【妄想とバムバスト】 平和は「力」で守られる現実
【妄想】
根拠もなくあれこれと想像すること。
〔3行まとめ〕
●平和とは争いのない状態だが、恒常的平和のためには「なぜ人は争うのか」を理解する必要がある。
●戦争の原因は、侵犯・競争、予想・不信、名声・栄光といった動機による攻める側の「挑戦」と、それに対する攻められる側の「応戦」に起因する。
●平和を維持するには、戦力だけでなく、経済力や外交力など、あらゆる「力」が必要であり、特に「味方を増やす力」が重要である。
【はじめに】
【平和】
1. 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。
2. 心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。
辞書的な意味に則るなら、「平和」とは戦争や紛争、揉め事がない状態・状況を指します。つまり、恒常的平和を実現する方法を考えるなら、必然的に、「なぜ人は争うのか」を考えることになります。それは、音響機器のように、機械のように、ただ平和実現を叫んだり訴えたりするよりも、生産的で人間的な活動ではないでしょうか。
人類の歴史は戦争の歴史。なぜ人は争うのか、あなたも「平和」のために妄想してみませんか――?
【戦争】
1. 軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態。
2. 激しい争いや競争。
【戦争の原因――挑戦する側の理屈】
哲学者トマス・ホッブズは、自著『リヴァイアサン』(1651年)での思考実験で、争いの主要原因を[侵犯/競争][予想/不信][名声/栄光]の3つに分けて考察しています。
[侵犯/競争]は、一方の集団(A)がもう一方の集団(B)を侵犯・侵略し犠牲にすること。そうすることで、集団(A)の生活維持または向上を図ります。
具体例を出すと、BC4000-BC0612のシュメール文明においては、都市国家間で、土地や水など生きるうえで必要なものの奪い合いが日常的に発生していました。このために人的資源が不足したことが、シュメール文明の滅亡の原因とされています。
[予想/不信]は、一方の集団(A)がもう一方の集団(B)を信用せず、(B)からの攻撃を恐れた結果として、(A)が(B)に先制攻撃を行うこと。そうすることで(B)の潜在的脅威を排除でき、(A)は一時的な平和を得られます。
(A)の先制攻撃が不徹底だと(B)の反撃や復讐が発生することは大方が予想する通りで、復讐の応酬(スパイラル)で(A)(B)双方が利益以上の損失を得ることになります。そのため、(A)の先制攻撃は時に、民族浄化(ジェノサイド)と称されるレベルまで徹底的なものとなるのです。
具体例を出すと、BC1400頃に誕生したアッシリアの土地は、侵入や攻撃がされやすい条件が整っていました。そのため、常に攻められる不安と恐怖から国民皆兵制――もちろん男性に限りますが――を選択し、先制攻撃による他地域征服を行うことで広大な領土を得ました。しかし、この行為は――当然ですが――被支配部族の怨みと怒りを膨らませ、小規模の反乱発生とその鎮圧を繰り返した結果、国力を損耗し、勢力を拡大した小国の連合軍によって滅ぼされることになるのです。
[名声/栄光]は、特に集団の為政者(リーダー)から生じるもので、「勝利」という美酒や「国家の拡大に成功した」という承認欲求を繰り返し味わうために、不定期に他国に攻め込んでは征服を試みます。これが先述の2つと異なるのは、統治される民がその争いを必要としているかどうかは関係ないことです。
現代では、先述の理由で戦争を選択する為政者は(おそらく)いないでしょうが、自尊心または承認欲求は人並み以上に強いが、国民から称えられるような実績を過去に作れなかったり、自身の権力維持に危機が生じたりしていた時、[名声/栄光]を得ようと、過去の為政者が解決できなかった領土問題や他国とのトラブルを解決するために、問題を針小棒大にして武力行使を選択する可能性はあります。また、争いに勝利して栄光を得るという点を拡大解釈すれば、独立戦争やテロリスト集団による暴力行為も当てはまるでしょう。
【戦争の原因――応戦する側の理屈】
戦争は相手が応戦することも条件に含まれます。でなければ、それは「戦争」ではなく「侵略」または「略奪」と呼ばれるでしょう。
奪う側、搾取する側に「共通の法」を遵守する気がなく、話し合いの余地も交渉の余地も妥協の余地も譲歩の余地もなければ、奪われる側、搾取される側は――被支配者層の反乱や独立戦争や防衛戦など――支配または所属する集団の安全と権益を護るために武力を行使する、または武装する。これが自衛権――集団的自衛権と区別するために個別的自衛権とも――であり、国連憲章でも――もちろん「国家」に限定してですが――規定されています。
略奪や搾取が現在進行形ではなく未来形であれば、武装は相手の武力行使を躊躇わせるための抑止力となる――つまりは「平和のための武装」ということになります。
【話し合いと武力行使】
これを読んでいるあなたなら、なぜ武力行使ではなく話し合いで解決できないのか、という疑問は当然あるでしょう。
まず、話し合いで求められるのは、双方の妥協と譲歩です。しかし、一方が提示した条件が、もう一方にとって譲れない条件だったら? または、あきらかに一方にとって不平等な条件だったら?
