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「フルタイム・フルコミット」の終焉:仕事より家族が優先される時代

会社の同僚と飲みに行くようなことはなく、友人や家族との時間を優先するような人が増えたという実感は、多くの人が感じていることでしょう。それは一方では寂しいことのようにも思えますが、他方では抗えない時代の変化でもあるでしょう。

家族を顧みず、会社の人付き合いばかりに精を出していれば、家族関係は悪くなります。700万年に及ぶ人類史というスケールでは、人間はそのほとんどの時代を家族や友人(第一次集団)とだけ過ごしてきたわけです。仕事の同僚(第二次集団)という存在の歴史は、農耕社会の誕生以降、せいぜい1万年程度しかありません。

現代社会における「仕事の時間」と「家族との時間」。これらは避け難くトレードオフの関係にあります。そのバランスの取り方は、きっと、時代とともに変わっていくのでしょう。


COVID以降、従業員の「家族優先」が強まったと言われます。人事担当や現場マネージャーとして重要なのは、それを単なる価値観の変化として捉えるのではなく、実証研究に基づいて構造的に理解することだと思います。本稿では、近年のワーク・ファミリー・コンフリクト(WFC)に関する研究動向を中心に、この変化が人事的な実務に何をもたらすのかを整理します。


■ ご紹介する論文:Schnettler et al.(2024)

Family-to-work conflict linked to psychological distress and family life satisfaction during the second year of the COVID-19 pandemic in dual-earner parents with adolescents. Frontiers in Public Health, 12, 1476549.
DOI: 10.3389/fpubh.2024.1476549

本研究は、共働き世帯860組を対象に、家族から仕事への影響(family-to-work conflict)を分析した信頼性の高いものです。特にCOVID-19以降の状況に焦点を当てている点が特徴です。

主な結論

  • パンデミック以降、家族側の要求が有意に増加

  • 家族から仕事への影響(family-to-work conflict)が強化

  • 結果として、仕事よりも家庭が意思決定に強く影響する構造へ変化

家族側の要求の強さは、統計的には中〜やや強い効果量(β ≈ 0.30)で心理的苦痛や生活満足度に影響を与えています。この効果量(影響力)は統計的に「中〜やや強い」水準です。これは、「リーダーシップの質が業績に与える影響(β = 0.25〜0.30)」や「従業員満足度が顧客満足度に与える影響(β ≈ 0.30)」に匹敵する数値です。

企業経営において、これらは「あれば好ましいもの」ではなく「成否を分ける決定的な要因」として扱われます。家族の問題も、もはやそれらと同等の優先度で向き合うべき経営課題なのです。

この研究で重要なのは、明らかになったのは従業員たちの「家族を大切にしたい」という主観的意識ではなく、実際に従業員の家族が、仕事に制約を与える力が強まっているという点です。


■ 関連研究との整合性

この結果は単発のものではなく、複数の近年研究と整合しています。

例えば、Shockley, K. M., et al. (2021)なども、COVID期の共働き夫婦(米国)において、家庭責任(家族ケア)が増大し、それによって労働時間の再配分、ストレスの増加、生産性への影響を確認しています。

Shockley, K. M., et al. (2021). Work-family strategies during COVID-19: Examining gender dynamics among dual-earner couples with young children. Journal of Applied Psychology, 106(1), 15–28.

残念ながら、日本におけるCOVID後の大規模な学術調査は見つけられませんでした。

しかし、公的統計に目を向けると構造変化は顕著です。2012年度にはわずか1.89%に過ぎなかった男性の育休取得率は、2023年度には30.1%(厚生労働省「雇用均等基本調査」速報値)と過去最高を更新しています。

また、共働き世帯数は専業主婦世帯の約2.5倍(1,278万世帯)に達しています(総務省「労働力調査」など)。もはや、仕事のみに専念できる正社員を前提としたモデルは標準ではなくなっています。

また、実務的な調査に目を向けると、例えば、パーソル総合研究所・慶應義塾大学 前野隆司研究室(2020-2022)『はたらく人の幸福学に関する共同研究』では、テレワークの普及がはたらく人の幸福度やパフォーマンスに与える影響とともに、仕事と生活の境界が曖昧になる中での家庭生活の変化が示唆されています。

これらを統合すると、次のように整理できます。

変化の本質

  • 家族責任の増大(客観的変化)

  • 家族→仕事への影響の強化(構造変化)

  • 価値観の再定義(認知変化)

