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学校で教わる機会なくPC操作を身につけたり、プログラムを自ら組んだりとやってきた世代たちからつぎの世代へ

ありがとうございます

はじめに


 昭和のおわりに学生生活をすごした。卒論をすすめるにあたりなにもかも不足していた。「ワープロ」をかたわらの電動タイプライターと併用しながらマスターした。その一方でようやく世のなかで「パソコン」なるものが店にかろうじて出はじめたばかり。白黒モニターにキーコマンドで種々の命令を入力するのがふつう。そこで使えるソフトは充実していない。

やむなくBASICやなにかを勉強し自作。あるいは詳しい友人に頼み、カセットテープに書き記してもらう。そういえばテレビ番組でプログラムを音声で送るといった趣向があった。

いまや情報関連は学校で学べたうえに、黎明期の厄介な操作の多くは、システムに組み込まれたり、本体に内蔵されたり、AIが作ってくれたり。ハードもソフトも充実してきた。

若い方々にはピンとこない、なんのことやらわからない記述があるかも。

きょうはそんな話。

手づくりするもの


 もちろん当時でも全学利用の計算機センターにそこそこの大型コンピューターはあった。前もって申込みが必要でいつでも使えるわけでない状況は今もさほど変わらない。

一方、パソコンは世に出はじめたばかりで、所持していたのは物理化学の研究室のみ。やむなくそこの教員にお願いし、さらにそこに配属された友人の時間をつかわせてもらう。もちこんだプログラムは自作、あるいはべつの地学科の友人にたのんで作ってもらったもの。

そのひとつがタンパク質のアミノ酸配列のハイドロパシーインデックスの計算を演算するプログラム。ベーシックで書けばたいして長くない。たとえば現在のある大学でさらりとC言語で演習。

今ならば、ためしに手持ちのAIにたのむと、瞬時にpythonコード(30行ほど)を作ってくれる。ここへ任意のアミノ酸配列を呈示すると結果を演算。思いついてからその結果を得るまでものの数分とかからない。

見よう見まねで

 学生当時にもどろう。手計算でやっていたわたしを物理化学講座の上述の友人がみかねて、それならばプログラムをつくり、パソコンにやらせればいいとアドバイスしてくれた。

自学自習でひととおり書けたBASICで自作。だが走らない。どこかにバグがある。べつの友人とバグ探し。ようやく見つけたがそれでも走らない。埒があかないので、いちばんくわしい上述の地学科の友人にたのんで1からつくりなおしてもらう。

うまくかけている


 2週間ほどのちに書き上げたプログラムのはいったカセットテープを手わたしてくれた。もちろんお礼を言いつつその日の夕食をおごった。そして先ほどの物理化学の研究室へ。そこの友人とモニターの画面上で書かれたプログラムを確認。「ああ、なるほど」とふたりでほぼ同時に口から出て顔を見合わせる。

白黒モニタ上により洗練されたかたちのプログラムの表示。走らせると、数十秒後にあっさり計算結果の数字がずらりとならんだ。珠算でそこそこ暗算のできるわたしがノート何ページにわたり数十分かけて計算し、さらに検算をくりかえす作業をあっさりやってのけた。もはや手計算したくない。コンピュータの便利さを確実に知れた。

カセットからフロッピーディスクへ


 当時の記録媒体はカセットテープと5インチ(のちに3.5インチ)のFD(フロッピーディスク)。パソコンの稼働時には起動ディスクのFDが必要だった。プログラムのやりとりにカセットテープとレコーダーをいつも所持。所属する研究室で大学院生になり、同級生のひとりがアルバイトでためたこづかいでパソコン(PC-9801一式)とプリンターを購入、研究室にもちこんだ。当時の新車の軽自動車の価格をゆうに超える。

その顛末を以前に記事にした。

上下のフロアの同じ学科メンバーや教員たちが代わる代わる珍しげに見に来た。

ようやくパソコンを個人で持てる時代が来ようとは。感慨深いものだった。でも経済的にゆたかでないわが身には夢のまた夢。それから就職し、まがりなりにもパソコンをもてたのは10年ほどのちのこと。

おわりに


 もはやAIに望むプログラムを作ってもらえる時代になりつつある。大学で学生さんたちには適切な命令を与える能力を養いましょうと伝えている。同時にそうやって書かれたプログラムの概略やながれがわかるようになろうと話す。いかにしてつたない部分をまともで満足なもとめるものになるようコンピューターに伝えるか。

わたしたちも前世代の方々からバトンを渡された。すでにつぎのランナーたちが待っている。あきらかに次世代を担う方々のやることはすこしずつ見えはじめた気がする。


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