀬奈、学校はどうだった?」
「うん、なんともなかったよ」
「よかった」
安心した小百合は、車を走らせた。
「今日ね、初めてクラスの人から声を掛けられたの。それも二人だよ!」
「瀬奈は可愛いんだから、素顔を見たら誰だって話したがるでしょ」
興奮気味に話す瀬奈に、小百合まで嬉しくなってくる。
親バカと言われようが、瀬奈の可愛らしさは目に入れても痛くないほどだった。
「その子達とは友達になれそうなの?」
「まだ分かんないけど、斉藤さんが一緒にお昼を食べようって言ってくれた」
学校であったことを一つずつ報告する瀬奈。
その顔には、今までにない笑みが浮かんでいる。
よほど楽しかったのだろう。
あの新薬を受けてよかった。
小百合は心から、そう思えた。
「お母さん、私……体育の授業に出てもいい?」
家に着いてから、瀬奈が言った。
「まだ早いんじゃない?」
「大丈夫だよ、ほら見て!」
瀬奈は、その場で元気そうに飛び跳ねている。
身体を動かしたくて、たまらない様子だ。
「分かったから、もうやめて。足首を痛めちゃうでしょ」
少しでも無理だと思ったら休む。
それを条件に、小百合は体育の授業に出るのを許した。
「あのね、プールで着る水着も欲しいんだけど」
「……プール?」
小百合は表情を曇らせた。
運動で身体を動かすだけならまだしも、水泳となれば話は別だ。
「ね、お願い! 体育で、なんともなかったらいいでしょ?」
上目遣いで両手を合わせる瀬奈に、小百合の口からため息がもれた。
「絶対に無理だけはしないで。もし、プールの中で……」
「ありがとう!」
まだ話の途中だというのに、大喜びする瀬奈を見ていると、小百合は何も言えなかった。
「お母さん、お腹空いた」
◆
瀬奈が学校に復帰してから、三日が過ぎた。
一昨日、夏風邪で休んだ生徒がいたと聞いた時は肝を冷やしたが、瀬奈には移らなかったようだ。
瀬奈が学校に行っている間、小百合は一人でショッピングモールにやって来た。
香水売り場で、何種類ものサンプルの匂いを嗅いでいく。
その中から気に入ったものを手にし、レジへ向かった。
香水を買ったのは、結婚する前以来だった。
瀬奈の病気が分かってから、持っていた香水はすべて処分していた。
もう二度とつけることもないだろうと……。
店を出て小さな紙袋を見下ろすと、鮫島の言葉を思い出した。
『瀬奈ちゃんは血の匂いに敏感になるので、沼澤さんが生理になった時は、香水をつけておいたほうがいいです』
瀬奈の気を逸らすためだろう。
新薬を打った時、小百合は生理が終わったあとだった。
次の生理まで、約二週間ある。
モール内をブラブラと歩いていると、化粧品売り場が目に入ってきた。
これからは化粧もできる。
髪だって伸ばせる。
自分と同じように、ずっとショートボブにしていた瀬奈も……。
小百合は化粧品売り場に入っていった。
◆
その頃、瀬奈は初めてのジャージ姿で、体育の授業に出ていた。
今日はバレーボールだ。
これまでの見学で、ルールなどは分かっていたつもりだったが、見るのと実際にやるのとでは、まったく違った。
思うようにボールを扱えない瀬奈に、同じチームの真由子が教えてやった。
サーブの打ち方、レシーブを受ける時の手の形、トスのやり方を教わるうちに、瀬奈はすべてを吸収していった。
瀬奈のアタックしたボールが、敵コートの床を叩く。
「沼澤さんって、運動神経いいほうなんだね」
「斉藤さんが教えてくれたから」
短時間で成長した瀬奈に、真由子は感心していた。
放課後。
学校を出た瀬奈は、一人で家に向かって歩いていた。