つまり、

「家族を優先するようになった」のではなく、
「家族を優先せざるを得ない構造になった」

と解釈する方が、実務的には適切です。日本における少子高齢化を考えると、今後は子育てのみならず、親の介護問題が強烈な構造的な要因として顕在化していくでしょう。


■ 人事実務への示唆

この構造変化を踏まえると、人事施策の前提も大きく変わりそうです。従業員が直面する「家族ケア」への支援(時間的、精神的、肉体的、金銭的)が、これまでとは別次元で必要になるでしょう。

1. それを「エンゲージメント低下」と誤解しないよう注意

従来は、家庭都合で仕事へのコミットメントが下がることは、様々な現場で「モチベーションの問題」と捉えられてきたのではないでしょうか。

仕事を優先できない(例えば転勤、出張、長時間労働などができない)従業員は、昇進・昇格の対象から実質的に外されてきたという歴史もあったかと思います。

しかし現在は、家族都合で仕事を優先できないことは、構造的制約の結果である可能性が高いわけです。それを持って、特定の従業員の評価を考えることは、適切ではない時代になっています。

したがって、

  • 長時間労働ができない

  • 出張・転勤ができない

  • 柔軟な働き方を求める

といった従業員の意思決定(そうせざるを得ないこと)を、モチベーションの問題として扱うのは、もはや不適切です。むしろ、これらを当たり前のこととして実務のほうを再設計しなければならないわけです。

2. 制度ではなく「仕事の前提」の見直しが必要

多くの企業(特に大企業)は、育児・介護に関する制度的な支援をすでに運用しています。国も、育児介護休業法などを整備しつつ、啓蒙活動もしています。男性育休の取得率なども、確実に高まってきました。

ただ、これらの多くは「福利厚生」の文脈で運用されてきました。無制約の正社員と区別するために使われる「制約社員」という言葉まであります。これまでの家族ケア支援は、一部の「制約社員」のための「福利厚生」だったわけです。

しかしCOVID後の世界においては、家族ケア支援は制度運用の次元から仕事の前提となりつつあるわけです。

具体的には:

  • 時間ではなく成果基準への転換

  • 業務の分解と再配分

  • ミーティング依存性の低減(コアタイムの縮小)

など、従業員の家族制約を前提とした仕事の設計が必要なのです。これは、今の業務を従業員の理想に近づけようという話ではなく、そうしないと従業員を維持・獲得できなくなるという話です。ここの意識が緩い組織は、ビジネスを継続できなくなる可能性さえあります。

3. マネジメントの役割変化

当然ながら、管理職に求められる役割も変わります。

従来:

  • 業務遂行の管理

  • 労働時間の統制

現在:

  • 制約条件の調整

  • 個別最適の設計

特に重要なのは「誰がどのような制約を持っているか」を前提にしたチーム設計です。部下が自分の制約について開示できるだけの心理的安全性も重要になることは言うまでもありません。

とはいえ実務的には、いきなり仕事の前提を変更することは難しいです。

そのため、バイトのシフト管理(リソースの動的な最適化)のような、部下それぞれの制約を理解した上での個別最適な仕事の割り振り、および相互バックアップ体制の構築が求められます。具体的には業務の標準化やナレッジシェアが、これまで以上に重要になるはずです。

かつての「制約社員」は、昇進・昇格には不利な立場にあったかもしれません。しかし誰もが「制約社員」となった現代、昇進・昇格に関する考え方を根本から見直す必要も出てくるでしょう。

しつこいですが、とにかくフルタイム・フルコミットメントという幻想は、終焉を迎えつつあるわけです。


■ 企業にとっての本質的な問い

この変化は、単なる働き方改革ではありません。より本質的には、次のような問いが、企業経営に突きつけられているのです。

「従業員が仕事を最優先にできないことを前提に、
それでも成果を出せる組織を設計できるか」

この問いに答えられない企業は、優秀人材の確保・維持が難しくなるでしょう。

具体的にそれは、企業の採用コストやエンゲージメント獲得コストを跳ね上げます。結果として収益を維持できないことになり、嫌でも自然淘汰の圧にさらされることになります。


■ まとめ

近年の研究は一貫して、家族責任が明確に増加し、それが仕事に与える影響が強まっている事実を示しています。その結果、個人の意思決定の中心が仕事から家族へとシフトする構造変化が起きています。

重要なのは、この変化を「価値観の問題」だけに矮小化しないことです。

これは選好の変化ではなく、構造の変化です。

人事として求められるのは、この構造変化を前提に、制度・マネジメント・業務設計を再構築することです。ここに対応できるかどうかが、今後の組織競争力を大きく左右すると言えるでしょう。


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酒井穣(さかい・じょう) 頂戴したチップは、原則として、何らかの無償ボランティア活動のための資金(例えば交通費)として利用させていただきます。よろしくお願いします。