予測不能にもほどがある 47 スペイン編 (1 prologue 昭和的実録 海外ひとり旅日記
Miroでもなければ Picassoでも なぁ〜い
日記_049 Spain まだぁ〜?
2 / 3 / Sept 1978 夏の終わり


Oristano〜Alghero train 3.5h 4000Lire
Alghero〜Fertilia bus 0.25h 100Lire
Fertilia〜Grotta di Nettuno bus 0.75h 500Lire
Grotta di Nettuno〜Alghero bus 0.75h 650Lire
youth hostel 1500Lire×2days
もう9月かぁ、あっという間の半年であった。
Algheroに向かう列車の車窓からは褐色や黄色の低木が見え始めている、紅葉しているのか将又枯れているのか、実際Sardegnaは火山岩むき出しの地形ばかりで、外観からは不毛の地にしか感じられず、この現象の判断は保留せざるを得ない。
日本での”秋来ぬと・・・”を感じる頃になると、必ずといって良いほど”感傷”という危険に翻弄されるものなのだが、俺は鈍感なのか、今は一向に振り返るものなど湧いてもこない、唯 明日・・が楽しみなだけなのだ。
Algheroに寄ったのは、Georgがまだリゾートし足りない、鍾乳洞の中の海も見てみたいとの提案に乗っただけで、そのご指摘のGrotta di Nettuno(ネプチューンの洞窟)も、垂直の断崖をジグザグにうまく造り上げたなあと感心してしまう長〜い階段を昇降した時の荒い息遣いの記憶を蘇らせるだけでしかなかった。
( 遊覧船のルートもあり、この岬の断崖絶壁を船から観るのが醍醐味だったらしい)
Europe人にとっての夏休暇のための時期なのだろう、youthと雖も各国の若者・家族で溢れかえっている。
俺とGeorgのベットの周りも、German, French, Swiss, Swedish そしてItalianoと、チンプンカンプンの言葉が乱れ飛んでいる、時々Georgが飛び交う言葉を引っ掴んでは、英語通訳してくれるが事足りるはずもない。
そんな賑やかな和気あいあいの空気の中でも、突然の沈黙の間というのはあるもので、Swissの女の子がその”間”に突然Swiss語を(特別のことではない、彼女の母国語だよ)響かせたものだから、1人のGermanが素っ頓狂な顔と共に一瞬周辺の空気も凍り、再びの”間”の後の大笑いの解けるさまには(もう1カ国語ぐらい勉強しとくべきだった)と妙な反省に俺の心は痛んでいた。
German・Swiss語は発音は似ていても、非なる言語だと・・・。
(Georgの言)
4 / Sept またの名は ジーア


Sasari〜Santa Teresa bus 3.5h 2650Lire
soggiorno 3000L
真面目な19才のGeorg(ジョージと呼ぶことにしていたが、実は独語ではジーアと発音すると言っていた)とはここで別れ、
自分は一気に海を渡る移動ルートを検討しなければならない、SasariからPorto Torresの港に出て一気にMarseilleか、一旦Corse島経由でMarseilleに入るか、思案のしどころ、とはいえ答えは簡単で(Marseille直通の方が運賃高いに決まっている)ここは倹約の一択。
しかしCorse経由の船はSanta Teresa迄バスで行かなければならない、せいぜい100km弱なのに何と3h半も、しかも途中休憩ではドライバーは運転席を外し休憩をとっているにも関わらず、我々乗客はどういう訳かそのまま席に釘付け。
(どう考えればイイの?Turkeyの颯爽としたotobüsの姿が思い起こされる)
途中Castelsardoでは昨日のSwiss人家族が先着していたようで、俺はバスから手を振ってご挨拶、その後はとにかく蛇の如く海に沿ったクネクネ道を突き進むのみ、Sardegnaは 北の方が一段と海は美しい・・・。
Santa Teresaに着いたものの今日のCorse行きは既に発った後であった。
雨模様の中では外で寝もやらず、soggiorno(家族経営で、ペンションより小規模なアットホームで、安価な宿泊施設)で既に夕飯時だったためか4000を3000Lireに値引きしてくれた上に、素晴らしいDinner(どっさりの蟹!)をそのままご相伴することに相成った。
(嗚呼、痩せの大食いGeorg、ここまで来れば好かったのに!)
