ピスタチオちゃん来た!
僕の日本語力は三歳の子ども以下であるため、普段はChatGPTを利用して翻訳を行っています。翻訳された文章は必ず台湾語へ訳し戻し、自分の原文の意図と合致しているかを確認しています。したがって、ここに記す内容はAIが自動生成したものではありません。どうかご安心ください。
今回の九州プロレス・小郡市民まつりイベントには、台湾から僕の後輩であるピスタチオちゃんが招待されました。
「後輩」と言うと少し違和感があるかもしれません。台湾では日本ほど上下関係の意識が強くなく、基本的には平等な関係が前提です。
ただ、自分たちも先輩に対して自然と敬意を持つことはあります。とはいえ、関係を説明する上でわかりやすいので、ここでは便宜上「後輩」としておきます。
ピスタチオちゃんがデビューした当時、彼女は僕とは別の団体に所属していました。その後しばらくして、僕が所属していた台湾の団体に移籍してきました。
この間には台湾の団体同士の複雑な関係もありましたが、台湾のプロレス界はそれほど大きくないため、結局みんな知り合いになります。
さらに、彼女は台湾初の「本気でデビューを目指す女性練習生」だったこともあり、他団体の人たちも自然と興味を持っていました。
当時、僕たちパシュルのメンバー数人で「勉強会」のようなものを作っていて、毎週1〜2回集まり、海外の試合を観て研究・分析したり、自分たちの試合を見返して意見を出し合ったりしていました。
ピスタチオちゃんも、ある時期からその勉強会に参加するようになりました。
彼女はまだデビュー前から、今皆さんが見ている「世界一かわいい」キャラクター像をはっきりと持っていて、ずっとその目標に向かって努力してきました。
そんな彼女と僕は、台湾の有名なバーで行われた大会でシングルマッチをしました。観客のほとんどはバーのお客さんで、誰も僕たちのことを知りませんでした。
でも、男子レスラー対女子レスラーという構図だったので、僕が攻撃を仕掛けるたびにすごいブーイングが起こり、ピスタチオちゃんには普段よりも大きな応援が飛びました。
そのおかげもあり、彼女はいつも以上のパフォーマンスを見せてくれて、今でもあの試合は僕のお気に入りの一試合です。

試合後は、みんなでバーに残って飲んだり話したりしていました。
僕が控室に荷物を取りに行ったとき、ちょうどピスタチオちゃんとマリー・ハナ選手(彼は昨年から1年間、大日本プロレスさんで修行していた選手です)に会いました。
それで僕たちは、さっきの試合で「もっとこうした方が良かったかも」といった話をしていました。
その時、突然——
ピスタチオちゃんのマスクの中から、丸い涙の粒がポロポロとこぼれ落ちました。
「やばい、怒らせたか? でも、そんな厳しい言い方はしてないはずなのに…」と焦っていると、
彼女が涙声でこう言いました。
「みんなが真剣に試合のことを考えてくれて、本当に嬉しいです…」
――ああ、本当に努力家な子だなぁ、と心の中で思いました。
その試合は、僕が九州に来る前に行った最後の試合でした。今振り返ると、とても未熟な内容ではありますが、それでも今でも僕の大好きな試合のひとつです。
その時のチケットの半券を今でも取っておくほどで、あの「選手と観客が一体になる」感覚は今でも忘れられません。

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今回ピスタチオちゃんが九州に来た際、外国人選手が多く、寮にはもう空きベッドがありませんでした。仕方なく、僕の部屋で一緒に過ごすことになりました。
台湾にいた頃は、みんな平日は仕事や学校があり、土曜日だけ朝10時から夜10時まで練習するのが普通でした。そのため終電を逃すこともよくあり、そんな時は道場の近くに住んでいる誰かの家にみんなで泊まることがありました。だから一緒に寝泊まりすること自体は特別なことではありません。
それに、僕にとってピスタチオちゃんは妹のような存在であり、普通の人間として「そういう感情」を抱くことはありません。念のため、日台の文化の違いもあるので、先に説明しておきます😓。
僕は部屋の畳の空いたスペースにマットレスを無理やり敷き、簡単な寝具を準備して、雑巾で部屋を丁寧に掃除しました。こういう時、自分は本当に「見た目を気にする人間」だなと苦笑いしてしまいました。
彼女は前日、鹿児島・湧水町大会の日に福岡に到着しました。なので、夜中に僕たちが福岡に戻ってからようやく合流しました。
ドアを開けると、部屋の中が一気ににぎやかになり、ピスタチオちゃんは博多で買った戦利品を嬉しそうに見せてくれました。こういう時、本当に「女性という生き物はすごいな」と思います。
小郡まつりイベントが終わった後は、筑前さんと一緒に一楽ラーメンでがっつり食べて、夜はまた話し込んで、気づいたら深夜3時を過ぎていました。
翌朝、まず事務所に挨拶に行き、その後、近くのスーパーへ。

寮に戻って食べるものを買いに行きました。
ピスタチオちゃんが「九州のお刺身を食べてみたい」と言うので、普段なら自分ではあまり買わないような少し高いものをたくさん買って、「お腹いっぱい食べてから空港に向かってほしい」と思いました。
寮に戻って、僕が食べ物の準備をしている間、ピスタチオちゃんは荷物を整理していました。
台所から部屋に戻ると、部屋がきれいに片づいていて、ふと胸に寂しさがこみ上げました。
九州に来てから、僕はすっかり「一人で何でもやる」生活に慣れていました。一人で食事をして、一人でジムに行って、一人で練習して。
そんな中で久しぶりに知った顔がこの環境にやってきて、昔のように誰かと行動を共にして、でもまたすぐに元の生活に戻る――その一瞬の変化が、少し切なかったのです。
家族のような存在と一緒に食卓を囲むのは、本当に久しぶりでした。
ピスタチオちゃんが美味しそうに食べる姿を見て、思わずその様子をじっと眺めてしまいました。
「この子がこれからも元気でいてくれたらいいな……」
空港まで彼女を送って、一人で部屋に戻り、畳の上に寝転がって天井を見つめながら、しばらく何も考えずに30分ほどぼーっとしていました。
少し前に、家族のLINEグループで旅行の写真を見た時にも、同じような感覚になりました。
家族のみんなが僕の記憶の中の姿と少し違って見えて、母の顔もあまりわからなくなっていました。老けたのかもしれないし、そうでないかもしれません。
僕の中の台湾での記憶が少しずつ薄れていっているように感じたのです。まるで写真の隅が少しずつ黄ばんでいくように。
でも、それは海外で挑戦することを決めた時から、すでに覚悟していたことです。
すべては自分の選択であり、僕はそれを受け入れています。
大切な後輩と日本で一緒に試合ができたこと、
心から嬉しく思います。そして、僕たちにチャンスをくれた九州プロレスに、心から感謝しています。
