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思いつきを気ままに記すが、わたしの失敗に関する記事がよく読まれると知る


はじめに


 ふだんのようす。noteには記事の下書きを気ままにストック。そのうちのひとつをおもむろに清書して毎日投稿するだけ。作為的に記事のテーマをえらんだり、読者をふやす何らかの手立てを意図してうつなどしていない。それでアクセスの数に波があるのは興味深い。

きょうはそんな話。

ブログ時代から


 そういえば、以前はさまざまなブログを書いていた。noteでやるように毎日投稿などしておらず、気の向いた日、あるいは小さくてもなにかをやった日などにほぼ日記がわりに書いてきた。先日、ブログの運営者からの案内などをろくすっぽ見なかったばかりに、2個所のブログが数か月のあいだにたてつづけに閉鎖しているのに気づいた。

合計で1000記事ほどを救えずに失ってしまった。これは案内を見なかったわたしの責任なのでどうしようもない。過去記事のバックアップをとっておけばよかった。

時代が変わりつつあるのか


 そんな閉鎖がつづくブログ。記事を失う経験をしたばかりなのに懲りずに残る自らのブログサイトのメンテナンスを怠り、見てまわっていない。いまある残りだけでも時間があるときに安全なところに保存しておこうか。

内容を更新しないままなので、見直すべき記述も数多いはず。どうしても新しいほうに関心がいき、古いものまでなかなか行き届かない。

読まれる記事


 ブログからnoteに比重をうつし、どんな記事がよく読まれるのかふと興味が湧いた。すこしばかり気づいたことを記しておこう。それは失敗の数々。どうもわたしのドジを踏んだ場面を記すとよく読まれる。

noteについてもそんな傾向の内容のものが全体ビューの数をたくさんいただく。意図しないで起こることばかり。よく見せようという魂胆がないので読んでいただけるのだろうか。

それにつづいて、こどもたちの学習サポートや大学でのサポートのしごとの話。半年前までは子どもたちを相手にしていた。いまは大学のサポートで学生さんたちに話す機会がある。そんな記事をよく読んでいただけている。

失敗には


 それらの活動から気づいたのは、どうも最近、子どもたちの多くは必要以上に失敗をおそれるというか、そうならないように慎重にしようと縮こまっているようにみえる。たしかにものごとをやるうえで、心理的に失敗を避けたい。それが必要以上にはたらいてかえって萎縮したり、注意が散漫になったりでむしろ失敗してしまう。

これはニンゲン、だれでもおとなでも同じかもしれない。でもヒトが失敗するのを見るのはまたちがう。どうやると失敗するのか、間の抜けたことをするとこうなるのかと興味が湧く。場合によっては他山の石としてのまなびがそこにある。

おわりに


 なにも包み隠すことはするつもりはない。やるべくしておこる失敗を赤裸々に記す。わが身の至らなさをありのままに記す。そこにこっけいや一種の寂寞感さえただよい、ヒトは惹かれるのかも。

なにもおもしろおかしく記そうとは思わないし、そもそもそんなふうには書けない。むしろありのままがかえっていいのかもしれない。初手から内容に目と耳をかたむけてもらい、中途で気分を変え、最後まで持続して興味を持続してもらい読了していただくにはどうしたらよいか考えて実行してきた。

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