コラム_112 滞在集計報告Itaria
train走行距離 2796.5 km
bus 〃 524.1 km
ferry 〃 425.2 km
hitch 〃 126.0 km
総走行距離 3871.8 km
train移動時間 51.5 h
bus 〃 16.0 h
ferry 〃 17.0 h
hitch 〃 6.5 h
総移動時間 91.0 h
交通費計 84,050 Lire
20,172 Yen
宿泊費計 126,950 Lire
30,468 Yen
交通|宿泊費合計 41,596 Yen
滞在日数 40 days
交通|宿泊費/日 5,275 Lire/day
1,266 Yen/day
(rate換算 1000Lire=240Yen)
今までの主なデータも列記しておくと
総走行距離Turkey 4,963 km
〃 Greek 4,074 km
〃 Yugo 1,516 km
〃 Europe各国 4,315 km
〃 Itaria 3,872 km
総移動時間Turkey 79.5 h
〃 Greek 129.0 h
〃 Yugo 129.0 h
〃 Europe各国 58.0 h
〃 Itaria 91.0 h
集計国 走行距離合計 18,740 km
移動時間合計 486.5 h
滞在日数合計 166.0 日
地球一周の距離は約4万km、今までの訪問国合計でもまだまだ1/3か、各国移動距離比較してもItariaも結構移動しまくった気はするのだが、数字としてはこんなモノなのだろう。
何を訝しんでいるのかと云うと、高々人口5万人レベルのSienaやTivoliを例にするまでもなく、世界に名の知れ渡る程の現在に継がれた歴史や遺産を目前にして、平然とスルーするには些か勿体無いほどの街々が、実は itaria 国中、数珠つなぎのように存在しているということに気付かされるからなのである。
だから列車駅を通過する度に「この地名聞いたことある、こんな所に有るんだ」、降りようか否か悩むことしばしば、そんな訳で旅のピッチは遅々として捗らないのだ。
因みに伊の人口数ベスト50位(最少人口は既に10万人を切っている)の内22市+それ以下のあまり知られていないが強烈な個性をもった街々も含め、かなりの街々を訪問できたようには思うのだが。
小さい地域であろうと、歴史上善悪に関わらず自治意識の発達したそれぞれの国造りを目の当たりにできたItaria旅ではあった。
数字から見れば、宿泊を、多くYouth Hostel、Pensione、soggiorno(ロケーションは良く、十分に清潔・快適で、ホスピタリティ溢れていることが多く、優先順位高い)に切り換えた効果が、交通|宿泊費/日 = 1,266 Yenには出ていそう。
( 段々賢くなって、ガンバってます)
日記には食事の内容は殆ど出てこないが、高級なRestaurantでなくとも気楽なOsteria、 Trattoriaでも美味しいものは充分食べられた。
そうコラム上で言い忘れていたけど、ヨーロッパ、特に Itaria の水事情は旅人にとっては結構重要なことかも知れない。
Osteriaクラスに入店すると、初めに ” acqua ? ” とよく聞かれたような気がする。
自分は ” 飲水 ” には結構無防備で、水は無料・安全であるモノという日本人的考えから逃れられない質で、有料|無料?に限らず、水道水|ミネラルウォーター?、硬水|軟水?、炭酸入り|なし・・など、しかも水道水であっても店で蒸溜した水とかNaturaleでも炭酸入りとか、あらゆる” 飲水 ”に関する疑念組み合わせを想定して、チェックして置くのは必須課題であるらしい。
それを怠っていたためか、突然の街中・列車内問わずの腹痛・下痢に襲われたことは、数回ではきかなかったように思われる。
(これは結構辛いっ!早く気付くべきだった!)