今日からは、小百合の送り迎えがない。
町外れにある家まで歩いて30分ほどかかるが、今朝の登校も不思議と疲れは感じなかった。
「沼澤さん」
背後から声がした。
振り返ると、真由子だった。
「同じ方角だよね? 途中まで一緒に帰ろう」
「……うん!」
瀬奈にとって、クラスの誰かと一緒に下校するのは初めてだった。
何を話していいのか分からず、緊張してしまう。
チラリと隣に目をやると、真由子は遠い目をしながら口を開いた。
「本当はね、沼澤さんのこと……ずっと気にしてたんだ」
「……え?」
「病気なのは知ってたけど、一度も話したことがなかったから、どんな人なのかなって」
免疫系の病気だった瀬奈に、真由子は声を掛けられずにいた。
瀬奈には他人を寄せ付けない雰囲気もあったが、それ以上にヘタに声を掛けて病状が悪化したら……と、真由子なりに気を遣っていたようだ。
「私、みんなから嫌われてるのかと思ってた」
「陰で変なことを言う人もいたけど、ほかは私と同じだったと思うよ」
一部の生徒から疎まれていても、真由子の言葉が胸の奥でつかえていたものを消し去っていく。
実際、真由子が声を掛けてきたおかげで、真由子と仲のいい友達とも話ができるようになっていた。
「私、斉藤さんが話し掛けてくれた時、すごく嬉しかった」
「私も沼澤さんと話せてよかった」
学校を出て十分ほど歩いていると、「私の家、ここなんだ」と真由子が足を止めた。
道路沿いにある二階建ての一軒家だ。
「今度、遊びに来てよ。じゃ、また明日ね。バイバイ」
「……バイバイ」
手を振っていく真由子に、瀬奈も小さく手を振る。
玄関に入ってドアを閉める時も、真由子は笑顔で手を振ってくれた。
今までのように、殻にこもっていただけでは分からなかった。
話してみて、初めて分かることもある。
真由子達の思いを噛みしめながら歩いていると、遠くでカラスがざわめいているのが聞こえてきた。
家に向かっていくにつれ、鳴き声がハッキリとしてくる。
瀬奈の足が止まった。
歩道からすぐのところにあるのは、大きな鳥居。
その奥に社が見える。
神社だ。
この神社が賑やかになるのは、年に二度。
正月の初詣と、いくつかの出店がある秋祭りだけ。
参拝客もめったにいない、無人の神社だ。
社の裏には林が広がっている。
カラスの鳴き声は、その林から聞こえた。
一羽や二羽ではない。
数羽いるようだ。
同時に、かすかな匂いが鼻をくすぐってきた。
瀬奈は鳥居をくぐり、奥のほうへ向かった。
社の横を通り過ぎて裏に出ると、鬱蒼と生い茂る枝葉で日が当たらないせいか、空気がヒンヤリとしている。
そこから見えたものに、瀬奈は目を見張った。
林の入口近くにある一本の木。
その木の下で、四羽のカラスが群がっていた。
小さな何かをクチバシで突いたり、互いに引っ張り合ったりしている。
カラスが群がっていたのは、一匹の白い子猫だった。
小さな身体のあちこちが、赤く染まっている。
子猫は、鳴く力も残っていないほど弱っていた。
引き寄せられるように瀬奈の足が一歩、また一歩と、前に進んでいく。
カラス達は獲物を取られまいとして、近付いてくる瀬奈に「カアーッ、カアーッ」と、威嚇の声を上げた。
地面の上でグッタリとしている子猫の前に瀬奈がやって来た時、威嚇の声がピタリとやんだ。
次の瞬間、カラス達は逃げ出すように、いっせいに羽ばたいていった。
四羽とも木の上にとまって、静かにジッと見下ろしている。
カラスの視線の先にあるのは、瀬奈の黒く染まった瞳だった。
[続く]
◆第9話は、こちらから
