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年金「60歳受取り」ブームに乗る前に知っておきたい、後悔しても戻れない4つのこと

「年金は60歳から早くもらうのが結局おトク」——最近、ネットの動画や記事でこうした話をよく見かけるようになりました。定年後に収入が減ること、物価も上がっていること。「もらえるものは一刻も早く確保したい」と感じるのは、ごく自然な心理だと思います。

ただ、ファイナンシャル・プランナーとしての立場から見ると、この「繰上げ受給ブーム」には、冷静に立ち止まってほしいポイントがいくつもあります。ネット上ではあまり語られていないリスクが、実はその裏側にかなり潜んでいるからです。

この記事では、一度決めたら二度とやり直しがきかない年金の受取時期について、見落とされがちな事実を整理してみます。ブームに乗るか乗らないかを決める前に、判断材料として読んでいただければ幸いです。


「損益分岐点は81歳」という数字だけで決めていいのか

繰上げ受給をすすめる話でよく出てくるのが「損益分岐点」です。

現行のルール(2022年4月以降に60歳に達した方が対象)では、60歳から年金を受け取り始めると、ひと月あたり0.4%の減額が一生涯続きます。5年早くもらうと、65歳から受け取る場合に比べて24%の減額です。

この条件で累計の受取額を比べると、およそ80歳10ヶ月あたりまでは「60歳で受け取り始めた人」のほうが多くなります。そして81歳を超えると「65歳で受け取り始めた人」が逆転します。

ここまでは事実です。けれども、この数字だけを根拠に「81歳まで生きるかどうか」の賭けに出てしまうのは、少し危うい判断ではないでしょうか。

年金制度の本質は「投資」ではなく「保険」です。長く生きてしまったときに生活が破綻しないようにするための仕組みなのです。専門家の間でもよく言われることですが、年金を「いくら増やすか」という投資のリターンで考えるのではなく、「予想以上に長生きしたときの備え」として捉え直すことが大切です。

たとえば90歳時点での累計受取額を比べると、60歳受給開始と65歳受給開始では約400万円の差がつくとされています。さらに、70歳まで繰り下げた場合との比較では1,000万円以上の差にもなります。この金額の差が、人生の終盤にどれほどの安心をもたらすか。ここはじっくり考える価値があります。


1つ目のこと:障害年金を受け取る権利を手放すことになる

繰上げ受給を選ぶと、将来の受取額が減るだけではありません。見落とされがちな重大なデメリットがあります。

その一つが、障害年金の「事後重症請求」ができなくなることです。

本来、65歳になる前に病気や事故で重い障害を負った場合、症状が悪化した時点で障害年金を請求できる仕組みがあります。特に1級に認定されれば、老齢年金より手厚い金額が非課税で受け取れます。しかし、繰上げ受給の手続きをした時点で、この事後重症請求の権利を失います。

60歳から65歳というのは、健康上のリスクがぐっと高まる時期です。この5年間に何が起きても、障害年金という選択肢はもう使えません。あとから「やっぱり」と思っても、元に戻すことはできないのです。


2つ目のこと:家族への上乗せ(加給年金・振替加算)が削られる

厚生年金に20年以上加入し、年下の配偶者がいる方に支給される加給年金は、いわば年金版の「家族手当」です。年間で約39万円にもなるこの加算は、繰上げ受給をしても早くもらえるわけではなく、65歳になるまで支給が停止されます。場合によっては受給権そのものに影響が出ることもあります。

また、配偶者の老齢基礎年金に上乗せされる「振替加算」についても、繰上げによって減額されてしまうケースがあります。

自分一人の損得だけでなく、世帯全体で受け取れる年金額がどう変わるのか。ここまで計算に入れている方は、実はあまり多くありません。


3つ目のこと:「税金と社会保険料」で手取りが想定以上に減る

「減額されても早くもらって、浮いたお金を運用すれば取り返せる」という話もよく聞きます。一見合理的に聞こえますが、「手取り額」ベースで見ると不利になるケースが少なくありません。

