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コンプレックス|心理学用語より⑥


私のコンプレックスは、人見知りで話下手なところです。

でも、今回話したいのは、その意味でのコンプレックスではありません。

臨床心理学の一領域では、コンプレックスは無意識の中にある感情や記憶、

価値観などが結びついた「感情の塊」のようなものとして考えられています。

例えば、誰とでもすぐに打ち解けて距離を縮められる人を見て、胸がざわつく。

羨ましさを感じたり、反発したくなったり、理由の分からないモヤモヤが湧いてきたりする。

これは実際に私が感じるコンプレックスです。

では、この感情の正体を少し解き明かしてみましょう。




イメージ例:職場の歓送迎会


あなたは職場の歓送迎会に参加しています。

周りにはまだあまり話したことがない他部署の人や、新しく入ってきた人がいます。

あなたは「失礼のないように」「場の空気を乱さないように」と言葉を選びながら挨拶をし、少しずつ会話のきっかけを探しています。

そんな中、同期のAさんが遅れてやってきます。

会場に入るなり、まだ数回しか会っていない上司に「お疲れ様です!今日めっちゃ暑かったですね」と笑顔で話しかけ、そのまま隣に座ります。

初対面の他部署の人にも「そのネクタイ、おしゃれですね。どこで買ったんですか?」と自然に声をかけ、あっという間に周囲と打ち解けています。

その光景を見た瞬間、あなたの中で複雑な感情が湧き上がります。

「いいな。あんなふうに誰とでも仲良くなれたら、生きやすいだろうな。」

そう思う一方で、

「あんなに馴れ馴れしくて大丈夫なのだろうか。」

「少し配慮に欠けるようにも見える。」

そんな批判的な気持ちも顔を出します。

さらに周りの人がAさんを楽しそうに受け入れている姿を見ると、

「慎重に関係を築こうとしている自分の方が、冷たくて不器用な人に見えているのではないか。」

そんな焦りまで生まれてきます。




なぜコンプレックスが作動するのか


このとき、無意識では二つの気持ちがぶつかっています。

「もっと自由に人と関わりたい。」

「でも軽々しく距離を縮めるのは失礼だ。」

自分は「ちゃんとした大人であるために」とブレーキを踏みながら慎重に歩いている。

その横を、Aさんはブレーキなど存在しないかのように軽やかに走り抜け、周囲から受け入れられている。

その瞬間、自分が自分に課している制限を突きつけられたように感じる。

この感覚こそが、コンプレックスという「感情の塊」が反応した瞬間なのだと思います。



どう捉え直すのか


臨床心理学では、コンプレックスは消すべき欠陥ではなく、自分を知るための重要なメッセージだと考えます。

距離を縮めるのに時間がかかるのは、相手との関係を雑に扱わず、丁寧に育てようとする誠実さの表れでもあります。

そして、ほんの少しでも「あんなふうになれたらいいな」と思う気持ちがあるのなら、それは「もう少しだけ境界線を緩めてみたい」という自分自身の願いなのかもしれません。

誰とでもすぐ仲良くなれることは、一見すると魅力的な能力です。

一方で、じっくり時間をかけて信頼関係を築くことにも、大きな価値があります。

どちらが正しい、どちらが優れているという話ではありません。

人間関係への向き合い方が違うだけです。

そう捉え直せるようになると、自分を否定する必要も、相手を否定する必要もなくなっていきます。




コンプレックスだけでなく、臨床心理学には「治すこと」だけを目的にしない考え方があります。

精神疾患への支援でも、「完治」だけではなく、自分の特性を理解しながら、どう社会に適応していくかを大切にしています。

「治す」のではなく、自分を受け入れる。

この考え方は、心理学に限らないのかもしれません。

私自身これまで、漠然とモヤモヤした感情を抱え、何か上手くいかないなと思うことが多々ありました。

そんな私にとって、この考え方は宝物なんですよね。




おまけ


※この記事のイメージ例は、以下のプロンプトをAIに入力して作成・検討したものです。

「」内を書き換えれば、自分自身のコンプレックスについて考えるヒントになるかもしれません。

私は苦手な人の特徴を「」に記入しました。

【使用したプロンプト】

臨床心理学のコンプレックスについて教えてください。
「誰とでも仲良くなれるような、すぐに距離感を詰める人」への
コンプレックスは、どう解釈できますか?
なぜ作動するのか。どう捉え直すのか。
これらを含めた具体的なイメージ例にしてください。




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