トイレだけが安全地帯だった私が、窓のない平屋を建てるまで
——安心は、気合いではなく構造で作っていい
1 現在の要塞のような家
私の家は、裏側から見ると、ただの壁に見える。
四十坪ほどの平屋なのに、家の裏側には窓がない。人がのぞき込めるような隙間も、うっかり手を伸ばせるような開口部も、できるだけ作らなかった。
はじめてこの家を見た時、パートナーは少し笑って、
「要塞やん」
と言った。
たしかに、そうだと思った。
明るく開放的な家。風が通り抜ける家。大きな窓から庭を眺める家。家づくりの雑誌や広告に出てくる「理想の家」は、たぶんそういうものなのだと思う。
けれど、私が欲しかったのは、そういう家ではなかった。
誰かが勝手に入ってこない家。外から中をのぞかれない家。夜になっても、窓の外を気にしなくていい家。私には、誰にも踏み込まれずに眠れる場所が必要だった。
この家の中では、犬たちが好きな場所で眠っている。
庭では、それぞれのペースで走ったり、においを嗅いだり、ただぼんやり立っていたりする。リビングのソファーは、いつも誰かに占領されている。人間が座る場所より、犬たちがのびのび寝られる場所の方が優先される。
要塞の内側にあるのは、冷たい暮らしではない。
毛布。犬の足音。床に落ちているおもちゃ。ソファーで眠る犬たちの体温。外側だけ見れば、閉じた家かもしれない。でも私にとっては、ここがはじめて息のできる場所だった。
子どもの頃の私は、家の中で息ができなかった。
自分の机の中も、ランドセルの中も、カバンの中も母に見られ、自分だけのものを置いておくことができなかった。日記も書けなかった。手紙も残せなかった。点数の悪いテストを持ち帰ることもできなかった。
家の中で息を潜められる場所はほとんどなく、唯一の逃げ場がトイレだった。
今、私は窓の少ない平屋に住んでいる。パートナーに「要塞やん」と笑われたこの家の原点は、子どもの頃のあの小さなトイレだったのだと思う。
2 偽物の鎧と、唯一の安全地帯
子どもの頃、私の周りには常に物があふれていた。
着切れないほどの服を与えられ、いくつもの習い事に通い、外から見れば、何不自由ない「ちゃんとした家の子」に見えたのだと思う。けれど、そのあふれる物は私を自由にはしてくれなかった。自分で選ぶことはできなかった。差し出された服を着るしかなかった。
ブランド服は、私にとって誇らしいものではなかった。
生地はきれいで、形も整っていた。でも、その服を着ている私の身体は、いつも少し固まっていた。汚してはいけない。転んではいけない。砂場に入ってはいけない。服は私を守るものではなく、私の動きを止めるものだった。
袖口が汚れないように気をつけ、スカートの裾を気にし、人に見られている感じがして肩に力が入る。きれいな服は、鎧のようだった。でもそれは、私を守る鎧ではなかった。
家の中にも、私だけの場所はなかった。
母は、私の机の中やランドセル、服のポケットまで見た。いつ見つかるかわからないから、私は家に何かを残すことができなかった。
自分の気持ちを紙に書けば、それはいつか母のものになってしまう気がした。だから、書かない方が安全だった。何も持っていないふりをする方が、安全だった。
テストも同じだった。九十点未満のテストは、家に持って帰れなかった。点数が悪いと、母の気が済むまで殴られた。その後、なぜか母の方が泣き、寝込み、最終的に私が「母を苦しめた悪者」のようになってしまう。
その一連の流れが怖くて、私は点数の悪いテストを学校のお道具箱に一日隠した。次の日、誰にも見られないタイミングで、学校のトイレへ持っていった。
タイルの冷たい個室の中で、小さく折りたたんだ紙を取り出す。細かくちぎる音だけが、やけに大きく聞こえた。水に流す時、ちゃんと消えてくれるか不安で、しばらく便器の中を見ていた。
流れていく紙を見ながら、証拠が消えることに少しだけ安心した。
学校から家に帰っても、息をつける場所はなかった。
家の中で唯一、少しだけ扉を閉められたのがトイレだった。そこも完全な安全地帯ではなかった。長く入っていれば怪しまれる。泣き声を出せば、聞こえるかもしれない。扉一枚向こうには、いつも家の気配があった。
それでも、そこしかなかった。
学校のトイレでは、家に持ち帰れないものを流した。家のトイレでは、誰にも見せられない自分を小さく隠した。
どちらのトイレも、私を完全に守ってくれる場所ではなかった。それでも私は、扉を閉められるその狭い場所で、どうにか自分を保っていた。
3 割られたガラス
