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気づいても、全部は拾わない

——何度も管理職になった私が、仕事との距離を変えるまで

山の中にある、小さな個人クリニックで働いている。

医師が一人。
受付が一人。
看護師は私一人。

それぞれ別のスペースにいるので、お互いが今、何をしているのかは見えない。

私は採血をしたり、心電図をとったり、レントゲンの準備をしたり、健康診断の対応をしたり、電話に出たりする。

その間にも、カーテンの向こうから次々と声が飛んでくる。

「次、○○さん心電図とって」
「○○さん呼んできて」
「次、レントゲン!」

入ったばかりの頃、ほかの看護師から、

「先生、どんどん言ってくるから、適当に無視してる」

と聞いた。

働き始めて、その意味がすぐにわかった。

こちらが採血の最中でも、心電図をつけている最中でも、先生には見えない。

しかも、かなりせっかちだ。

すぐに動かないと、カーテンの向こうから同じ指示がもう一度飛んでくる。

昔の私なら、たぶん焦っていた。

目の前のことを途中で止めてでも、すぐ応えようとしたと思う。

今は、

「これ終わったらすぐやるので、ちょっと待ってください」

と返す。

そうすると、先生は待つ。

たまに待ちきれなくなって、カーテンから出てきてこちらの状況を確認し、自分でできることをしている。

なんや。

私が全部すぐにやらなくても、普通に回るやん。

そう思えるようになるまでに、ずいぶん時間がかかった。


頼られる人でいたかった

私は看護師として、十年近く管理職をしてきた。

最初からできたわけではない。

管理職になりたての頃は、分からないことばかりだった。

それでも続けているうちに、少しずつできることが増えていった。

現場の仕事を仕組みにすること。

複雑な管理業務を、できるだけ少ない入力で回せるように整えること。

問題が起きた時に、原因を整理しながら対応すること。

クレームが来ても、感情的にならず話を聞けるようになった。

そして何か問題が起きるたびに、

「次から、これが起きにくい形にできないか」

と考えるようになった。

周りから、問題解決が得意だとか、管理職に向いていると言われることも増えた。

ただ、ひとつ大きな問題があった。

私は、認められたい気持ちがとても強かった。

仕事ができる人だと思われたかった。

頼られる人でいたかった。

ただの一スタッフとして、目立たず働くことが、どこか物足りなかった。

だから問題を見つけると、放っておけなかった。

「ここ、こうした方がいいと思います」
「こう変えたら現場も楽になります」
「会社にも、こういうメリットがあります」

自分から上に言いに行った。

そして、改善方法まで分かる人が社内にいなければ、

「じゃあ、それお願いできる?」

となる。

もちろん、私はやった。

仕組みを考えて、資料を作って、現場で使えるところまで整えた。

仕事をよくしたい気持ちは、本当にあった。

でも、それだけではなかったと思う。

「そこまでできる私」を、見てもらいたかったのだ。

本来自分の仕事ではないことまで次々に抱え、二、三時間残業するのは珍しくなかった。

長い時には、六時間以上残っていたこともある。

帰宅してからも電話に出て、資料を作った。

休みの日も、ほとんど仕事をしていた。

犬たちの世話をする時間が足りなくて、ペットシッターをお願いしていた時期もある。

遊び相手になってもらい、お世話をしてもらう。

犬たちと暮らすために働いていたはずなのに、

働きすぎて、私は犬たちと過ごせなくなっていた。

最後に管理職をした頃には、仕事を仕組み化して残業を減らし、家で電話が鳴らないようにもしていた。

それでも、

「できるならやる」

「気づいたなら拾う」

という癖は、まだ残っていた。


犬たちのために、先に働き方が変わった

犬たちが七、八歳になった頃から、病気になることが少しずつ増えた。

できれば、家で様子を見ながら働ける仕事がしたい。

そう思って在宅でできる仕事もいろいろ考えたけれど、なかなか現実的なものが見つからなかった。

犬たちが十歳になった頃、私はトリミングスクールへ通い始めた。

当時は、卒業してある程度経験を積んだら、看護師を辞めて、自宅でトリミングサロンをしようと思っていた。

家で働けば、歳を取っていく犬たちのそばにいられる。

そう考えていた。

スクールを卒業する頃、学校付属のお店の責任者をすることになった。

その仕事と常勤の看護師を両立することは難しかったので、私は看護師をパートに切り替えた。

自分を大切にしようと思ったからではない。

仕事を緩めようと思ったわけでもない。

新しい仕事を始めるために、そうする必要があっただけだった。

むしろトリミングでは、また責任者をしていた。

けれど、看護師を「一スタッフ」として働いてみたことで、今までとは違う感覚を知った。

気づいたことを、全部言わなくてもいい。

できることを、全部やらなくてもいい。

勤務が終わったら、帰っていい。

やってみると、思っていた以上に楽だった。


見えた問題を、全部自分の仕事にしない

今働いている職場の一つには、昔から続いている独自のやり方がある。

業務が十分に統一されておらず、申し送りも曖昧で、

「言った」

「聞いていない」

が起こることも多い。

現場ではよく、

「これ、どうしたらいいと思う?」

という話になる。

昔の私なら、そのままではいられなかったと思う。

上の人に問題を伝えて、改善案まで持っていっただろう。

そして、

「じゃあ、それお願い」

