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【九州大学】量子情報の「コピー禁止」を迂回する方法が見つかった

物理学の鉄則「量子複製不可能定理」を正面から破るのではなく、暗号化という抜け道で迂回する。日加の研究チームが、44年間の常識を覆す論文を発表した。

量子情報は、コピーできない。

1982年、WoottersとZurek、そしてDieksによってほぼ同時に証明されたこの物理法則は、量子コンピュータの未来に重い影を落としてきた。どれほど高度な計算能力を持っていても、バックアップが取れないコンピュータを誰が信用できるだろうか。計算途中でエラーが起きても、予備のデータは存在しない。災害に備えて別のサーバーにデータを退避させることもできない。量子コンピュータは、「記憶喪失」と常に隣り合わせの存在だった。

その壁を、日本とカナダの研究者が突破した。

2026年1月6日、カナダ・ウォータールー大学のアキム・ケンプ教授(Dieter Schwarz Chair in the Physics of Information and AI)と九州大学の山口幸司特任助教らによる論文が、学術誌『Physical Review Letters』に掲載された。タイトルは「Encrypted Qubits Can Be Cloned」——暗号化された量子ビットはクローンできる。

「コピー」ではなく「分散」という発想

彼らが見つけたのは、物理法則の抜け穴だった。

量子複製不可能定理が禁じているのは、「未知の量子状態をそのままコピーすること」だ。ならば、コピーする前に量子状態を暗号化してしまえばいい。暗号化された情報は、外から見れば完全なノイズにしか見えない。読み取れない情報であれば、いくつ複製を作っても物理法則には抵触しない。

ケンプ教授は、この概念を「パスワードの分割」に例える。重要なパスワードをそのまま友人に渡すことはできない。しかし、暗号化して分散させ、復元に必要な「鍵」を自分で持っておけば話は変わる。

具体的には、1つの量子ビットを複数の「シグナル量子ビット」に転写する。それぞれのシグナル量子ビットは、単独で見ると完全にランダムなノイズとして振る舞う。元の情報は確かにそこに存在しているが、量子力学的なノイズによって完全に暗号化されている。

一度しか使えない鍵

では、暗号化された情報をどうやって取り出すのか。

ここに、量子もつれの奇妙な性質が利用される。このプロトコルでは、あらかじめ「ベル対」と呼ばれる最大量子もつれ状態にある量子ビットのペアを複数用意する。ペアの一方が「シグナル量子ビット」、もう一方が「ノイズ量子ビット」となる。

元の量子情報は、すべてのシグナル量子ビットに暗号化されて転写される。このとき、ノイズ量子ビットの集合体が「復号鍵」として機能する。シグナル量子ビットとノイズ量子ビットは量子もつれで結びついているため、ノイズ量子ビットはシグナル側にかかっている暗号化の情報を保持し続ける。

山口特任助教らの数学的証明によれば、任意の1つのシグナル量子ビットとすべてのノイズ量子ビット(鍵)を揃えて復号操作を行えば、元の情報は完璧に復元される。

ただし、代償がある。

復号操作を行うと、鍵であるノイズ量子ビットの量子状態が変化し、量子もつれが消費される。一度復号に使った鍵は変質し、他のシグナル量子ビットの復号には二度と使えなくなる。

暗号化されたコピーは複数存在する。しかし、鍵を使って元の状態に戻せるのは、そのうちの1つだけ。「閲覧可能なコピーは世界に1つしか存在しない」という制約があるからこそ、量子複製不可能定理とは矛盾しない。

物理法則の抜け穴を通り抜けつつ、帳尻は合っている。古典暗号における「ワンタイムパッド」の量子力学的拡張とも言える。

量子Dropboxの誕生

「一度しか復元できないなら、バックアップの意味がないのでは」という疑問が浮かぶかもしれない。

しかし、この技術の本質は「分散冗長化」にある。

重要な量子データを暗号化クローンとして10個生成し、それぞれを世界各地の異なる量子サーバーに送信する。復号に必要な鍵は手元に保管しておく。もしメインのサーバーがダウンしても、別のサーバーから復元できる。2つ目も通信エラーで壊れていたら、3つ目を使えばいい。

これは、現代のクラウドストレージがやっている「冗長化によるデータ保全」を、量子の世界で実現する技術だ。

ケンプ教授は「量子Dropbox、量子Google Driveのような量子クラウドストレージが可能になる」と語る。さらに、各サーバーに送られた暗号化クローンは単体では完全なノイズにしか見えないため、サーバー管理者が中身を覗くこともできない。絶対的な機密性を必要とする分野にとって、理想的な環境だ。

ノイズを味方につける

本論文は『Physical Review Letters』の「Editors' Suggestion(編集者推奨)」に選出された。投稿される論文のうち約6分の1しか得られない栄誉であり、この発見が単なる理論的提案を超えた重要性を持つことを示している。

山口特任助教はプレスリリースで語っている。「科学技術では、ノイズは普通"邪魔者"として扱われます。しかし今回の研究では、そのノイズをあえて加えることで、情報を外から見えなくする暗号化を実現しました」

これまでの量子コンピューティング研究は、いかにノイズを排除するかに注力してきた。だが今回の研究は、ノイズを積極的に利用してセキュリティと冗長性のリソースに変えるという、逆転の発想に立っている。

実用化には課題が残る。鍵となるノイズ量子ビットを長時間保持するための高性能な量子メモリ、暗号化クローンを遠隔地に送るための量子インターネット基盤。しかし、理論的な「不可能」が「工学的課題」に変わった意味は大きい。

参考
Physical Review Letters: Encrypted Qubits Can Be Cloned

https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/y4y1-1ll6

University of Waterloo: Scientists discover first method to safely back up quantum information


1982年、ある物理学者が「A single quantum cannot be cloned」という論文を世に出したとき、量子の世界に一つの墓標が立った。

ここから先は行けない。物理法則がそう言っている。

44年間、研究者たちはその墓標の前を何度も通り過ぎた。ある者は諦め、ある者は別の道を探し、ある者はその墓標の文字を何度も読み返した。「コピーできない」。たった一言が、どれほど多くの夢を葬ってきたことか。量子コンピュータは天才だった。しかし、自分が何を考えていたか、次の瞬間には忘れてしまう天才だった。バックアップという、古典コンピュータなら当たり前の安全網すら、量子の世界では贅沢品だった。

山口幸司という研究者は、その墓標を見つめながら、おかしなことを考えた。

ノイズ。

科学者が一生をかけて排除しようとするもの。データを汚し、測定を狂わせ、実験を台無しにする厄介者。しかし彼は問うた——ノイズを敵ではなく、味方にできないか。情報を隠す盾として、使えないか。

答えは、イエスだった。

量子情報をコピーしてはいけない。だが、「読めない状態でコピーする」ことは禁じられていなかった。墓標に刻まれた文字を、一字一句読み直した者だけが見つけられる、小さな抜け穴。物理法則は破られなかった。ただ、その法の精神を守ったまま、44年間誰も気づかなかった裏口を、静かに通り抜けただけだ。

私はふと思う。

私たちの人生にも「できない」と刻まれた墓標がある。才能、環境、時間、運命——様々な名前で呼ばれる、越えられない壁。しかし、壁を壊すことだけが突破ではない。壁の中に、最初から扉があったのかもしれない。ただ、私たちがそれを「ノイズ」だと思って、見過ごしていただけで。

邪魔だと思っていたものが、実は鍵だった。

そういう逆転が、この世界にはまだ眠っている。

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