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このところ鏡をほぼ使わなくてもこまらない理由にようやく気づいた



はじめに

 時代とともに社会のなかで必要なものが変わる。一時期まえならば社会人ならば時計だっただろうか。いまはおそらくスマホかな。わずらわしくて「携帯していない携帯電話」となりはてているが。さて、そんななか、あるものに頼らない生活をしているとあらためて気づいた。

きょうはそんな話。

じつは

 銭湯にかよっていた学生時代。鏡といえばここだった。たいていの洗い場には正面にむかいこしかけるとそこには鏡があった。いやおうなく寝ぼけ眼のわたしがそこにいる。いつも起きがけの早朝にそこに出向いて朝風呂にはいっていた。学生当時は風呂つきのアパートなどそんなに多くなく、夕方以降はめっぽう混雑し、ゆっくり浸かることさえできない。

なにしろ気分的にリラックスできるはずの場所と状況でない。そこで早起きして朝の一番風呂をめざすというやりかたにすぐに変えた。このあと活動するので湯冷めしにくいというもうひとつのメリットに気づいた。

もう一度鏡について

 さて、この鏡。学生時代はこうしてもっぱら銭湯で見る機会がほとんど。化粧などするわけではないのでほぼそれでこと足りた。とはいえなにかの都合で顔の状態を確認したいときに備えて、下宿の部屋では前の住人がそのまま置いていった鏡をつかわせてもらった。

髪の伸びぐあい、歯の状態やのどの腫れなどを確認したときなどやはり重宝した。ないといざというときやはり不便なもののひとつ。

ふと気づく

 ところがここ最近、鏡をさがさない。どうしているか、みずからにたずねる。日ごろの行動をふりかえるがたしかに玄関や浴室に備えつけの鏡を見ていない。それでも支障なく生きながらえているのはなぜだろう。以前のように髪がのびてきたなあとか、このあたりを蚊にさされて…とか把握できている。

ようやくふとしたしぐさから把握できている要因を見つけられた。それはLINEやzoomの利用。学習サポートのしごとで定期的に週に何度もネットで生徒たちをサポートしている。わたしが映るかどうかを確認しながら始動する。いやおうなく「見慣れた」みずからの顔で確認する。これでようやくおわかりいただけたと思う。

動画で

 けっきょく、毎日のように鏡をみつめるのとおなじ状況をこうして無意識のまま経験していた。なにも鏡のある場所へ顔をもっていかなくても、手もとにあるPCのモニターやスマホの画面をつうじて否応なく自分の顔をみつめていた。

なぜ髪がのびているようすを無意識のうちに把握できているのかピンとこないぐらい日々使い、見慣れてあたりまえになりすぎて気づけなかった。

おわりに

 むかしは自分が動画の画面中で動くこと自体がめずらしかった。それはつまり映画やテレビに出演しているのとほぼ同格だったから。静止している写真ですら撮影から1週間待たないと手に入らない頃。もちろんそのあとホームビデオなどの撮影機材が登場してそんなに動画中にみずからのすがたが映るなんてめずらしいことではなくなりつつあった。

日ごろ聞いている自分の声は、録音装置をつうじて流れると他人の声のように聞こえる。それとよく似ていて、画面のなかをうごくみずからのすがたもどこか他人のようで「こいつが自分なんだ」と把握できるまですこし時間的な猶予が必要だったおぼえがある。

まさにいまや動画全盛の時代。なにもみずからが画面のなかで動こうがそんなに動じない。わたしだと開き直るしかない。


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