例えば、司法が機能していない世界で、あなたが元々所有していた土地の一部を、突然隣人が「かつては私の祖先が所有していた」と勝手に占有し、現状はどちらに所有権があるのか曖昧で、第三者から提示された和解案が「隣人が占有した土地の半分を隣人のものとし、もう半分をあなたのものとして返却する。」としたら?
また、相手――特に挑戦した側――が、自分が有利な側であると認識していたり、自尊心が高かったり、目的遂行のみが国または民または自分を守ることができると考えたりしていたら、あなたが提示した――相手が妥協または譲歩することが前提の――和解条件にこう思うでしょう。「なぜ私が妥協・譲歩しなければならないのか?」と。
話し合いで解決できないだけならまだいいでしょうが、先制して武力を行使する判断を、為政者や集団のリーダーはどうして行うのでしょうか。この問いかけは、政府やテロ集団を犯罪組織――ギャングまたはマフィアなど――に置き換えてもいいでしょう。
極論すると、リーダーの欲求なのです。水が欲しい、食べ物が欲しい、家が欲しい、金が欲しい、人が欲しい、国が欲しい、領土が欲しい、人気が欲しい、実績が欲しい、名誉が欲しい、安心が欲しい、安全が欲しい、面子を守りたい――。そうした欲求を手っ取り早く満たすため――加えて結果が目に見える形でわかりやすい――に用いられるのが、暴力であり武力なのです。その判断に至る過程に他者――攻める相手や自国の兵士や市民を思いやる余裕はなく、きっかけさえあれば行使を躊躇わない。そして、リーダーはその後、延々と勝利と自己保身のための行動が最優先されるのです。なぜなら武力行使の判断は、敗北が決定すれば全責任をリーダーが被ることになり、彼は全てを失う、ゼロサムなものだから。
【恒常的平和は可能か】
【平和】
ふたつの戦争の間にある、だましあいの時期。
【戦争】
平和のためのかけひきから生まれた副産物。
人類の歴史は戦争の歴史。個人(ミクロ)から国家(マクロ)まで、現実空間(リアル)から電子空間(デジタル)まで、大小様々な戦争が四六時中発生しています。
誰か、またはどこかが挑戦し、挑戦された方が応戦することで戦争が始まる。詰まるところ、現状を自分の思う通りに変えたいリーダーと、それを支持・支援する人々が現状に挑戦し、争いを引き起こすのです。それを踏まえた上で、「武装」という抑止力は、共通の法を守らない相手に、少なくとも武器を使うという、最悪の形での挑戦を躊躇わせる――利益と損失を比較して損失の方が上回ると相手に想像させる――「力」です。
明らかに返り討ちされそうな相手に、あなたなら、いじめやケンカ、恐喝を行えるでしょうか?
明らかに実害のある反撃をしそうな相手に、あなたなら、SNS上で誹謗中傷を行えるでしょうか?
明らかに守りが堅い住居に、あなたなら、押し入ろうとするでしょうか?
極論するところ、平和の維持には「力」が必須です。それは戦力に限らず、財力、政治力、交渉力、情報収集能力、調整力、掌握力、懐柔力、――要は「味方を増やす力」が、他国より戦力が下回っている国家には必要なのです。
自身または支持者を満足させるために、相手国への侵犯を思い立った為政者(リーダー)に、それを諦めさせるためには。
