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▲09. 一体山へ何を持っていくのか?〝遊歩大全〟



手ぶらで登るか、家を担ぐか?

 「日帰りハイキングに何を持っていくのか?」
 と、ググってみるとその装備品があれこれズラ〜と出てくる。ウェア、シャツ(長袖)、雨具、パンツ、防寒着.着替え、帽子、靴下、手袋、ザック、行動用具、ヘッドライト、登山シューズ、水筒、行動食、時計、地形図・資料コピー、ビニール袋、コンパス、ティッシュ、トイレットペーパー、タオル、計画書、非常用品(薬品)、スマホ・携帯、ホイッスル等など、慎重な方はまだ、あれこれと携帯品を紹介してくれます。そして、その一つ一つをとっても、機能性の違いや価格・グレードの違いなどがあり、いく先のコース状態や天候に合わせて考えだすと、これは大仕事になってきます。しかしまあ、この準備がワクワクして一番の楽しみだと言われる方も多い。確かに明日、歩いている自分を思い浮かべながら、これを着ようとか、これを持って行こうとかいう、前日の高揚感はたまらないものがあります。

コリン・フレッチャー著 遊歩大全(左:1998年版 右:1978年初版)

〝遊歩大全〟歩きや装備は主観的なものだ

 ウォーキングの大きな枠づけ(プランニング)をするために〝設計図〟と称して、コリン・フレッチャーは、バックパッキング(BP)用具(市場状況から価格まで)、その重さの目安、歩ける距離、体調管理など〝家を背負って〟と題して「遊歩大全」に事細かく書き記しています。その装備の多くは1週間にわたるロングトレイルを前提としたものだし、用具や衣料に関しては時代の違いもあって、その細かな内容をそのまま紹介したとしても、現在の日本での裏山ハイクに当てはめても無理があります。しかし、それぞれのグッズに対しての一つ一つの含蓄のあるコンセプトは大いに学べるところです。機能性が究極まで追及されたモノが多様にあふれている現代においてこそ、逆に、この古典的な本から学ぶことが多くあります。
 フレッチャー自身が、〝装備をはじめ、歩き方とは、もともと主観的なものだ〟と断言しています。道具にしても自分の目で選択して、決定し、工夫したり使い込んでいくことに価値があると言っています。自分らしく歩くことを目指した人ですから、他人が作ったようなチェックノートには関心も興味もなかったようです。書き出しにはこうあります。

 日帰りのウォーキング(ワンディ・ハイク)では、装備、テクニック両面とも、それほどの難問は登場してこない。必要と思ったものは全部ポケットに詰めこめばいいのだし、腰か肩に小さなポーチをつければ、その中にいろいろ詰められるから、いっそう便利になる。必要と思いながらも残していかなければならないものが出てきても、心配はいらない。なんといっても、その日のうちに家に帰りつけられるのだから。
 ところが一晩といえども外で夜を過ごすとなると、快適に眠るためには何らかの〝家を背負って〟行かなければならなくなる。

コリン・フレッチャー「遊歩大全」まえがき

秤(はかり)をもって、買い出し?

 私もすっかり歩き慣れて、日帰りハイクなどは(師匠のような)ラフな歩きです。散歩用の靴で、必要なものはポケットかポーチに詰め込んで、裏山をのぼることも多い。たまに夏場などにペットボトル2本で済むだろうという安易な思惑が外れ、途中で水分切れするようなミスがあるけど、たいがいはそんな感じで大きく困ることはない。
 しかし、歩き始めた頃は、たとえワンディ・ハイクであっても、何がどれだけ必要なのかが予測もできず、不安が先にたった。神経質になって、ガイド本を買って調べ、これもあれもと、それこそ〝家を背負う〟ような装備で日帰りハイクに出かけていた。その体験を積み重ねていく中で、何が必要で、何が不必要なのかがやっと分かってくるのです。
 そして、一泊・二泊の山行になってくると、不必要なものは出来るだけ省き、必要なものでもとことん〝重さ〟を削るようになります。とにかく〝背中の家〟を軽くてコンパクトなものにしなくては、〝歩き〟の自由度が落ちてしまうのです。フレッチャーも〝重さ〟にはずいぶんと神経をとがらせます。
 BP道具を仕入れる時には、商品重量が明記されていない商品があると困るので、彼はショップに手秤をもっていくのです。テントやシュラフなどの商品は重量表示をしているでしょうが、シャツやショーツには重さまで表示されていません。2社のショーツの重さを比べようと秤を出した時の店員さんのうろたえぶりも書いています。(そこまでやるのかい!)まあ、確かにg単位で削っていかないと、半kg・1kgと軽くしていけません。