玄関や窓やガラスが怖くなったのには、はっきりとした記憶がある。
子どもの頃、父方の祖父が家に入ってきたことがあった。
その頃、私たちは祖父から逃げるように暮らしていた。家は安心して根を張る場所というより、いつでも逃げられるための仮の場所だった。
ある日、たまたま鍵が開いていた玄関から祖父が入ってきた。母はとっさに部屋の戸を閉めた。でも、その向こうで祖父は止まらなかった。
素手でガラスを割る音は、今でも身体の奥に残っている。
ただ大きな音だったというだけではない。
空気が一瞬で変わる音。家の中と外を分けていたものが突然なくなる音。ここまでなら入ってこられないはずだ、という思い込みが壊れる音だった。
割れた破片。母の焦り。自分の身体がどうしていいかわからず、ただ固まっていた感覚。そして、フレームだけになったガラス戸の向こうに、何事もなかったようにいつもの外の景色が見えていたこと。
家の中はめちゃくちゃなのに、外はいつも通りだった。
その後、大人になってからも、玄関や窓やガラスに対する怖さは、理屈では消えなかった。そして実際に、似たようなことが起きた。
玄関の鍵が開いていた時、知らない若い男性が家に入ってきたことがあった。靴を脱いで、そのまま上がろうとした。別の時には、元彼が窓を開けて昼寝をしていた部屋に、外から人が入ろうとしたこともあった。
そういう出来事が重なるたびに、私の身体はまたあの日に戻った。
玄関は開くかもしれない。窓は破られるかもしれない。私の身体にとって、玄関や窓は光や風を通す建具ではなく、誰かが入ってくるかもしれない危うい境目だった。
4 大人になって、安心を構造で作った
大人になって自分で家を建てる時、私は担当者にかなりはっきりと希望を伝えた。
窓は、できるだけ少なく、小さくしてください。
担当の人は少し困ったような顔をして、
「採光は大丈夫ですか」
と聞いた。
家は明るく、風が通り、開放感がある方がいい。それが家づくりの正解なのだろうと思う。でも私には、大きな窓が安心には見えなかった。
外から見える場所。誰かが近づける場所。割れば入れてしまう場所。
だから私は、
「電気があるので大丈夫です」
と答えた。
自然光よりも、外から守られていること。風通しよりも、誰も入ってこないこと。その方が、私にはずっと大事だった。
私は、家づくりの中で怖かったものをひとつずつ構造に変えていった。
法律上どうしても必要な窓だけを残し、裏側には一切作らなかった。ガラスは簡単には割られない三重ガラスにし、窓には防犯ブザーを、外には防犯カメラをつけた。玄関は自動で施錠されるようにし、窓を開けなくても暮らせるように換気も機械に任せた。
ただ怖がるのではなく、怖い理由を見た。
どこから入られるのが怖いのか。何が壊れるのが怖いのか。何を確認できれば眠れるのか。それを家の形に落とし込んでいった。
「気にしすぎないようにしよう」「大丈夫だと言い聞かせよう」
そうやって、気合いや感情で解決するのではなく、私の身体は、物理的な構造によってしか安心できなかった。
私が欲しかったのは、人に見せるための家でも、誰かに羨ましがられるための家でもない。子どもの頃に着せられていたブランド服のように、外から見られるためのものはいらなかった。
誰かの理想に近い家よりも、夜に何度も窓を確認しなくて済むこと。私が夜に怖がらずに眠れること。
安心は、祈っても手に入らなかった。だから私は、安心を構造にした。
怖かったものをひとつずつ設計図の上に置き、閉ざされた壁の内側に、やわらかい暮らしを入れた。
5 心の中にも、鍵と窓が必要だった
家の外側を構造で守れるようになってから、私は自分の心の中の無防備さに気づくようになった。
昔の私は、人との距離の取り方がとても下手だった。
誰かが不機嫌になると、自分が何とかしなければならない気がした。相手の感情がチャイムも鳴らさずに私の中へ入ってくるのに、それを止める方法を知らなかった。
子どもの頃、机やカバンやポケットの中身まで勝手に見られていた私は、自分の内側に鍵をかけるという感覚を持てないまま大人になっていた。
誰かの不機嫌。誰かの期待。誰かの寂しさ。
それらが、いつの間にか自分の責任になってしまう。他人の感情を全部自分の中に入れていたら、どこからが自分の気持ちで、どこからが相手のものなのかわからなくなっていく。
家に鍵が必要だったように、心にも、勝手に入ってこられない場所が必要だった。
今のパートナーは、私の過去をほとんど知らない。家庭が少し複雑で、親とは縁を切っている。たぶん、そのくらいしか伝えていない。