まず知っておきたいのは、65歳未満と65歳以上では「公的年金等控除」の額が違うということです。同じ年金額を受け取っても、65歳未満のほうが控除額が少なく、結果として税負担が重くなります。

加えて、多くのシニア世帯が意識する「住民税非課税世帯」の基準ですが、これも今後の制度改正で引き下げられる可能性が議論されています。現在の基準を前提に繰上げ受給の金額を調整しても、数年後にはその計算がまったく通用しなくなるかもしれません。


4つ目のこと:投資の利益に社会保険料がかかる時代が近づいている

「早くもらってNISAで運用すればいい」という話も根強くあります。たしかにNISA口座の運用益は現在、社会保険料の算定対象には含まれていません。

しかし2026年、金融所得を社会保険料の計算に反映させる法案が国会に提出されました。まずは75歳以上の後期高齢者医療制度が対象で、実施は2030年度頃と見込まれていますが、今後この仕組みが65歳以上の国民健康保険加入者にも拡大される可能性は十分にあります。

現時点ではNISA口座の非課税所得は反映対象外とされていますが、制度の方向性としては「金融資産を持つ人にも応分の負担を」という流れが強まっています。将来、運用で増やした分だけ介護保険料や医療保険料が上がるという状況は、もはや絵空事ではありません。

投資には常に元本割れのリスクがありますが、年金は亡くなるまで定額が保証される終身の仕組みです。しかも物価スライドによるインフレ対応もあります。この安定した資産を自ら減らしてまで、リスクのある運用に回すことが本当に有利なのかは、慎重に考える必要があります。


ネットで「60歳受取り」ばかりが目につく理由

ここまで読んで、「なぜネットではこうしたリスクがあまり語られないのだろう」と感じた方もいるかもしれません。

理由はシンプルです。「65歳まで待ちましょう」という堅実な話は、見出しとして地味で、あまりクリックされません。一方で「60歳でもらわないと損をする」「制度に騙されるな」といった刺激的な主張は、人間が本能的に持っている「損をしたくない」という心理を強く刺激し、大きなアクセスを集めます。

さらに、動画のコメント欄では同じ意見の人同士が集まりやすく、極端な主張がどんどん増幅されていく傾向があります。発信者が自信たっぷりに語る「必勝法」は、あなたの人生を背負ったアドバイスではなく、閲覧数を稼ぐためのポジションを取っているだけかもしれません。


判断のためのセルフチェック

年金の受取時期に、すべての人に当てはまる唯一の正解はありません。ただ、ブームに流される前に、自分の状況を冷静に確認してみてください。

繰上げ(60歳)受給を選んでもよいのは、たとえば、いま現在の生活費が本当に逼迫していて、すぐにでも現金が必要な方。あるいは、健康上の理由で長く受け取り続けることが難しいと医師から伝えられている方。もしくは十分な資産があり、24%の減額が生活にまったく影響しない方です。

一方、60代前半も働く意欲と見込みがある方、65歳までの生活を支える貯蓄がある方、そして「長く生きること」を不安ではなく安心として迎えたい方は、標準の65歳受給、あるいはそれ以降への繰下げを検討する価値が大いにあります。


年金は、国が用意した終身の保険です。受け取り始める時期を早めるということは、その保険の保障を自分で薄くするということでもあります。

81歳で「損益分岐点」を超えたとき、その判断を振り返って何を思うか。それは今の自分にしか決められません。

ネットの「正解」ではなく、自分自身の家計と健康と人生設計から導き出した答えを、どうか大事にしてください。


(注:この記事は2026年4月時点の制度情報に基づいています。年金制度や税制は今後改正される可能性がありますので、具体的な判断にあたっては年金事務所やファイナンシャル・プランナーへのご相談をおすすめします。)

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