ロセッティ<プロセルピナ>
D.G.ロセッティ、〈プロセルピナ〉、1874年、テート・ギャラリー(パブリックドメイン)(出典;Wikipedia)
19世紀イギリスで活躍したラファエル前派のメンバー、ロセッティの晩年の傑作〈プロセルピナ〉は、一度見たら忘れられない作品である。
暗い部屋の中、ゆったりした衣をまとい、佇む一人の美しい女性。豊かな黒髪は波打ち、厚みのある唇は、手にした柘榴と呼応するかのように紅い。
しかし、その表情は硬く、大きな目には憂いの色が滲む。
一体彼女はどのような思いを胸に抱いているのか。
絵と向き合えば、まるで見えない力に囚われたかのように動けない。その場を離れた後も、彼女の表情は記憶に焼きついて消えることはない。
このように不思議な魅力を持つ絵は、ロセッティの晩年の一つの到達点であり、ある強い情念から生まれた作品だった。
今回は、この〈プロセルピナ〉が生まれるまでのプロセスを辿りながら、ロセッティの内面に迫ってみたい。
①ロセッティの原点
ダンテ・ガブリエル・ロセッティは1828年にロンドンで生まれた。
父はナポリ王国から政治亡命してきたダンテの研究者だった。その影響もあってロセッティは幼いころから詩に親しみ、ダンテやドイツの詩を翻訳するなど文学的素養を深めていった。後に絵の道に進むことを決めた後も、詩は絵画と並んで彼の創作の二本柱となった。
1845年、17歳の時には、ロイヤル・アカデミー・アンティック・スクールに入学を許されたが、古代彫刻のデッサンなど伝統を重んじる教育内容に反発するようになる。
やがて、同じくアカデミーの教えに不満を持つウィリアム・ホルマン・ハントやジョン・エヴァレット・ミレイと知り合い、親交を深めていく。
②ラファエル前派結成と初期の代表作
1848年9月、彼らは4人の仲間と共に「ラファエル前派兄弟団」を結成。ルネサンスの巨匠ラファエロによって完成された「美の規範」に従うのではなく、自然を観察し、忠実に描くことを理念とし、宗教画にも新たな解釈を試みた。
その流れから生まれたのが、初期の代表作〈受胎告知〉である。

聖母マリアがキリストを受胎したことを天使から告げられる「受胎告知」は、ルネサンス以来多くの芸術家たちによって取り上げられてきた馴染み深いテーマである。
しかし、ロセッティは、聖母マリアを普通の少女として描き、天使の背にも翼も描かないなど、独自の解釈で描き出した。
そのために保守的な人々からは、「荘厳さに欠ける」などと非難されることとなった。
ショックを受けたロセッティは、一部を除いて作品の発表をやめてしまう。
「ラファエル前派兄弟団」も、時間の経過と共にメンバーの個性や方向性の違いが明らかになっていた。
ロセッティ自身、ミレイやハントと違って自然の写生や細部の緻密な描写は得意ではなく、それらよりもむしろ象徴的で詩的な表現に関心を寄せていた。
もともと明確な方針のない緩やかなつながりだったこともあり、グループは結成からわずか3年ほどで自然消滅して行った。
③1856年、2つの出会い
グループの解散後、メンバーはそれぞれの別の道を歩み始めた。ミレイはアカデミーの準会員となり、ハントはパレスチナに旅立った。
ロセッティは、ダンテらの詩の研究に力を注ぎ、その詩を題材にした水彩画を制作したが、発表はしなかった。
しかし、ラファエル前派とその中心人物だったロセッティの存在は半ば伝説と化し、彼を慕う若者たちも現れる。
ウィリアム=モリスとエドワード・バーン=ジョーンズである。
彼らはオックスフォード大学で神学を学んでいたが、長編詩『アーサー王の死』を読んで、中世文化に魅了されていく。
さらに、ダンテの詩『新生』に取材したロセッティの水彩画〈ベアトリーチェの一周忌に天使を描くダンテ〉を見たことで、ロセッティに心酔するようになる。