コリン・フレッチャー著「遊歩大全」表紙より

いったい何kgを担げばよいのか?

 ついでに、フレッチャーはどれほどの重さの家を背負っていたのかといいますと、おおよそ体重の3分の1が楽しく歩ける重さの目安だといっています。グランドキャニオンなどの1週間ほどのロングトレイルで、出発時で30kg強(終盤には半分以下に減っていきます)とのこと(本人体重88kg)。確かに食料や水分が減ってくるのをアテにして、私らも体力配分は考慮していました。それにしても、やはり出発時が最悪だとフレッチャーも嘆いています。
 「初版時の1968年に、すでにBP用具の開発は混乱と興奮の状態だった」とも書かれているように、米国ではBP用具(日本では登山用具・アウトドア道具というのでしょう)の爆発的な商品開発が始まっており、次から次へと新商品が生まれておりました。それ故に、製品の良し悪しを本に書いても意味がないと当時の著者本人もそう言っていますし、現代においては尚更です。日進月歩で軽くて機能性の高いものがドンドンと生まれてきます。いちいち、こんなモノが良いですよと紹介していても、とうてい追っつくものではありません。人それぞれに合ったものを、自分の好みで選んでハイキングに持っていただく他ありません。
 私からのお薦めグッズ。数ある必携品の中でも、日帰りハイクではつい忘れがちの〝ライト〟でしょうか。

必ずライトは複数、持っていきましょう。

 日帰りハイキングであっても必携品です。手で持つタイプではなくハンドフリーのヘッドランプがオススメですが、ペン型でもアクセサリータイプでも、ライト系は何か一つはできれば複数は携帯しておきたいです。
 ワンディ・ハイクでの不測の事態はいくつか想定できますが、そのうち怪我・事故はさておいて、案外と日没などのサスペンデッドな状態までイメージできる人は多くありません。たいがいプラン通り歩いていけば、明るい内には下山できると思いがちです。夏場なら、日没から1時間以上は明るいはずだし、滅多なことで暗くなって動けなくなるということもないでしょう。
 しかし、実際のところ山中で明かりを失うということになれば、これは全く辛い状態に陥ります。一人きりであれば尚更、精神的にもタイトでパニクって遭難ってこともあります。人は行く先が見えないことほど不安なものはありません。都会の夜道と違って山渓での夜は月が出ていないと漆黒です。(月があっても樹林の底まで届かない)日帰りハイクでは、そこまでの事態になったことはありませんが、一度、キャンプの合流に遅れ、黄昏時にヤブの急斜面を頭にライトを付けて登ったことがあります。ヤブに阻まれて思ったほどペースで登れず結局、斜面の上部あたりでは、完全な闇に包まれました。その時、突然ヘッドランプが消えて明かりを失ったことがありました。
 その時は、もう泣きそうな気分です。一歩踏み外せば崖に転落するのじゃないか、イノシシの巣に突入するのじゃないか、さすがに手探りだけで進むのは諦めました。予備のペン型ライトを探し出して、何とか尾根道までを辿ることができました。か細い光源でしたが、見えるということは心強いものです。山中泊に慣れてくると、光源も電気系の光源が最低3つ、ロウソクのミニキャンドル、ガスのランタンとしっかりと多様なものを確保ができるようになりました。
 フレッチャーの頃から考えると、数多くの用具が軽量化・機能化で夢のような進化を遂げています。冬山をあまり知らない私には、極寒期のウェアやシュラフの猛烈な進化の歴史をうまく語れませんが、低山派として、ここ数十年に革命的な進化で恩恵を強く感じるモノと言えば、LEDがもたらしたライト系のグッズだと断言できます。とにかく明るく、耐久性があり、コンパクトで電池の持ちが良い。電池の数・バッテリー持続時間などに気を使うこともなくなり、ほとんど負荷のかからない装備となりました。
 ということで日帰りハイキングでも不測の暗闇に襲われることがあるかもしれせん。その時の不安を取りのぞいてくれる灯り・ライトを必携品にオススメいたします。日常生活で、もち歩いていても役に立つことが折々ありますので、その延長線上でよいと思いますので是非一つ(出来れば2つ)は持っておきましょう。

