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しごと:没頭するのがよいのかそれともメリハリをつけて臨むのがよいのか

ありがとうございます

はじめに


 研究者のスタイルもさまざま。とくに海外の方々を多少とも知るとなおさらそう思う。そしてこのクニでもわたしが若い頃とくらべて、いまはそんな行動を選べる状況になりつつあるのかもしれない。

それは時間の使い方。はたでそれとなく見ていると、ゆったり思惟するように過ごしたかと思うととたんに猛然と実験に没頭、ふたたび熟考にもどるというように、そのときどきでリズムのある方、定時で訪れてたんたんとしごとをこなして定時でランニングに出かけてさっぱりして帰宅というパターンを貫く方とほんとうにさまざま。

きょうはそんな話。

フレックスタイム


 大学の先生方は基本的に勤務時間に拘束はない。言ってみれば自由裁量。それぞれに与えられたしごと(講義やその他の学務)を分担してすすめるが、そのノルマを果たせばあとは自分の考えで思いついた研究をすすめればよい。

たいていはそれをおこなう協力者との交渉やゼミのスタッフ・学生との打ち合わせや相談、学会や講演の準備、研究者同士の交流などなど。そこであらたな情報を耳にして技術や方法を知り、あらたな疑問について実験や観察から実証して研究をまとめて学術論文を執筆し投稿。著書の執筆にとりかかる場合もある。

そして自らおこなう研究の軌道修正や現状を鑑みて、必要な費用を見積もり科研費や助成金の応募を試みる。わたしはそれらのさまざまに関してお手伝いするサポートの役。じつにいろいろとあるもの。

おなじしごとをするにも


 わが国のサラリーマンの働き方もさまざまな形態をとるようになりつつある。副業が認められ、在宅でのしごともそれなり見られる。朝の決められた時間に出社するため、満員の電車に揺られて会社に向かうというようすもそれなりに変わりつつある状況は、このところの電車の混みぐあいの変化からもあきらか。

つまりすこしずつではあるけれども、自分の生き方に合わせた働き方を選択できる状況になりつつあるのかも。法律で休日や労働や残業の時間を厳格に定めて遵守する方向に向かいつつある。街を歩いていて周囲の建設にたずさわる方々のようすからそれを見て取れる。ゆったり工事がすすんでいるかのよう。人手不足については求人に見合うだけ応募者がすくないのだろうが、そこにこのことがもうひとつの要因になっているのかもしれない。

裁量で


 しごとのやり方が個人である程度まで裁量で選べるとしたら。もちろん職場でどのくらいその希望がかなうかどうかはべつとして。わたしのお手伝いする大学では、基本的に休業日は建物には平日夜間と同様にカギがかかるようになった。自由に選べるとはいえ、休業日に何かあったらよくないので、基本的には出て来なくなった。それは学生さんたちも同様。おなじことは夏休みや冬休みのお盆や年末年始も同じ。しっかり休みをとるようになった。ここは以前と異なる点。

わたしは学生当時、休みになるとほかに雑用がなくなるので研究に没頭できると思う存分好きな実験をやった。こんな楽しいことはないと勤務するようになってからもほぼ休日のほうが自由度がはるかに高いので、そのまま出勤して夜9時頃まで過ごしていた。

もちろん周囲の方よりも研究は捗っていた。どうもそれがよくなかったらしい。ある年の正月に、世間のおおかたのヒトビトは正月でゆったり過ごしているはずなのに、何でこの研究室に自分はいるのだろうとふと我に帰った。

休まずはたらくと、時として心身のバランスをくずすと知る。それからはどこまでやって、このしごとをやめるかの思考が頭のなかによく現れた。あきらかにおかしい。それからのちの状況は以前に記したとおり。

おわりに


 自由裁量になればなったで今度は自己でコントロールすることは肝心なこと。いまになってつくづくその大切さを知る。それを含めて「働き過ぎ」の制御はむずかしい。気ままにすごしているかのように見える研究者こそ、自己のことがよくわかっていて、その自己裁量のコントロールで研究をリフレッシュしているのだろうとつくづく眩しく見える。


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