晴れの日に行楽のできるタイミングとそれを思いつく機会などそうそうあるものでない
(2024.12.2加筆)

はじめに
たのしむチャンスをのがしているのかとふと思うことがある。しごとの休憩中に窓の外のいちめんの澄みきった青空を見つつ思った。余裕があるときには雨が降り、そうでないときは晴れている。多少ふところがあたたかいときにはまとまった時間がなくその逆のほうが多い。
きょうはそんな話。
すべてをそろえるには
ふっ切らないとことはなし得ない。たとえば旅行。ふだんつめに火をともすような生活にどっぷり浸かるとそうしようなんて思い浮かばない。とはいえ遠くへ行ってみたいなあという漂泊の想いはなくはない。
周囲の誘いにわずかにのる程度がやっと。かわりにnoterの方々のなかからそれを実践されている方々の記事などを拝見。代理でやっていただいてやったことにしてなかば満足。
こうした方々に代わりにお金をつかっていただき、わたしは漂泊感や満足感だけをすこしだけもらいながら想像を加味していく。もはやそれでいいかなと思いつつも実際におこなえば何倍も楽しいかもしれないなとあたまをよぎる。
(皆様ありがとうございます)
タイミング
出立するときに雨が降るとやはりきもちがすこし萎えるし、のちの行程に支障が出ないかとよけいな心配が出てくる。旅慣れていたわかいころならば、それも一興とわが身をそんな災難になりかねない状況にあえておいたようなもの。半分どうなるんだろうとワクワクする感じ。なんとかなるものでそれぐらいの対応力はありそうで、どうにかなるんだと自覚した次第。
若いときは自由になる時間がいまよりたしかにあったし、ひとり身の気軽さでうごけた。きっとそれなんだろうと思う。いまならばトラブルにまきこまれてしまうとさまざまな方々に迷惑をかけてしまう。それが頭をよぎる。なにごともなく無難に済ますのが何よりに。
予定のない旅
青空をながめて、ああ旅に出たいとか、遠くに行ってみたいと思う時はたいていそれがかなわないときだと気づいた。逆になにごともなく小時間をもてあましてしまうときにはそうは思っていないもの。小人はひまなときにはなにもなし得ていないし、よい発想など浮かんでこないもの。たいていつまらないことで時間をつぶしてしまいがち。
どうしてこうなってしまうのだろう。もとから先々の予定をたてて旅程を組んだら気分はそれなりに盛り上がる。あそこに行けたらこれをしようとか、あのヒトに会ってこようとかいろいろと浮かんできて、もはや想像を楽しんでいるフシがある。
実際の旅
ところが実際にそのとおりにスケジュールがすすんでしまうとだんだんとむなしいというか寂しさがわいてくるのはなぜだろう。楽しい「時」をあっさり消費していく、ちょうど線香花火のようなものなのかもしれない。
旅行自体はどうやらわたしの場合にはああでもないこうでもないと旅程をくむことに楽しさを見出しているのはたしか。そこが実際にそのとおりに進んでしまうとあっけないもの。
おわりに
そろそろしごと関係を整理し終われば、すこしだけ時間ができるかもしれない。そのあいだにどこかに旅しようか。そんなに遠くでなくていい。思い立ったその日のうちに、たとえば1~2時間で行けてまだ行ったことのない街をいきなり訪ねるのはよさそう。
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