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二度見した

 当面断筆することを続けてきた。書きたくなったら、というか、その気もわからずにいつの間にか書いてしまう。推敲もしない。今まではそうであったから、断筆してきた。
 今回書きたくなったのは理由がある。同じ映画を二度も見てしまったからだ。映画などこの半世紀の間に片手にも入らないくらいしか見たことがない。映画を見るようになったのはごく最近になってからだ。夫婦とも子育てを終え高齢者となり、二人とも働いてはいるが休日が一緒になることが増えた。時には国東に仏跡を、くじゅう阿蘇では景観を巡り、日帰りで時節の花を愛でることもある。映画を見ようかとなったのも、そんな休日の過ごし方の一つにすぎない。 
 私は作られ過ぎた作品には嫌悪する。サスペンス、宇宙もの、バイオレンス。一度、小説で好きだったので、どう映画化をするのか見たくなって、「居眠り磐音」松阪氏主演を見て非常にがっかりした覚えがある。映像化するには池波正太郎作品のように、映像化を想定して書かれていないと、違和感を生じる。そんななかでも、藤沢周平氏の作品を映像化したNHKの三屋清左衛門残日録(仲代氏主演)は見事だった。原作の世界観をそのまま醸し出し、朗読を聞いているように映像が流れたのを覚えている。居眠り・・・で失敗したのでその後映画から遠ざかっていたが、夫婦の閑な時間を潰す過酷な試練から逃れるため、気楽に見れるだろう気持ちで、孤独のグルメを見た。松重豊氏監督主演のこの映画は見事なものだった。楽しい時間を過ごせたことに感謝したい。コンテもコマおくりも、配役も、終わりも良かった。その流れで見に行った、室町無頼は、残念なものだった。
 今回の国宝は二度見した。最初見た後、しばらく余韻が続いたし、もう一見たい欲求がどうしても抑えられなかった。
 景色でも、花でも、人は美しいものに惹かれる。
 歌舞伎はもともと好きな演劇だった。歌舞伎座には当日券の中に一幕券があって二階席からだが、一幕を見ることができた。お金がない若いときだったので、時々しか行けなかったが、一幕をみて、出ずに次の一幕をみたこともあった。九州に戻って仕事で東京出張のおり、時間があって、歌舞伎座の一幕を見たこともあった。
 宮崎にいたころ。懇意にしてもらった病院長先生に誘われて、歌舞伎宮崎公演を見に行った。その時、藤娘を中村扇雀(のち人間国宝坂田藤十郎)が躍った。あの時の感動はいまだにある。現在風の表現なら、ぴちぴちの若い娘が躍動して踊っているのだ。美しい着物に藤の枝をかざして光の中で煌めいている。その美の世界にいつの間にか引きこまれている。時間と存在と現実から、全く別の世界のような美の時空。そのあと人間国宝の中村歌右衛門が累ヶ淵をやったが、できればもっと別の演目をやって欲しかった。美しい娘をやって欲しかった。どちらにしても女形の演技の美は画像や写真では味わえないと思う。舞台上のその美を発見してしまえば、なんともいいのだ。いい景観を見て、美しい花をみて感激するのと同じ。 人は美しいものには惹かれるのだ。
 昔々のことだが今妻になっている人は、それは、それは、美しかった。身長こそ平均以下だが、均整はとれ、顔立ちは平家の落人の血をひいてか、いわゆる瓜実顔のまさしく均整の取れた美人だった。吉永小百合、大空真由美、宮崎美子? 私の主観のことで、どうでもいいが、とにかく美しいものは惹かれるのだ。
 映画の中に出てくる美を追求する芸道の厳しさ。血縁が全ての歌舞伎の世界にあって、努力で頂点に向かう姿がいいのは当然。何より画像が素晴らしい。カメラワークが際立って素晴らしい。美の世界を最高の状態で表現している。ストーリーよりその美の世界観がいい。なんといっても、横浜流星、吉沢亮の演技、特に、歌舞伎の演技が出色。一年半稽古を続けたという努力に、芸道に生きる人の心根に驚嘆するしかない。
 嫡子より部屋子の芸が上手であると、横浜流星が上手だが少し堅く踊り、吉沢亮が同じ踊りを流れるように踊る。圧巻は曽根崎心中最後の場面。壊死した足に顔をつける吉沢亮、同じく足を掴まれた横浜流星。足の先には感触がない。足首までさすってしか感触が届かないであろうことが、当事者二人しかわからないが、わかってしまえばもうこの先はない。最後であること知ってしまう。花道を片足は義足、もう片足の先は壊死してもう立つこともできない。引き上げ、縋りながら二人で渾身の力を込めて逃げ行く場面を終え、限界を越しているにも関わらず、「最後までやるだろ」「あたりまえだ」。友としてライバルとして切磋琢磨し続けた二人の関係。美しく最後までやり遂げる形で終ること覚悟した時だ。そしてすべてが終わった舞台上、幕の内側の二人は、舞台上の演目をやり切った安堵と、友としてライバルとしてきた共演が終った悲しみに落ちてしまうのである。
 血縁がなくて大看板になった坂東玉三郎をつい髣髴したのは私だけかもしれない。血縁でなくても、芸の上手で看板になれるように、歌舞伎界も進化して欲しいものだ。いま、花の役者が見つからない。昔は中村歌右衛門、中村吉右衛門、坂田藤十郎が素晴らしかった。つい比べてしまうのだ。鮮明に残る美の残像は簡単には消えない。だから更なる美をまた見つけていきたいと思う。

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