「見る観光」から「走る観光」へ ― 自治体観光政策の転換点
日本の観光政策は、これまで「観光地を訪れる」「景観を見る」といった受動的な観光形態、いわば“見る観光”を中心に展開されてきた。しかし、人口減少・価値観の多様化・モビリティ革命という時代の転換点に立つ今、観光のあり方も大きな変革を迫られている。観光庁が掲げる「観光立国推進基本計画」でも、地方誘客・持続可能性・体験価値の創出が強調されており、観光はもはや“見る”ものではなく、“動く・感じる・参加する”ものへと進化している。
その象徴的な形が、「走る観光」としてのモトツーリズム(Motorcycle Tourism)である。筆者がこれまでスポーツツーリズムやアドベンチャーツーリズムの研究を通じて明らかにしてきたように、モトツーリズムは地域の風景・文化・人を“移動の体験”として再発見する観光の新しい地平を切り拓いている。
1.「走る観光」がもたらす価値転換
従来の観光は、目的地に“行く”ことを前提として設計されてきた。名所旧跡、テーマパーク、温泉街といった「点」の観光地に、観光客が集中する構造である。これに対しモトツーリズムは、“行くこと”よりも“走ること”そのものを目的化する。つまり、観光の焦点が「目的地」から「プロセス」へと移行するのだ。
この「走る観光」では、移動の道程が体験価値の中核となる。風を感じ、四季の移ろいを体で味わい、地域ごとに異なる景観や人との出会いを積み重ねていく過程こそが、観光の本質的な喜びとなる。地域側から見れば、観光資源の中心が“場所”から“道”へと拡張され、従来「通過点」とされてきた農村・漁村・中山間地にも新たな観光機会が生まれる。
2.「走る観光」を支える自治体戦略
「走る観光」を推進するには、ハード・ソフト両面の戦略が求められる。
第一に、走行環境の整備である。安全な道路インフラ、ライダー専用駐輪場、給油・休憩施設の充実はもちろん、英語・中国語など多言語対応のルート案内が必要である。
第二に、地域資源の再編集だ。単に“走りやすい道”を示すのではなく、「走る意味」を物語化することが重要である。例えば、「瀬戸内海を望む絶景ルート」「里山の暮らしを感じる古道」「文化遺産をつなぐ街道」など、地域ごとのテーマを設定し、ツーリングそのものをストーリーとして提供する。
第三に、人材育成と地域連携の仕組みづくりである。観光協会、DMO、ライダー団体、整備業者が連携し、「地域公認モトツーリズムガイド」などの育成制度を導入すれば、安全性の向上と地域理解の深化を両立できる。筆者の調査によれば、こうした地域内ネットワークの有無がモトツーリズムの経済波及効果を左右する。
3.地域経済循環と観光の再定義
「走る観光」は、単に移動を楽しむだけでなく、地域経済の新しい循環モデルをつくり出す。ライダーは宿泊・飲食・燃料・整備といった幅広い消費行動を伴い、地域事業者との接点を増やす。とりわけ中高年層ライダーは消費単価が高く、地域にとっては“高付加価値型観光客”である。
また、走行体験を通じて地域のファン化が進み、再訪や移住につながるケースも少なくない。これは単なる観光消費ではなく、「関係人口」の形成であり、自治体の持続可能な地域経営に直結する。観光を「一過性の来訪」ではなく、「継続的な関係性の創出」として再定義する契機となるのが、まさにモトツーリズムなのである。
「見る観光」から「走る観光」への転換は、観光の本質を「消費」から「共創」へと進化させる動きでもある。自治体はこれを単なる趣味的ツーリズムではなく、地域戦略として位置づけるべきだ。
観光立国を目指す日本において、“道そのものが観光資源となる地域”をいかに増やすか。それは、地域経済の再生であると同時に、風景・人・文化を未来へつなぐ新しい観光哲学の実践でもある。いまこそ自治体は、「走る観光」を通じて地域の魅力を“体験として走らせる政策”へと転換すべき時である。
文責:林恒宏(岡山理科大学経営学部教授)
(一社)モトツーリズム推進機構のサイトはこちら
