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新しい分野を学ぶとき、人は誰でも“外国人”になる
仕事上、専門的かつ新しい分野での知識の習得が必要になった。
人と会って話を聞いても、最初は何のことか意味がわからない。日本語なのに、まるで外国語を聞いているかのようだ。
聞き取れる単語を組み合わせて想像しながら、「あ、なるほど、そういうことか」なんて頭の中がグルグル回っている。
ちなみに、私の英語力は、「外国人だけど頑張っているね」というレベルで、流ちょうとは言い難い。それでも、学生、社会人として8年ぐらいアメリカに住んでいたので、日常生活に困ることはない。
一方、この専門分野の知識は「早く身につけなければ、ヒアリングができない」と焦りを感じ、本を読んだり、チャティ(ChatGPT)に質問するなど、時間を費やしてきた。
その結果、最近、少しずつ“自分の言葉”で話せる瞬間が出てきた。
とはいえ、まだうわべだけで、本質的なことは理解できていないので、質問されたらおそらく答えられないだろう。
そんな時、親の海外赴任で、子供の頃に現地校に突然転校し、言葉がわからず苦労したという知り合いの話を思い出す。もちろん、年齢にもよるかもしれないが、ある程度日本語が身についてから英語の世界に溶け込むのは、かなりストレスに違いない。
それでも、若ければ若いほど吸収力も早く、完璧なバイリンガルになる確率も高い。
一方、大人になってからの習得は語学に限らず、忍耐が必要だ。
少し“会話”が身につくと、気が緩み、「あれってどういう意味だったっけ?」とすぐ忘れてしまう。
完璧に”自分の言語”になるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
でも、“わからない”という感覚と格闘しながら、確実に自分の中で何か育っている気がする。
