〓メモ.16〝明日への胎動が始まる3〟
編集部は元気に旗揚げした。それから12年も経っているが、この雑誌の実名は匿名のブログという場でもあり、ここでは伏せておきたい。「R誌」と呼んででおこう。私が書いた文章以外は極力、引用しないように努力していますが、はみ出して借用した文なり写真があれば平に御容赦願いたい。(noteでの追記:30年経った。雑誌の写真も合わせてこの〝note〟に転載したので、許される範囲で実名を記す)
「R誌(リ・セット)」の原本1号から6号までを手にとって、12年振りに読みかえした。今でも込み上げる興奮で身震いがする。これは、とうてい私たちが作り上げた本ではないような気がする。こんな凄いパワーがあったはずがないだろう。
何かが、たまたま私たちに乗り移って、あれよあれよと私たちを操って創り上げたとしか思えない。実際のところ、編集が始まって、印刷所から届いた創刊号1万冊を目の前にするまでの間、記憶が定かでなく、メモを見てもよく思い出されないのだ。
とにかく創刊に向けて、五つのコンセプトを詰め込んだガイド版を手に、口コミ、手コミ、コネコミ、ポスター、チラシ、パソコン通信、マスメディアも利用しつつ西奔東走して、原稿や情報を募った。そして「リ・セット神戸」ではなく「R西宮」「R尼崎」「R大阪」「R東京」が生まれるよう心から訴えた。
特にインターネットの前身であった〝パソ通(パソコン通信)〟がその速さ、情報処理の軽快さで力を発揮した。私たちもこのリ・セット専用のHPを立ち上げ(HPと言っても現在のホームページではなく、NIFTYのホームパーティですが)より広く、より多くの情報交換を可能にすることができました。
人の輪はみるみる内に広がり、様々な情報や原稿が集まりはじめ、いろんな形の活動・共同事業の芽となるような提案や企画が持ち込まれるようになりました。たしかNIFTYで震災(情報)ボランティアフォーラムが立ち上がったのもこの頃だった覚えている。
パソ通大手3社(NIFTY、PC-VAN、People)をはじめ、インターネットのニュースグループを介してBBSが同じ会議室を参照できたということも起きた。閉じていたサーバがオープンに繋がっていく。時代がそういう時代であったのだが、震災の経験がインターネットを急速に現実化へと引っ張っていったことも事実だと思います。
後日譚:当時、試運転中であった神戸外大のサーバにあった神戸市のホームページで、芝教授が機器を修復して、17日の夜から震災情報の発信をはじめたと聞いている。
東京にも震災情報誌・リセット社が誕生した
救急車や消防車、自衛隊よりも早く現場へやってきたのは、マスコミのヘリでした。それも半端な数ではありません。飛ばせるヘリを総動員して各社合わせて何十機やってきたのでしょうか。私たちも下から見ていて、消化剤を撒くなり、物資を落とすなりできないものかと苛ついたものでした。
しかし、現実はこのヘリからの映像と情報をTVでモニターするしかなかったのが行政(国や地方)であり自衛隊でした。(何と情けないことですがテレビ報道で状況判断していたのです)そういう意味では震災の第一次報道は、大きな意味がありました。この反省をもとに様々な防災上の施策が講じられました。インターネットもその目玉でしたが、その成長・発展は凄まじく、今日のスマホ社会を見れば隔世の感があります。
話が逸れてしまいましたが、私たちへの共鳴者が増える中に、東京で出版事業を営むKさんより全面支援の申し出がありました。ちょうどその日、解体工事のゴミが目に入り病院をさがしてウロウロしている時、たまたま避難所の看護室に眼科の先生がいるとのことで手当てしてもらった直後でした。のちに彼女が「リセット東京」を立ち上げることになるのですが、その経緯を第二号の「リセット東京」へ寄稿した文で紹介したい。

「遊歩大全」のC・フレッチャーが自著で紹介したばかりに、神秘の地「ウィルダネス」は多くの人に踏み込まれ、環境汚染を産んでしまう。果たしてそれで良かったのだろうか?と彼は悩む。しかし、親しい友人の助言で彼は思いきることが出来るのだ。その助言とは・・「神秘の地」に足を踏みいれた者でしかウィルダネスの素晴らしさは分かり得ない。そして、それを実感したものだけが、本当にウィルダネスを守ることが出来るのだ・・・。
という引用文を以って「何かしたいが、神戸に行くと迷惑になるから」と神戸に足を踏み入れるのを躊躇している友人にメールを送った。
「そんな馬鹿な!あなた自身のために神戸へ来るべきだ」と。
〔中略〕外から何が出来るのか? 内からは外へ何を望むのか? 戸惑いがひろがりつつある頃、東京のKさんより初めての電話をいただいた。おりしも眼を痛めてウロウロしている時だった。道路にしゃがみ込んで、ヒシヒシと伝わる温かい励ましの言葉に、感激なのか眼のゴミの痛みなのかとにかく目頭が熱くなった。
それまでにも知らない方々から幾度か励ましのお言葉を数多くいただいた。その度に雑誌を抱え先行き不安な私たちは、大きな元気をいただいた。本当に感謝いたします。しかし、ついでにごう慢な本音を言わせていただくなら、私たちのためにリセットボタンを押すのではなく、あなた自身のためにそのボタンを押していただきたい。
それをKさんにも伝えた。その思いが通じて、数日後「リ・セット東京」の誕生を聞いた。第二号より編集にも参加していただけることとなった。こちらと同様「リ・セット東京」と言っても彼女の個人的な作業となる。大変なお荷物を背負わせてしまったようで申し訳ない。とにかく神戸に赴くことなく東京発信でけっこうですからと、編集内容は殆ど向こう任せにしてしまった。
東京と神戸のズレはしかたない。ステレオのように両方から違うトーンの音色が流れてくるかもしれない。しかし、それで各々が聞こえなかったこと、見えなかったことが、はっきり浮かび上がってくるかもしれない。
東京では3月に〝大きな事件〟が起きることとなる。
【1995.1.31/震災15日目のメモ】
とにかく寒い朝。
○会社/
電気が回復。社長の顔が元気だ。
多くの同僚がいた別館のワンフロアを2人で使う。
スタッフ会議、原稿の分担、資料の収集。
原稿がそろい始めた。
○実家/
コンビニが回復しつつある。まだ御飯類、牛乳が少ない。
避難先の京都に電話がつく。罹災届などの連絡を。
Cから大量のFAX。編集案をいただく。
〔略〕
〈2007年2月2日初稿〝遊歩のススメ〟より転載〉

(U氏撮影/日時不明)

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