2作目 第2章:スパイスの香りと、迷子たちのIKEA
有名企業で働く亮の平日は、想像以上に多忙だった。
それでも朝晩の挨拶LINEや、日常の写真を欠かさない彼の誠実さに、私は前作のトラウマが解けていくような安心感を覚えていた。
そんなある日、彼からマンションの更新時期に合わせて引っ越しをすると言われた。
「今まで彼女もいなかったし、節約のために狭いワンルームに住んでたんですけど……次は少し広めの1LDKにするんです。引っ越したら、咲さん遊びに来てくださいね!」
お互いの休みが合った日、私は彼の手伝いをするために新しい部屋へと向かった。
……が、ドアを開けた瞬間、私は思わず額を押さえた。
「……ねぇ、亮。これ、本当に今日引っ越し終わったの?」
部屋の
中は段ボールの山。荷物はあちこちに散乱し、当の本人は「あはは、どこからしまえばいいか分かんなくて……」と床に座り込んでのんびり笑っている。鎌倉でのスマートなエスコートはどこへ行ったのか。こういう時の彼は、やっぱり手のかかる26歳だった。
「もう……私がやるから、亮はそっちの段ボール運んで!」
袖をまくり、テキパキと荷解きを始める。
テキパキと動く私を、亮は「咲さんさすが!かっこいい!」と尊敬の眼差しで見つめていた。その無邪気さに苦笑しつつも、作業を進めていく中で、私はふと手を止めた。
並んでいる彼の家具。……うーん、実家からもってきたのかな?
さらにキッチンへ回ると、本格的なスパイスの瓶がずらりと並んでいた。私はエスニック系のスパイスがあまり得意ではない。
(……へぇ、こういうのが好きなんだ。)
一人暮らしの男性の部屋に入ると、相手の「生々しい生活感」や「嗜好」が一気に見えてくる。
(まぁ、まだ26歳だし。男の人なんてこんなもんか……)
そう自分に言い聞かせながらも、私は段ボールを開ける手を少しだけ緩めた。
これ以上深く彼のプライドやプライベート領域に踏み込んで、見たくないもの(例えば、昔の女の残骸とか、見知らぬこだわりとか)まで目にしてしまったら嫌だ。
「よし! 大まかな片付けは終わったから、あとは亮が自分のペースでやりなよ?」
「えっ、咲さんもう帰っちゃうんですか? 一緒にご飯食べましょうよー」
「ううん、今日は頑張ったから疲れた! あとは一人で頑張るんだよ」
名残惜しそうにする亮の頭をぽんぽんと撫で、私は早々に彼の部屋を後にした。
しかし、事件(?)は引っ越し後の次の休日に起きた。
「部屋の小物や家具を買い足したくて……。僕、センスないから咲さんに選んでほしいんです!」
彼にそう頼まれ、私たちはIKEAへ買い物デートに出かけることになった。
……が、ここで彼の新たな一面が炸裂する。
彼は、かなりの優柔不断だったのだ。
「うーん……このクッションカバーも可愛いし、でもこっちのグレーも捨てがたいし……咲さん、どう思います?」
「えっと、リビングのソファがネイビ―だから、こっちの色の方が統一感あってお洒落じゃない?」
「あー!やっぱりそうですよね!うーん、でもなぁ……」
アドバイスを求めておいて、提案してもなお「う〜ん」と眉をひそめて悩み続ける。
私は買い物の決断が早いタイプだ。パッパと決めて次へ進みたい私に対して、彼はたった一つの小物を決めるのにも膨大な時間をかける。
(……ちょっと、遅くない……?)
広大なIKEAの店内を歩き回りながら、私の心の中に小さなイライラが積み重なっていく。
ようやく買い物が終わり、私が「今日は沢山買ってたから、引っ越し祝いも兼ねてご飯ご馳走するね!」とレストランに入った時のことだ。
席に着き、メニューを開いた私はいち早く決めて店員さんに注文を伝えた。
けれど、向かいの亮はメニューを食い入るように見つめたまま、一向に決まる気配がない。
「亮、何にするの?」
「う〜ん……このパスタも美味しそうだし、ミートボールも捨てがたくて……」
「お腹空いてるなら、両方頼んでシェアすれば?(笑)」
「んー……でも、両方食べたら太っちゃうしなぁ……」
(……女子か!!)
心の中で激しくツッコミを入れた。
26歳の男が、メニューを前に「太っちゃうし」と本気で悩んでいる。
鎌倉の夜、トイレに行っている間にスマートにお会計を済ませてくれていたあの頼もしい姿はどこへ行ったのか。
長引く優柔不断と、じっとメニューを見つめる彼の横顔を見つめながら、私は冷めかけたお水を口に含んだ。
「手がかかるけど可愛い年下彼氏」──最初はそう思えていた彼の言動が、少しずつ「ただの頼りない男」に見え始めていた
続く