昔の私は、自分の傷をすべて説明し、すべて理解して受け止めてもらえなければ、人と安心して関われないと思い込んでいた。でも今は、全部わかってもらわなくていいと思っている。
私がどんな家で育ち、何に怯えてきたのか。どんなふうにここまで来たのか。それを、彼にすべて説明する必要はない。
彼は私の過去の理解者ではない。でも、私が過去から少しずつ戻ってくる、今の日常の中にいる人だ。
彼がソファーで横になっていると、犬たちがその上に何頭も乗っていく。本人は重そうにしながらも、どかすことなくそのままテレビを見ている。私はその適当な光景を見て、少し笑う。
安心とは、すべてを差し出して理解してもらうことだけではなかった。
わかってもらえない部分を、自分で守っていいと思えること。話したくないことを、話さないまま持っていていいと思えること。相手の感情と自分の感情の間に、見えない扉を閉めてもいいと知ること。
物理的な家に鍵をつけたように、私は自分の心の中にも、大切なものを大切なまま置いておくための境界線を、ようやく引けるようになった。
6 要塞の内側にある、やわらかい日常
外から見れば要塞のような私の家だが、その内側にある暮らしはかなりゆるい。
朝になると、犬たちがそれぞれの場所から動き出す。まだ毛布の中にいる子もいれば、水を飲みに行く子もいる。庭に出たそうに、こちらを見る子もいる。床にはおもちゃが落ちていて、ソファーの上には昨夜のまま犬が丸くなっている。
庭に出ると、走る子、においを嗅ぐ子、ただ風を感じている子がいる。それぞれが、誰の顔色を窺うこともなく、勝手に過ごしている。
子どもの頃の私は、そういうふうに過ごすことができなかった。
ブランド服を着せられていた私は、砂場に入れなかった。母の機嫌を見て、怒らせないように、失敗しないように、常にちゃんとしていなければならなかった。
でも今の私は、ユニクロを着て庭に出る。
高価な服ではない。汚れても洗えばいい。犬に足を踏まれて土がついてもかまわない。子どもの頃、私を飾り、動きを止めていた服は、今の私には庭を自由に動くためのものになった。
実際の回復というものは、涙を流して過去を許すような劇的なものではなく、もっと地味な日常の中にあった。
犬の毛がついた服で庭に出ること。ソファーを占領されて座る場所がなくなること。パートナーの適当な言葉に少し力が抜けること。今日やらなくても死なないことを、少しずつ身体で覚えること。
掃除が完璧でなくても、犬たちは普通に寝ている。ラフな服で庭に出ても、誰にも怒られない。理想的な暮らしではないけれど、ここでは誰かの機嫌に人生を支配されることはない。
だいぶ雑。でも、平和。
要塞を作った私がその中で育てたかったのは、緊張ではなく、この肩の力が抜ける日常だった。
汚れてもよくて、疲れたら横になってもいい。誰かに見張られず、ただ暮らせるやわらかい時間が、分厚い壁の内側には確かにある。
7 空の見え方が変わるまで
昔、私はよく空を見ていた。
けれどそれは今のように、ただ綺麗だと思うためではなかった。
大きな空の下にはたくさんの人がいて、自分より大変な思いをしている人も、きっとたくさんいる。空から見れば、私の苦しさなんて小さいものだ。
そんなふうに、自分の痛みに名前をつける前に、広すぎるものを見上げて自分を小さくしようとしていた。
自分の苦しさを、なかったことにするための空だった。
今の家に引っ越してから、空を見る時間が増えた。
山側に住んでいるから、どこから見ても空が広い。庭に出ると、犬たちの向こうに空が見える。散歩をしていても、ふと顔を上げると、思っていたより大きな空が広がっている。
天気のいい日は、何度も思う。
ああ、綺麗だな。
それだけだった。
昔のように、自分の苦しさを小さくしようとはしていない。自分より大変な人を数えようともしていない。
ただ、綺麗だと思う。
空を、逃げるためではなく、見るために見られるようになった。
今でも、怖さが全部なくなったわけではない。過去が消えたわけでもない。昔の自分が、完全にどこかへ行ったわけでもない。
それでも、犬たちが勝手に過ごす庭で、ユニクロの服を着たまま土の上に立ち、空を見上げる。
ただ、思う。
ああ、綺麗だな。
それだけでいい日が、少しずつ増えている。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいた応援は、これからも必要な夜にそっと届く文章を書くために、大切に使わせていただきます。読んでくださるだけでも、とても励みになっています。