【エピローグ】
■穏やかな日常
今、私は、必需品だった杖から完全に離れられ、毎日、近所の林道を散歩しています。
朝起きて窓を開け、肺いっぱいに吸い込む爽やかな空気。
鳥のさえずり。
どれもを、これまでのご褒美であるかのように噛みしめています。
バスに乗り遅れそうになると、ダッシュができます。
我ながら、見事な走りっぷりです。
海を見にいき、打ち寄せる波から逃げるように、砂浜の上をはしゃいだりもします。
長く私を苦しめてきた不安感や、容赦なく襲ってきた自己否定の波は大きく和らぎました。
最後に自分を責めたのは、いつだったっけ。
私はずっと、こうした光景を目指して、ここまでやってきました。
どこへどう向かえば、光があるのかも分からない。
けれど、あると信じるしかなかった。
それを信じさせてくれたのが、私の身体でした。
「しっくりくるかどうか」
自分の身体感覚を信頼し、従って生きることを学んだことで、私の心の奥底に静かで、でも確かな安心感と自分軸が育まれています。
もちろん、全ての症状が完全に消え去ったわけではありません。
唇の不随意運動は、まだ少し残っています。
文章を読むのが苦手と感じることも、まだあります。
疲れやすさも、残っています。
けれど、それらもまた、私の身体が今この瞬間の均衡を保とうとしている、愛おしいサインなのだと、受け止めています。

■透明な、ガラスの壁
ジストニアがひどかった頃は、家に閉じこもる日々でした。
それでも、通院しなければならなかった。
久しぶりに外に出て目に映った光景が、今でも忘れられません。
電車の中で、疲れきった顔をしている人たち。
街を歩けば、大きな声で子どもを叱っているお母さん。
病院の中で、高齢の親にイライラしているご家族。
外はキラキラしている場所であって欲しかった。
そんな世界が私を待ってくれているのだと思ったら、頑張りたい気持ちになれるから。
でも現実はそうではありませんでした。
ガッカリしました。
当時は、そんな外の世界に、今度は私がイライラしていました。
どうして病気もしていないのに、そんなにつまらなそうに生きているのだろう、と。
けれど、今は見方が変わっています。
あの人たちもまた、かつての私と同じように、ただ自分の身体と対話できていなかっただけなのかもしれません。
◇
私たちは、どこかで分かっているのです。
何かがうまくいっていない。
長く心を苦しめられてきた原因は、それだ、と。
ただ、その正体が何なのかが分からなくて、自分の本当の声にたどり着くことが難しいのです。
それは、なぜなのだろう。
答えがないように思えた、この問い。
けれど、そのヒントは、意外なほど身近な場所にありました。
私という一人の人間の、迷走の中に。
振り返れば、そもそも私の問題は、これほどの年月をかけるほどのものだったのだろうか。
全ての始まりは、どこだったのだろう。
それは、やはり閉ざされた診察室でのやり取りだったのかもしれません。
椅子に腰掛け、緊張しながら診断結果を待つ自分。
モニターの無機質な画像を見つめる医師。
そうして、次に決まって言われるのです。
「うーん、どこにも異常ありませんね」
私はそのたび、何かを言おうとするのだけれど、言葉が喉に詰まって何も反論できませんでした。
なぜ、医療は私の問題に気づくことができなかったのだろう。
もっと、私を丸ごと診てほしかった。
人間の複雑な痛みや苦しみを、「ないもの」として扱わないでほしかった。
しかし、たとえ医療が私の訴えを聞き入れてくれなかったとしても。
教育のあり方が違っていれば、私は救われた可能性があると思うんです。
けれど、そうはなりませんでした。
丸暗記で点数が取れてしまうシステムは、今、社会でも問題になっています。
考える力が十分に育まれない、と。
私が「できる子」でいられたのは、日本のこの教育のお陰だったと言えます。
しかし、同時に、追い詰められていったのかもしれません。
考える力が育まれなかった上に、人よりもそれが苦手と感じたのは、やはり脳に問題があったからで、教育が本当の問題を見えなくさせ、何十年という時間、放置させてしまった可能性も否定できないから。
ただ、それでも親にだけは言えたのではないだろうか。
なのに、なぜ私は、本当のことを言えなかったのだろう。
なぜ親は、気づけなかったのだろう。
そのせいで、親子ですれ違いが生じてしまいました。
でも今は思うんです。
それは決して、家庭環境が悪かったわけではないのだ、と。
もちろん、完璧な親子でもなかったでしょう。
闘病中、アダルトチルドレンという言葉を知り、それが病気の原因なんだと、家族を責めた時期もありました。
けれど、完璧な家族を求める方が難しい。
そして、家族問題だけでは片付けられない、見えない大きな壁があったのだと思っています。
医療が「異常なし」と太鼓判を押し、教育が「この子は優秀だ」と保証する。
その二つの社会システムの前で、一人の子供の心の声や、一組の親子の抱える葛藤などは、あまりにも無力だったのです。
私たちの間にあったのは、心の壁ではありませんでした。
それは、この社会そのものが作り出した、巨大で透明なガラスの壁だったのかもしれません。
◇
皮肉にも、その見えない壁の存在に気づかせてくれたのが、ジストニアでした。
心に蓋をし、無視して生きるしかなかった私に、この病気が教えてくれたのです。
身体感覚に意識を向けると、うまく行くよ、と。
その感覚を頼りに進むことで、少しずつ原因が解明され、解放されていきました。
全ては、自分のせいではありませんでした。
では、誰のせいだったのかと言うと、誰のせいでもなかったのです。
誰もが、その時、持てる知識と経験の中で、必死に私を安心させようとしてくれていました。
ただ、そこには、四十年という時間をかけないと解き明かせない、複雑な問題が絡み合っていた。
ただ、それだけのことだったのです。
もしかしたら、これこそが「自分を知る」という最高の治療なのかもしれません。
病気を治すことでもない。
原因を見つけることでもない。
ただ自分を知り、自分を許し、そして、自分を取り巻く世界をありのままに許すこと。
それこそが本当の「治癒」なのだと、私は今、思えています。

■新しい旅の始まり
私個人の、長い長い原因探しの旅は、区切りがつきました。
けれど、ここで終わりではないのです。
自分も、誰も、悪くなかった。
それでハッピーエンドにして良いとも思わないから。
この社会のシステムを作っているのは、誰なのだろう。
その一員として生きる私に、何ができるのだろう。
今、この瞬間も、透明な塀の中で、一人苦しんでいる人がいるのだとしたら…。
その存在にようやく気づくことができた私に、できることは、何だろう。
ここからが、新しい始まりなのです。
だから私は、パソコンを開く。
そして、真っ白なページに、最初の言葉を打ち込み始める。
「うまくいかない原因がわからない。
つい、自分のせいだと責めてしまう、あなたへ」
私がこの物語を書く理由。
それは、もはや自分自身のためだけではありません。
これまで私が歩んできた、暗く長く、そして時には光が差した、紆余曲折の道のり。
これが、いつか、どこかで、かつての私のように暗闇を彷徨っている誰かの足元を照らす、小さな光になりますように。
そう、心から願うからです。
私のような思いをする人は、もう、私で、最後にしてほしいからです。

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