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高貴寺で始まったこと|空海を辿って|夜明けの読書室

午前4時。まだ世界が目を覚ます前の静寂の中で目を覚ます。
顔を洗い、うがいをして、水を一杯飲んで、庭に出る。
目を閉じ、鳥の声に耳を澄ませる。葉先の朝露に触れ、「生きている」という感覚が胸にじんわりと広がる。

音楽が加わる。グレン・グールドのバッハ。あるいはショパンのワルツ。ベートーヴェン、ドビュッシー……。
ひとつの音が、部屋の空気を少しずつ揺らしていく。
「ああ、今日もまた書ける」と、静かに心が定まっていく。

墨を磨る。無心になる。静けさがさらに深くなる。
まだ誰にも会わない時間に、すべてが整っていく――この上なく贅沢な朝だ。

【今回のテーマ】
空海を辿る旅の中で、すべてが始まった高貴寺での体験。

書道を始めた理由は、大好きな空海と、ひとつでも同じことをしたいという思いからだった。
それが、ある日、本当に空海が修行した場所に導かれるとは思っていなかった。

高貴寺との出会い

二年前の四月。
「空海を辿る旅」の第一弾として、京都から奈良、高野山、大阪をいったりきたり。
その途中で訪れたのが、高貴寺だった。

山あいのひっそりとした寺。空海が、世に出る前の雌伏の時を過ごした場所――。
門をくぐった瞬間、昼間だというのに空気が重く、肌が粟立つような感覚を覚えた。
整備の行き届いていない境内には、手書きの立て札がいくつもあり、「写真を撮らずに一句出せ」と書かれたものもあった。

高貴寺の外から

誰もいないと思っていたそのとき、向こうからひとりの僧が現れた。
Amazonの箱を抱えたその人こそが、住職・前田弘範氏だった。

「こんにちは」と明るく声をかけられ、僕も自然と挨拶を返した。
三脚を見た住職は、「ここ、写真撮影はご遠慮いただいているんです」とやさしく言った。
少し言葉を交わしたあと、「よければ、中で少しお話ししませんか?」と誘われた。

住職の教え

なぜこの寺に来たのか、空海を辿る旅をしている理由などを話しているうちに、話題は書道へ。
すると住職は、こう言った。

「では、一緒に書きましょう。」

その日、僕は住職と向かい合い、1時間半、ただひたすらに墨を磨った。
墨汁は絶対に使ってはいけない。そう教えられた。
筆を持つ前に、静かに無心になることが書のはじまりなのだと。

墨が整うと、書の作法を教えてくれた。
「下手に書け」――その言葉が、心に残った。

うまく書こうとするな。
書いていくうちに、自然に何かが立ち上がってくるから、あえて下手に、素直に書きなさいと。

さらに、「誰にも教わるな」とも言われた。
書とは、自分と向き合う時間であり、誰かの真似をするものではないのだ、と。

一本の線

住職の指導のもと、僕は長い半紙に三枚の書を書いた。
一枚目は、縦に一本の線。
ゆっくりと息を吐きながら、ただ一本の線を引く――それが最初の書だった。

書き終えると、囲炉裏で湧かした白湯をいただいた。
澄んだ山の水が身体にしみわたっていく。
白湯がこんなにもありがたくおいしいものとは。
その後も、濃密な対話の時間が流れた。

庵を出るとき、門の前にいた小さな日本犬が、僕をじっと見送ってくれた。
何も言葉はいらなかった。ただ、胸の奥で何かが確かに動いていた。

あのとき書いた、一本の線。
呼吸を止め、筆を入れた。
その線は、言葉ではなく、自分の「生の深さ」に触れるための道だった。

これが、僕の「夜明けの文藝室」の、最初の一文字となる。

たからもの

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