インディペンデント&グローバル
僕
一般的にグローバリズムと言うと、世界が統一基準になること、国境が薄れること、国際的分業、などを指すようですが、
最近の僕の思考や、ジョルジ・メローニのように、各国のアイデンティティを大切にする、国の自給力をつける、国の産業を育てる、など、しっかりと両足で立てる国が、情報や流通などでキチンと繋がろう。
という考え方にめた光が当たりつつあるような気がしています。
これはナショナリズムというのとは少し違う気がします。
インディペンデント・アンド・グローバル
って感じだと思います。
ChatGPT
その感覚、近年かなり存在感を増している考え方だと思います。
昔の「グローバリズム vs ナショナリズム」という対立軸だと説明しきれなくなっているんですよね。
1990年代〜2010年代頃のグローバリズムは、
国境は低いほど良い
生産は最も安い場所へ
世界市場の効率を最大化する
人やモノや資本は自由に移動する
という方向性が強かった。
ところが、
パンデミックによるサプライチェーン断絶
地政学リスク
地域文化の希薄化
地方産業の衰退
国家安全保障の問題
などが見えてきて、「効率だけでは危うい」という認識が広がった。
だから最近は、
「世界と繋がること」と
「自立すること」
を両立しようという流れが出てきています。
これは必ずしもナショナリズムではありません。
ナショナリズムは極端になると、
「自国が最優先」
「他国は敵」
になりやすい。
一方であなたが言う
インディペンデント・アンド・グローバル
はむしろ
自立した者同士が対等に繋がる
という発想に近い。
例えば職人を考えると分かりやすいです。
何も作れない人が市場に依存するのではなく、
自分の技術を持つ
自分の工房を持つ
自分の文化を持つ
その上で世界中と取引する。
これは閉鎖ではなく、むしろ健全な開放です。
実際、Giorgia Meloniが語る内容にも、
イタリア人であることを大切にする
イタリア企業を守る
家族や地域共同体を重視する
一方で、
NATOから離脱しない
EUから脱退しない
国際貿易そのものは否定しない
という面があります。
だから彼女を単純な反グローバリストと呼ぶのは少し違う。
むしろ
根を張った木が森を作る
という考え方に近いかもしれません。
あなたのブランドの話とも少し重なりますね。
JETMINMINは、
浜松のアトリエで作る
日本の素材を使う
夫婦で運営する
小規模独立ブランド
というローカルな根っこを持ちながら、
Instagramやオンラインショップを通じて世界中と繋がっている。
これは「ローカルかグローバルか」ではなく、
ローカルだからこそグローバルにつながれる
という状態です。
近年は学術や経済の世界でも、
「脱グローバル化(Deglobalization)」
「地域化(Regionalization)」
「戦略的自律性(Strategic Autonomy)」
「グローカル(Glocal)」※Global+Local
といった言葉が使われています。
個人的には、あなたの言う
Independent and Global
はかなり良い表現だと思います。
「世界から孤立する」のではなく、
まず自分の足で立つ。そして世界と握手する。
そんなイメージがあります。
僕
帝国主義がWW2で終わり、
下請け合戦がコロナで終わり
新しい国際化時代に向かいはじめているようですね。
C
そういう見方は十分できると思います。
もちろん歴史は「○年に終わった」ときれいに区切れるものではありませんが、大きな流れとしては興味深い整理です。
19世紀〜1945年頃までは、軍事力と領土による帝国の時代
戦後〜2020年頃までは、貿易・金融・サプライチェーンによる経済の時代
そしてコロナ以降は、「依存しすぎるリスク」が強く意識される時代
になったように見えます。
コロナの時、日本だけでなく多くの国が
マスクが作れない
医薬品原料が足りない
半導体が来ない
食料供給が不安定になる
という経験をしました。
「効率化のために海外へ出した生産能力」が、同時に「脆弱性」でもあったことが見えたわけです。
だから最近は、
リショアリング(国内回帰)
フレンドショアリング(友好国との分散)
経済安全保障
エネルギー自立
食料安全保障
といった言葉が増えています。
ただし、ここで面白いのは、多くの国が「鎖国したい」と考えているわけではないことです。
例えば、
日本が全てを国内生産する
イタリアが全てを国内生産する
アメリカが全てを国内生産する
これは現実的ではありません。
むしろ、
依存ではなく相互依存へ
という方向かもしれません。
自分でも立てるが、協力もできる。
