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3作目 第5章 完璧だった1日の不完全な結末

タクシーを降り、静かな住宅街に佇むマンションのエントランスをくぐる。エレベーターの中、鏡越しに視線が合うたび、真は愛おしそうに咲の手を強く握り直した。

​鍵が回るカチャリという音とともに、扉が開く。

​「どうぞ。……ちょっと散らかってるけど」

​「お邪魔します……」

​靴を脱いで上がった室内は、間接照明の柔らかい光に包まれていた。シンプルだが質の良い家具が並び、真の落ち着いた人柄がそのまま表れているような温かい空間。ふわりと香るルームフレグランスが、咲の緊張を優しく解きほぐしていく。

​「喉乾いたでしょう。何か飲む? ワインもあるし、温かいお茶もあるけど」

​「んー、温かいお茶がいいな」

​「了解。ちょっと座って待ってて」

​真がキッチンへ向かう間に、咲は深めのソファに腰を下ろした。少しずつ「彼のプライベートな世界」に足を踏み入れた実感が湧いてきて、心臓が再びトクトクと鼓動を早める。

​しばらくして、真がマグカップを二つ持って戻ってきた。咲の隣に腰掛け、カップをテーブルに置くと、ごく自然に咲の肩を引き寄せた。

​「……あたたかい」

​「お茶が? それとも俺?」

​「両方……かな」

​照れくさそうに微笑む咲の顔を、真はじっと見つめる。バーで感じたあの熱い視線。だけど今は、遮るテーブルもグラスもなく、吐息が届く距離に彼がいる。

​「咲」

​名前を呼ばれ、咲が真を見上げた瞬間。

​真の大きな手が咲の頬を包み込み、引き寄せられた。唇に、重なる柔らかい感触。

​「ん……っ」

​触れるだけの優しいキスから、咲が吐息を漏らすと、真は待っていたかのように角度を変え、深く、甘く吐息を奪っていく。咲の頭の中が真っ白になり、握りしめた真のシャツの生地にギュッと力を込めた。

​少しの間を置いて唇が離れると、真は咲のおでこにそっとキスをした。真の荒くなった息が、咲の唇をかすめる。

​「……今日、ずっとこうしたかった。我慢するの、限界だった」

​「真……」

​「咲のことが好きだよ。出会った瞬間から、ずっと惹かれてた。俺と付き合ってほしい」

​大人になってからの恋愛は、理由や条件を考えてしまいがちだ。けれど今、目の前にいる真の瞳にあるのは、ただ真っ直ぐな情熱だけだった。その純粋な熱が、咲の心に残っていた最後の壁を溶かしていく。

​「私も……真のことが好き。今日は、帰らなくてよかった」

​咲がそう呟くと、真は愛おしさを抑えきれないというように、咲を強く、強く抱きしめた。

​「もう離さないよ」

大人の余裕と情熱が入り混じる真の言葉に導かれるように、二人は静かにベッドへと向かった。

​ここまでは、完璧だった。

​ベッドに横たわり、真の手が咲の衣服をゆっくりと脱がせていく。熱を帯びた手つき、愛おしそうな眼差し。咲の胸が高鳴る中、身体を重ね始めようとしたその時、咲はふと違和感を覚えた。

​真が、自分のシャツを脱ごうとしないのだ。

​「脱がないの?」

​咲が少し不思議そうに尋ねると、真は困ったように眉を下げ、苦笑いを浮かべた。

​「……身体、鍛えてる訳じゃないから恥ずかしくて」

「暗いから大丈夫だよ?それに、私だけじゃ恥ずかしいよ」

「咲は綺麗だからいいの。集中したいから今日はこのままで……ね」

​どこか頑なにシャツを着たままの真。ほんの少しだけ引っかかりを覚えつつも、咲は「40歳だしいろいろ気にするのかな」と納得しようとした。

​気を取り直すように、真の愛撫が始まる。それは驚くほど丁寧で、優しく、そして長い時間をかけたものだった。咲の身体の反応をひとつひとつ確かめるように指先や唇が滑り、咲はあっという間に一度高みへと連れていかれた。身体が火照り、彼のすべてを受け入れる準備は完全に整っていた。

​(……真を感じたい)

​咲が求めるように熱い吐息を漏らし、いざ挿入の瞬間――。

​「あ……」

​……あれ? 入ってる?

​咲が心の中で首をかしげた、まさにその次の瞬間だった。

​真の動きが止まり、ベッドに倒れ込むような気配。

​……あれ?? 終わったの……?

​拍子抜けするほどのあっけなさだった。一瞬の出来事すぎて、何が起きたのか理解するのに数秒かかったほどだ。

​「……ごめん、咲。気持ち良すぎて……」

​真は申し訳なさそうに咲を抱きしめ、何度も頭や肩に優しいキスを落としてくれた。彼の愛おしそうな態度や、咲を慈しむ気持ちに嘘がないことは痛いほど伝わってくる。

​「ううん、大丈夫だよ……」

​咲も笑顔で真の背中に手を回した。

​彼の優しい言葉と丁寧な愛撫で、気持ちは確かに満たされていた。けれど、火照った身体は不完全燃焼のまま取り残され、どうしても誤魔化しきれない。

真の腕の中で静かな寝息を聞きながら、咲の心の中には、甘い余韻とともにポツリと小さな「引っかかり」が残る夜となった。

続く

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