 LEDによって革命的に進化したライト系のグッズ

「スマホにもライトが付いているだろう」

 圧倒的な機能性をもったスマホおよびGPSアプリは、時計や距離・高度の計測器としても、写真やルートの記録、天候・気象情報を得るにもとても有効です。その他にも、目の前の山並みにかざすだけで、その画像に山名や標高が現れるアプリや夜には星座名も表示してくれるものもある。ヤブ蚊を撃退する周波数をだすアプリもあるし、こいつ一台でかなりのものが代用できるようです。
 フレッチャーは、同じ詩歌でも、家で読むのと違って、ウィルダネス(荒野)の夜空の下で読むのを楽しみにしていました。そんな詩集や小説、資料本や植物・昆虫図鑑も持っていくならば、〝歩き〟の味わいももっと深めてくれる、いわゆる〝精神用品〟だと彼が呼んでいたものですが、やはりその重さに挫けて、書籍類の多くは割愛せざるを得ません。しかし、スマホがあれば何百・何千冊分の情報を詰め込んで持っていくことも苦もなく可能です。重量に換算すれは一体何kg、何十kgを代替してくれるのでしょう。当時ではまったく夢のような話なのです。
 現代であればコリン・フレッチャーは、この千人力の小さなデバイスをどういう風に見て、どう扱うのでしょうか?気になるところです。便利すぎるスマホ(文明)は家に置いていくと拒否していたかもしれません。が、おそらく彼のことです、バリバリと使い倒して、わがモノとしていたことは間違いないでしょう。
 フレッチャーのオススメ品には、必ず「もし君にそんな体力があるなら・・・を」「もし君に地形を読む想像力があるなら・・・を」「君にそんな感性があるなば・・・を」などと、必ずダメ出し条件が加わります。その上で、使い方を懇切に説明してくれるのですが、スマホならどういう口調で紹介してくれるのか想像するだけでも楽しいです。
 ウィルダネスでは、まず〝野性の力〟が試されます。自分の体力を推し量る、地形を読む、天候を読むなどなど、生き物がもつ本来の力と経験を土台にして、行動が決まっていきます。そういった基礎的な積み重ねがないまま、デバイスやアプリの機能性を頼りに、自然のフィールドに立ち入ることは、逆にそれに振り回される危険性もあるでしょう。フレッチャーも最後に「もし、これがバッテリー切れになったり、紛失・壊れた時のことを想像しなさい」と言って、無条件にはオススメはしてくれないでしょう。あくまで二次的な必携品・予備グッズとして考えたいものです。
 スマホがあれば歩けるが、なければ歩けない。そんな人には〝山歩きの醍醐味〟など、なかなか味わうことができません。
〈2019年9月13日掲載〝遊歩のススメ〟より転載〉

★現在、コリン・フレッチャー伝を執筆中、お楽しみに。


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