AIを補助具として活用していくために感性・理性・知性を大事にしたい。
井上達夫氏の『他者への自由』。
私はこの本のお陰で、
AIを用いた読書の面白さを知ることができた。
この本はかつて、熊本県立大学の公開講座「社会倫理学」
でテキストとして指定された本である。
全300ページに及ぶ難解な内容を、
90分×15回の講義で読み解くというカリキュラムであるが、
毎回予習をして臨む必要があった。
それにしても、この本は冒頭から手強かった。
「まえがき」の段階から専門用語が当然の前提として登場し、
思わずそこで投げ出しそうになるくらいだ。
なので、文中の難解な語句の定義を理解するところから
始めなければならない。予習にも多くの時間を必要としていた。
その際、私にとって大きな支えとなったのが 生成AI であった。
理解できない箇所をそのまま入力して「分かりやすく説明して」と尋ねると、的確に要点を整理して提示してくれるのだ。
学生時代に真剣に学問へ向き合ってこなかった私にとって、
AIはまさに心強い伴走者となった。
さらに最近は、音読と文字起こしAI を組み合わせる方法を取り入れた。
本は音読すると理解が深まる。
声に出して読んだ内容を録音し、文字起こしして要約させることで、
内容の整理も容易になる。
さらに気になる部分をそのままコピーしてAIに質問できるため、
学習効率は格段に向上した。
こうした学び方は、
伝統的な学問の訓練を受けてきた人からすれば
「邪道」に映るかもしれない。
しかし、アカデミックな訓練を積んでこなかった
「学び直し組」にとっては、この方法がないと厳しいと思う。
もし、この補助がなければ、折角の知的好奇心も難解さによって
挫折に追い込まれてしまう可能性が高かった。
最悪なのは、挫折体験によって好奇心そのものを手放してしまうことだ。
そう考えると、私はAIという存在に出会えたことを幸運だと思っている。
そもそもAIは、眼鏡や杖、自転車のような 補助具 にすぎない。
主体が目的を定め、道具はそれを助ける。
この主従関係が崩れない限り、道具を使うことは怠惰ではないと思う。
例えば、自転車で町を散策する人に対して「歩け」と説教する人はいない。それは、人が主であり、自転車が従であることが明らかだからだ。
AIも同じである。
どこまでを任せ、どこからを自分で考えるのか。
その境界線を意識する限り、AIは知の探求を助けてくれる良い相棒となる。
しかし、AIが便利であるがゆえに、
すべてを丸投げしたくなる瞬間もある。
そんなときこそ必要なのが、
「感性・理性・知性」の三つを用いた自己監督である。
ところで、この三つの私なりの定義は次のようなものだ。
感性:違和感や美しさを感じ取る力
理性:「面倒くさい」という感情に対して余白をつくり、立ち止まる力
知性:問いを立て、意味を創造していく力
AIの処理能力は圧倒的で、人間の知的弱さを突きつけられることもある。
しかしだからこそ、「人間が発揮すべき知性とは何か」という問いに
向き合い続けたい。
AIが存在する時代だからこそ、
人間は思考の主体であろうとする意志が求められる。
AIという補助具と適切な距離を保ちながら、
感性・理性・知性をバランスよく働かせ続けること。
それが、技術と共存するうえでの人間側の責任なのだと思う。
