中国の考える民主とは?
米国が民主主義サミットを開催するにあたって、中国共産党は「中国には中国の民主的思想がある」と主張しています。
西欧型の民主制はボトムアップ型の民主制で、中国型の民主制はトップダウンの民主制。
もちろん個人的には西欧型の民主制に完全に賛同しますが、中国型の民主制も一概に「悪いもの」と断じていいものか、とは思います。なぜなら「その日暮らしに汲々としている貧乏な民主国家」よりも「それなりに経済的自由を謳歌している専制国家」の方がマシ、といえる部分も大きいからです。
実際、中国共産党を批判さえしなければ、あるいは受け入れさえすれば、経済活動は、既得権益と規制でがんじがらめの日本よりも、よっぽど中国の方が自由に経済活動できるかもしれません。
■西洋型の民主制
西洋型の民主制は、ゲルマン人由来の全員政治参加型の伝統をベースにしたボトムアップ型。西欧は、どこまでいっても個人が主体で、個人の集まった状態が共同体。
哲学者のルソーが「そもそも自然状態は我々が自由であること」と語ったのも西欧人らしい自然状態の考え方ではないかと思います。
例えばスイスは小国ですが実は連邦国家です。それぞれの地方(カウンティという)が、他エリアの政治権力(主にハプスブルグ家)から自分達の権利を守るために同盟して誕生したのがスイスという国で、国のありようはボトムアップ型。個人が自分達の権利を守るために集結してカウンティ(州)ができて、カウンティが同盟して国家ができる、という成り立ち。

ゲルマン人を祖とする西欧は、そのほとんどがボトムアップ型で、自分達の権利を守るために共同体がある、しかし共同体を統治するためにはリーダーが必要。それが首長だったり王様だったりする、という伝統があります(以下参照)。
なので、法律も国家や王権を守るためにあるのではなく、共同体の成員(その範囲は歴史を経るにつれて有力者男子→成人男子全員→女子へと拡大)の権利を守るために存在するという、意識がきっと西洋人の中には脈々と流れているはずです。
まずは個人、そして国家、という順番。
■中国型の民主制
一方の中国。儒教を紐解けば、孔子も孟子も、民を大切にすべきという徳治主義を主張しています。
子曰わく、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所に居て、衆星の之に共うが如し。
民を貴しと為し、社稷(国家)はこれに次ぎ、君(王様)を軽しと為す
このように「民を大切にする」「民が第一」というように、一見西欧と同じような民主制にみえるのですが、実は全然違います。
どこまでいっても主語が「統治者」なのです。「民が〜する」ではなく「統治者が〜する」。統治者が民を大切にすることによって国家が安泰するのだ、という思想が儒教の考え方。
中国では、経済的に豊かで治安が良くて、それは皇帝(いまだったら中国共産党?習近平?)が名君だから(共産党の指導がいつも正しいから)、という感じ。決して民が主語ではない。
逆に統治者の民を治める能力が低くて国が混乱すれば、民が乱を起こします。「乱が起きる」ということは天(=世界)が乱れている、ということになるので、天(=世界)が再び安定化するよう、新たな統治者=天子が登場して、新しい政権(王朝)ができる、という循環的な歴史。
西欧と違って、人間社会は「個人個人が集まってできたもの」という考えがない。まず天があって天子がいてさらにその下に人間社会がある、ピラミッド型のイメージ。民主制といってもトップダウン型の民主制なので、「人権」という西欧的な概念が中国にはもともとありません。
現代においても、中国人にとっては「人権よりも経済的豊かさの方が大事」という人の方が多いように感じます。あまり人権には関心がないと言ったらよいのか。もちろんいろんな形で時の権力を批判はします。中国の古典「紅楼夢」もそうらしいですし。。。
一方、香港や台湾のように、いったん人権の旨味を知った人間からすれば、「いまさら」という感じなのかもしれませんが、大陸系の中国人にとっては、もちろん民主化した方がいいに決まっていますが、民主化して国が混乱して貧乏に逆戻りしてしまったら元も子もない、と思ってるかもしれません。世界的にみれば、まだまだ中国は中進国レベルですが、毛沢東時代に比べれば今は天国のような状態です。
なので、単純に西欧型の民主制ばかりを「正しい」として盲目的に中国を批判するのではなく、一度中国的な民主制の考え方や実情も知っておいた方がいいのでは、とは思います。
*写真:スイス首都ベルン:カウンティ(州)旗がなびく、ブンデスハウス
