2作目・第5章:一線の引き方
連休が明けた週末。私たちは駅近くのカフェで待ち合わせをした。
約束の時間の少し前、店内に入ると、既に窓際の席に亮の姿があった。
彼はテーブルの上に分厚く難しそうな参考書を広げ、真剣な眼差しでページをめくっている。いつもの無邪気な笑顔とは違う、働く大人の真剣な顔。
「亮、お待たせ。何読んでるの?」
「あ、咲さん! これから仕事で必要になりそうな資格を取ろうと思って勉強始めたんですよ。カフェで勉強久しぶりで新鮮です。」
へぇー、と感心しながら向かいの席に座る。
「すごい頑張ってるね。
ん?資格ってことは、試験はいつくらいに 受ける予定なの?」
「2ヶ月か3ヶ月後くらいですかね。だから、しばらく仕事と勉強でかなり忙しくなっちゃうかもです」
申し訳なさそうに眉を八の字にする亮。
その顔を見つめながら、私の中でパズルのピースがカチリとハマる音がした。
食の好みの違い。
連休中のすれ違い。
写真の中の知らない女の子。
そして、これから彼が向かう「忙しい日々」。
26歳。有名企業に勤め、これからどんどんキャリアを積んで、新しい世界を広げていく彼。
一方の私は、バツイチで10歳年上。彼の家族の輪にも入れず、彼の世界に本当の意味で寄り添いきれていない自分。
(……このまま一緒にいても、私は彼の邪魔にしかならない気がする)
嫉妬や不安を隠して大人ぶるのにも、少し疲れてしまった。
私は静かに息を吐き出し、穏やかな笑顔のまま彼に告げた。
「そっか! それならさ、試験が終わるまで一旦私たち距離置かない?」
「……え?」
亮の手にしていたペンがピタリと止まる。
「距離? なんでですか? 会わないってこと……?」
動揺を隠せない様子の彼に、私は優しく語りかけるように言葉を重ねた。
「うん。私もその間に色々考えたいこともあるし。仕事も少し忙しくなるしね。
亮もその方が勉強はかどるでしょ?
試験の日程が決まったら連絡して。
とりあえず今日は帰るね。」
「でも、咲さん……!」
焦ったように言葉を続けようとする彼を、私はそれ以上追及させないような柔らかい、けれど絶対的な雰囲気で制した。
彼は悪くない。一生懸命で、素直で、可愛くて、私を大切にしようとしてくれた。
けれど、彼と一緒にいる未来を描こうとすると、どうしても私が彼の足枷になり、私自身も傷ついていく未来しか見えなかったのだ。
好きだからこそ、邪魔になりたくない。
そして自分を守るために、これ以上傷つきたくない。
それが、私が引いた、10歳年下の彼に対する精いっぱいの「一線」だった。
次回最終回
