朝の音楽と「枯葉」
最近は、古いシャンソンのコンピレーションCDをよく聴いている。

一曲目は、イヴ・モンタンの有名な「枯葉」だ。
まだ真夏の盛りだというのに、早朝は少しずつ涼しくなってきた。もちろん、木々の葉はまだ青々としている。それでも、この曲を聴くと、季節はゆっくりと次へ向かっているのだと感じる。
思えば、「枯葉」という曲を意識したのは、キャノンボール・アダレイのアルバムだったような気がする。このジャズのアルバムは名盤中の名盤と言われていて、確か僕が生まれた年に発売されている。古いレコードが家にあって、それを覚えている。
解説は、ジャズ評論の大家・野口久光先生だったことも鮮明に覚えている。後年、レコード会社の社屋で先生をお見かけしたことがある。その姿には独特の風格があり、思わずしばらく見入ってしまった。言葉を交わしたのは、その後、一度だけお電話でお話しさせていただいたきりである。


もちろん、仕事では、自分が勤めていた会社からイヴ・モンタンのアルバムを発売していたので、シャンソンのことは昔から知っていた。そして、多くの人にとって「枯葉」といえば、やはりイヴ・モンタンなのではないだろうか。
あらためて聴くイヴ・モンタンの「枯葉」は実に素晴らしい。語るように歌いながら、一曲だけでシャンソンという世界へ自然に導いてくれる。今回は、そのシャンソン全体ではなく、「枯葉」という一曲だけに目を向けてみたい。
そして、もう一つ。
自分は六十八歳になった。
ありがたいことに、体力の衰えはほとんど感じていない。朝になれば走り、旅にも出る。それでも、鏡に映る自分は、もう青葉ではない。間違いなく、枯れゆく葉の側にいる。
だから、この曲に惹かれるのだと思う。
人は、季節を自分の人生に重ね合わせる。
若い頃は春や夏に心が向いていた。生命が満ち、未来へ伸びていく季節だ。しかし、今は違う。
秋がいい。
秋には静けさがある。成熟がある。そして、余韻がある。
「枯れる」という言葉も悪くない。そこには終わりだけではなく、自然の循環が含まれている。枯れるとは、やがて土へ還るということでもある。
もちろん、少し寂しさはある。
しかし、その寂しささえ、美しいと思える年齢になった。
さて、「枯葉」という曲も実に不思議な存在だ。
フランス語の原題は Les Feuilles mortes。直訳すれば「枯れた葉」、つまり「枯葉」である。アメリカでは Autumn Leaves(秋の葉) というタイトルになり、日本では「枯葉」と訳された。
日本語の「枯葉」という響きは、なんと美しいことだろう。
そして、この曲はアメリカでジャズ・スタンダードとして新しい人生を歩み始めた。
シャンソンでは詩が人の心を打つ。しかしジャズでは、歌詞がなくても旋律だけで人を魅了する。
ビル・エヴァンスは同じアルバムで「Autumn Leaves」をふたつ収録している。同じ曲でありながら、まるで違う景色を見せてくれる。
それだけ懐の深い曲なのだろう。


今日は、イヴ・モンタンからビル・エヴァンスまで、さまざまな「枯葉」を聴いている。まだまだある。ディジー・ガレスピーにもある。
季節はまだ夏だ。
それでも、僕の心には、少しだけ秋の風が吹いている。