と言われれば、仕組みまで作った。

パートで入っていたとしても、きっと同じことをした。

そのうち社員になって、また管理職をしていたかもしれない。

今は、

「会社の決まりで、上に言っても無理なんだったら、その中でやるしかないんじゃないですか〜?」

と言って終わる。

投げやりになったわけではない。

自分に任された看護の仕事はちゃんとする。

安全に関わることなら、もちろん動く。

ただ、法人が変えないと決めた仕組みまで、私が背負う必要はないと思うようになった。

問題が見えなくなったわけではない。

改善案が浮かぶこともある。

それでも、

見えた問題を、全部自分の仕事にしなくなった。

管理職の経験も、普段はほとんど言わない。

相談や業務改善まで求められるなら、それは今の私の役割ではないと、線を引けるようになった。

承認のためだけに、自分のスキルを見せることをやめた。


認められることが、前ほどご褒美ではなくなった

不思議なことに、そうやって働き始めると、認められたい気持ちの方も少しずつ薄くなっていった。

昔なら、

「それ、私も知ってる」

「私ならこうする」

と、自分の方が知っていることを見せたくなる場面もあった。

今は、あまりそう思わない。

褒められるのが嫌になったわけではない。

評価されたら、それはそれでうれしい。

ただ、それをもらうために仕事を増やしたいとは思わなくなった。

最近では、

「頼りになる」

「仕事が早い」

と言われると、

「私にばっかり言ってこやんといてな」

と思うことすらある。

昔の私なら、もっと言ってほしかったはずなのに。


犬たちのために変えたら、私まで楽になった

今は、看護師の仕事を三つに分けている。

一つは社会保険に入れる有料老人ホームのパートで、月に十回。

グループホームでは週に一回、三時間。

クリニックでは週に二回、三時間。

それとは別に、トリミングの仕事を週に一回している。

空いた時間にはnoteを書く。

一つの職場にいる時間が短いぶん、人間関係も必要以上に濃くなりにくい。

休みの日に職場のLINEが来ても、次の勤務まで見ないこともある。

本当に急ぎなら、電話がかかってくるだろうと思っている。

LINEを見る時間だって、私にとっては仕事の時間だ。

今は、勤務時間の外まで仕事を持ち込まないようにしている。

そして今、仕事を終えて家に帰ると、まだ外が明るい。

ペットシッターではなく、私が犬たちを散歩へ連れていける。

休みの日や空いた時間には、十二歳になった犬が眠っている横でnoteを書く。

疲れたら、私も犬と一緒に、お腹を上に向けてゴロゴロする。

犬たちのために変えた働き方だった。

でも、そうやって暮らしてみたら、

結果的に私にもずいぶん優しい働き方だった。


今なら、管理職ももう少し楽にできたのかもしれない

今になって思う。

もし、今の心の使い方をもっと早く知っていたら、

管理職だって、もう少し楽にできたのかもしれない。

今なら、気づいたことを全部拾わなくてもいいと思える。

人の機嫌まで自分の責任にしなくていいし、できることと、実際にやることも分けられる。

予定が一つ崩れたくらいで、一日全部を失敗にすることもなくなった。

何より、

認められるために、自分の能力を全部差し出さなくていい。

管理職には向いていない、と言われたことはほとんどなかった。

むしろ周りからは、向いていると言われることの方が多かった。

だから、この先二度と管理職をしないとも決めていない。

いつか、認められたい気持ちや完璧にやりたい気持ちに引っ張られず、自分で自分の力の使い方を選べると思えた時。

その時の私が、また管理職をしたいと思ったなら、やればいい。

今は、そう思っている。


守りたいものに合わせて、仕事を組み替える

この先も、働き方は変わっていくと思う。

今は社会保険に入りながら、いくつかの仕事を組み合わせている。

でも、ずっと多頭で暮らしてきた犬たちが歳を重ね、

いつか最後の一匹になった時には、もっと家にいられる働き方にしたい。

お手入れ教室。

在宅でできる仕事。

看護師の短時間の仕事。

その頃の私が、何をしたいと思っているかはまだ分からない。

それでいいと思っている。

昔の私は、先に仕事を決めて、自分の生活をそこへ合わせていた。

今は、

その時に守りたいものに合わせて、仕事の方を組み替えていけばいい。

そう思っている。

働き方を変えても、これまで身につけたものまで消えたわけではない。

必要な時には、今もちゃんと役に立っている。

ただ、それを認められるために、必要以上に差し出すのをやめた。

犬たちとの時間を守ろうとして、先に働き方を変えた。

そうしたら、

大切なものを守る輪の中に、
いつの間にか私自身も入っていた。









※「#これからのキャリア」には、この作品とは別の角度から書いたエッセイも応募しています。

トリミングを学び、一番を目指していた私が、犬たちと向き合う中で、**「できることを全部やることが、いつも正解とは限らない」**と気づいた話です。

『ちょうどいいところで、手を止める』
——一番を目指した私が、犬にも自分にも無理をさせない働き方を選ぶまで

そしてもう一つ。

仕事を背負いすぎないようになった一方で、今の私はnoteにかなり入り込んでいます(笑)。

「やりすぎる自分」を、今は無理に止めなくてもいいと思っている理由を書きました。

『また、やりすぎている』
——それでも今は、止めなくていいと思っている

※近日公開予定


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