その後は、Osteriaでテーブルにドッカンと bottle water を置かれ、 ” acqua ? ”と聞かれれば、(知ったかぶりに) ” Sin gas(炭酸抜き、炭酸入;con gas), per favore . ” と答え、対応することにしたモノだ。
( acquaには、ご用心 )
5 / Sept フランス 手強し


Bonifacio〜Ajaccio bus 4.5h 33F (baggage+2F)
Ajaccio〜Marseille ferry 9.5h 94F
rate:
1 F=45.5 JPYEN
翌朝、ferryは雨に見送られていた。
ほとんどitaria旅中はカリッカリの晴天続きだったと云うのに、この雨がAddio(さらば) Italiaに加えて、妙な感傷を呼び起こそうと計っているのか。
(昨夕のSoggiornoの夕食に後ろ髪引かれている?)
1h程のあっけない船旅に、両舷に険しい断崖が見え始めれば、沿うように海は削り込まれ細い細い海路となり、今度は右手に城壁が居丈高に覆いかぶさるように睥睨するように続く、その先の消失点に、帆船やらクルーザーのマストが林立したハーバーそして港が現れるのだ。
クルーザーやハーバーの人たちが、また岩場の上の水着姿の人たちが手を振ってくれている(それ程この入江は狭い)、既にCorse島であり、ここは再三のFranceとなる。街Bonifacioは、右手の巨大な城壁を越えた向こう側にあるらしい。
税関に残され、最後にでる。
(人相か将又差別か、すんなり出して貰えない)
外に出てもバスセンターが仲々見つからない、
Français(仏語)になると、気持ちが上擦って、
落ち着かなく・も・な・る・・。
そして降り立ったferry埠頭のまだまだ先1.5km程桟橋(その脇には観光客相手の高級レストランがChamps-Élyséesのテラスのように通りを狭くしている)は続いていて、そんな繁華街が既に途切れている所に、済まなそうにバス停は立っていた。
(嗚呼、チクショ〜)
もう吹っ切るしかない!とにかく目指すはMarseilleの一点のみ!!
90km程度で4.5h( 20km/h ? スポーツ自転車(当時ロードバイクなどの名はなかった、強いていえばサイクリング自転車?)レベル?本当か?)、
ドライバーはヤクザっぽくって気も荒そう、運賃の他にBaggage代(仏流なのか、バスでこんな料金初体験!ボッタクってないか?)、2F取りやがった。
”乗せてやってるんだ”感丸出しに、ドッと疲れもしたが(街など見る気もサラサラ失せて)、兎にも角にもAjaccioの港へ直行。
さあ、Marseilleへの直航便に、と思いきや、vacancesの終わりの家路へのラッシュ時期で、ferryは満員。
” 寝袋があれば(何処でも寝て良い)、乗船可能 ”と係の説明。
(安全のための定員厳守じゃないのか、フランス流の考え方か!)
寝袋を持っていない(Claim Tagで失った赤いシュラフがこんなところで彷彿としてくるとは・・・)悲しみは、伊の倍の値もする4Fのサンドイッチをパクつこうが一段と深まるばかり、怒りに変わっていくのも如何ともし難し、しかし何としてでも、ここは”Marseille”への気概で突き進むのみ。
(明日のNice便でも・・)と半ば諦めかけた出航10分前の桟橋で、何の予告も無しに係員が追加のチケットを切り始めた、何のことやら意味も分からず、しかしここは兎にも角にも早い者勝ちと”ずる賢い”囁きに心奪われ、そして抜け駆けよろしく、最後のパッセンジャーに滑り込んでいたのだった。
(何なの!)
乗船してみればやっぱりPorto Torres港〜Marseille便より遥かに安いっ!
雨もとうに上がり、船上のデッキ上にてゆったりと安楽椅子に寝袋( ferry装備のモノが用意されていたのだ 意味不明!)を拡げ、
満天の星空と、明日からの新しい旅と、心地よい睡りと・・・・z z z 。