1856年には、ロセッティに弟子入りして芸術への道を歩むことを決意する。
ここに、「ラファエル前派の第二世代」が誕生した。
そして同じ年、ロセッティにはもう一つの大きな出会いがあった。
娼婦ファニー・コンファースとの出会いである。
豊かな金髪とグラマラスな肢体を持つファニーは、当時のロセッティの恋人で、かつてミレイの〈オフィーリア〉のモデルも務めた赤毛で儚げなエリザベス・シダルとは対照的だった。彼女はロセッティにとって新たな「美の女神(ミューズ)」となり、1859年、ロセッティはファニーをモデルに小品〈ボッカ・バチアータ(くちづけされた口)〉を手がける。

14世紀イタリアの詩人ボッカッチョの詩句「くちづけされた口は新鮮さを失わず……」を視覚化したこの作品は、「詩」と「絵画」が一体化した、ロセッティ芸術の到達点と言える。
この作品の後も、ロセッティは文学作品にインスピレーションを得た、官能的な女性の半身像を多く手がけ、ロセッティの後期の画業の重要なテーマとなっていった。
④ジェーン・モリスとロセッティーーー〈プロセルピナ〉誕生
1857年、ロセッティは新たな「美の女神」としてジェーン・バーデン(後のジェーン・モリス)を見いだした。
オックスフォードの馬丁の娘として生まれたジェーンは、豊かな黒髪と憂いを帯びた大きな瞳が印象的な女性だった。
その神秘的な美しさに、ロセッティは一目で心を奪われたが、ロセッティは既にエリザベス・シダルと婚約していた。
1859年、ジェーンはウィリアム・モリスと結婚。モリスはジェーンを愛していたが、ジェーンにとっては貧しい生活から抜け出すための結婚という側面が大きかったとされる。それでも夫婦の間には2人の娘も生まれ、穏やかな生活が送れるかに思われた。
しかし、1860年代後半、再会をきっかけに2人の関係は再燃。ジェーンはロセッティのモデルとなり、関係も深まっていく。
夫のモリスは2人の関係を黙認し、彼が留守にしている間、ケルムスコットの家でジェーンとロセッティが恋人同士のような時間を過ごすこともしばしばだった。
〈プロセルピナ〉には、こうした複雑な三角関係も反映されていると考えられる。

プロセルピナ(ペルセフォネ)は、ギリシャ・ローマ神話に登場する女神である。
彼女が叔父である冥界の神プルトンに攫われたことで怒った母親のケレスは職務を放棄し、大飢饉が起きる。最高神ユピテルの仲裁で、プロセルピナは地上に戻ることができたが、既に冥界の柘榴を口にしていたため、1年のうち3ヶ月を冥府の女王として地下で過ごさなくてはならなかった。
どんなに愛し合っていても、人妻である以上、夫のもとに帰らなくてはならない。
ロセッティはそんなジェーンの境遇をプロセルピナに重ねたのだろう。
〈プロセルピナ〉では、闇を思わせる暗い藍色の衣をまとった女神が、柘榴を手に佇んでいる。
背後の窓から差し込む光は、室内の寒々しさをかえって際立たせる。
そしてプロセルピナは眉を寄せ、懐かしい地上の光から顔を背けているように見える。その唇は、寒色でまとめられた画面の中で鮮やかに赤い。
柘榴は彼女を地下世界に縛る象徴であるが、一方では生命の復活をも表すとされる。
そして、画面右上の紙片には、プロセルピナをテーマにロセッティが書いたイタリア語の詩が添えられている。
ロセッティはこの後の数年間、死の数日前まで8点の〈プロセルピナ〉のバージョンを制作した。
ジェーンとの関係も続いていたが、ジェーンは最後には家庭へと帰り、1880年のロセッティの死に立ち会うことはなかった。
1896年に夫モリスが亡くなった後も20年近く生き、1914年1月に74歳で亡くなる。
しかし、描き手やモデルがいなくなった後も、絵は残っている。そして、画面の中から今もなおプロセルピナは柘榴を手に、憂いに満ちた眼差しを投げかけている。