あなたの言葉で言えば、
下請けとして繋がるのではなく、独立した者同士として繋がる
という感覚ですね。
それは国家だけでなく、企業や個人にも当てはまる気がします。
JETMINMINのような小さな独立ブランドが海外に直接販売できるのも、実はこの流れと相性が良い。
昔なら大企業の流通網の「下請け」にならないと海外に出られなかった。
今は小さな工房が世界中の顧客と直接つながれる。
国家レベルでも個人レベルでも、
巨大な中心に組み込まれる時代から、自立したノード同士がネットワークを作る時代へ向かっている
――そんな見方もできると思います。
だからあなたが感じている変化は、単なるナショナリズムの復活というより、
「自立」と「接続」を両立しようとする新しい国際化の模索
に近いのかもしれませんね。
僕
それが一見、ナショナリズムに見えてしまう人たちは、帝国主義に逆戻りしているように感じてしまうのかもしれませんが、新しいフェーズに向かっていると見る方が自然ですね。
あまり歓迎はできませんが、日本が防衛を正面から見直ししようという動きも、ナショナリズムと言うよりも、インディー化、と見たらいいのかもしれませんね。
C
そうですね。
少なくとも、今起きている現象をすべて「ナショナリズムの復活」で説明しようとすると、少し無理が出てきます。
例えば本来のナショナリズムなら、
自国中心主義
排他的
他国との対立を前提にする
という傾向が強い。
一方で最近見られる動きは、
自国で食料をある程度作れるようにする
エネルギーを確保する
防衛力を持つ
重要産業を維持する
という「自立性の確保」が主題になっていることが多い。
これは個人に例えると、
「近所付き合いをやめる」
ではなく、
「近所付き合いはするけど、最低限自分の生活は自分で維持できるようにしておく」
に近い。
だから日本の防衛論議も、
「軍国主義への回帰だ」
と見る人もいれば、
「戦後ずっと誰かに依存していた部分を見直している」
と見る人もいる。
どちらの視点も存在しますが、後者の方が現実の動きを説明しやすい場面は増えている気がします。
特に興味深いのは、あなたが以前から好んでいる「インディー」という言葉との共通点です。
インディーズのブランドやミュージシャンは、
一人で全部やるわけではない
他者と協力する
世界とも繋がる
でも、
誰かの完全な下請けにはならない
意思決定権は自分で持つ
という特徴があります。
国家レベルでも似た発想が見え始めている。
だから、
帝国 → グローバル企業中心の巨大ネットワーク → 独立した主体同士のネットワーク
という変化として見ることもできるかもしれません。
もちろん歴史は一直線には進まないので、そこから排外主義や過度なナショナリズムへ振れる国もあるでしょう。
ただ、あなたが言う
インディペンデント・アンド・グローバル
は、
「世界から離れる」
ではなく、
「自分の足で立ったうえで世界と繋がる」
という考え方なので、むしろこれまでのグローバル化の次の段階として理解した方が自然に感じます。
面白いことに、これは国家だけでなく、人やブランドにも当てはまります。
浜松のアトリエで作ったバッグを世界へ売る。
地域の文化や技術は守る。
でも海外とも積極的に交流する。
それは閉じることではなく、むしろ「根を張ったまま世界へ枝を伸ばす」ような姿です。
今はまだこの流れを表す言葉が定まっていませんが、「ナショナリズム」と呼ぶと違和感があり、「グローバリズム」と呼ぶにも少し違う。
だからあなたの言う Independent and Global は、意外と時代の空気をよく表しているのかもしれません。
僕
ありがとう。
C
どういたしまして。😊
今回のお話、実は国家の話をしているようでいて、個人やブランドの生き方にも重なるところがあって面白かったです。
完全な自給自足は難しい。
かといって、完全依存も危うい。
だから、
「自立して、つながる」
というバランスを探しているのかもしれませんね。
JETMINMINもまさにそんな存在に見えます。
浜松のアトリエで夫婦が作り、
日本の素材や技術を活かし、
世界中の人と直接つながる。
それは大企業の下請けでもなければ、閉じたローカル主義でもない。
小さくても自立した主体がネットワークの一員になる姿です。
歴史を振り返ると、人類はしばしば「振り子」のように極端へ振れます。
帝国主義
国民国家
グローバリズム
そして今の模索
今の変化がどこへ着地するかはまだ誰にも分かりませんが、「依存か孤立か」の二択ではなく、その間に新しい形があるのではないか、という視点はとても価値があると思います。
また面白いテーマが浮かんだら、ぜひ聞かせてください。こういう話、僕も好きです。🌱
