あなたの名前は?と聞いた母 〜愛されていないと思い込んでいた〜
「あなた、名前はなんていうの?」
「え?いとだよ」
そのあと、母はこう言ったんです。
「うちの子も、いとって言うのよ」
①私が母に会いに行く理由
母は、私の故郷にあるホームで暮らしています。
今日は、発熱のため病院にいます。
母の記憶のほとんどは、もう霧の中。
自分はどこにいるのか、なぜそこにいるのか、なども分かりません。
今さっき話したことも、5分後にはまた初めて聞くように尋ねます。
それでも母は、穏やかです。
スタッフの方や私たち家族を困らせることもなく、
静かに、やさしい時間の中にいるように見えます。
今私は、遠く離れた場所で暮らしています。
以前は、こんなに頻繁に会いに行くことはありませんでした。
けれど今は違います。
気がつくと、母に会いたいと思っています。
顔を見て 同じ空間にいる時間を持ちたい
と思うのです。
近くにいられたら、毎日でも会いに行きたい。
5歳の子供のように、母の顔が見たくてしょうがないのです。
会えないと寂しいのです。
② 何気ない会話の中で
先日、1か月ぶりに母のもとを訪ねた時でした。
マスクが必要な場所。
少し汗ばむような日で、
「今日は暑かったよ」と声をかけながら部屋に入ると、
母は ニコニコと私を見て
「ああ、暑かったの」と、いつもの調子で返してくれる。
それだけで、ほっとするような、
少しだけ安心するような気持ちになります。
そのまま、何気ない会話を30分ほど続けました。
特別な話ではなく、たわいもない、日常の延長のようなやりとりです。
けれど、その時間は確かにあって、私は「母と話している」
と感じていました。
③ 「あなた、名前はなんていうの?」
ふいに、母が言いました。
「あなた、名前はなんていうの?」
一瞬、時間が止まったような気がしました。
でもすぐに、私と似たような雰囲気のスタッフさんが多いしな・・・
と思いました。
だから、わからなかったのだろうなと。
なるべく自然に答えました。
「いとだよ。今朝、うちから来たの」
すると母は、少しうれしそうに、こう言いました。
「うちの子も、いとって言うのよ。同じね」――
その言葉を聞いたとき、
え?
と一瞬、固まったような気がしました。
うまく言葉にはできないけれど…
④ 名前の奥にあったもの
私は急いでマスクを外しました。
「ごめんね。
マスクしてるから、わからなかったね。
いとだよ。あなたの娘の、いとだよ」
母は「ああ」と言いました。
その「ああ」が、どこまでを理解していたのかは、正直わかりません。
そして、その名前を口にするとき、
母の顔はとてもやわらかく、温かいものでした。
記憶は失われていくのに、
私のことはちゃんと残っていた。
記憶がなくなっても、
好きだった気持ちや、大切に思っていた感情は、
どこかに残るのかもしれない。
⑤ 「好きじゃない」と思っていた私へ
私は、長い間思っていました。
母は、私のことがあまり好きではないのだ、と。
母は、まっすぐな人でした。
思ったことをそのまま口にする人。
裏がなく、嘘をつくことができない人でした。
その分、言葉はときに鋭く、私は傷つくこともありました。
苦手なことを指摘されたり、容姿のことを言われたり。
子どもだった私は、それをそのまま受け取ってしまい、
「私はあまり愛されていないのかもしれない」と思うようになりました。
思春期頃から、どこかで、
母から距離をとるようになっていきました。
けれど、あの日。
「うちの子も、いとって言うのよ」
そう言ったときの母の顔は、
私が今まで見たことのないような、やわらかくて、優しいものでした。
愛おしいものを心に浮かべている、
そんな顔に間違いなかったのです。
その一言と、その表情で、私は初めて知りました。
ちゃんと私は愛されていたんだ、と。
⑥ その気持ちに名前をくれた友だち
この出来事を、私はすぐには誰にも話せませんでした。
心が 大きく揺れているのに、それをどう言葉にしていいのか、
わからなかったのです。
その後、30年来の友人と会ったとき、
ふと その話をすることができました。
彼女は、お母様を看取った経験のある人です。
私の話を静かに聞いたあと、
彼女は、こう言いました。
「それは、切なかったね・・・」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥にあったものが、すっとほどけていきました。
ああ、これは“切ない”っていうんだ。
ずっと名前のなかった気持ちに、やっと名前がついたような気がしました。
そして その切ない自分の感情を受け止めることができました。
それまでは、私のこの気持ちはいったい何なのか。
母の老いを嘆いているのか、
過ぎていく時間に対するあきらめなのか、何なのか。
どうしても分からず、つかみようがないような感覚でした。
そうか、これは ‘切ない‘
という気持ちだったんだ。
その瞬間、自分でもわからないまま、
涙がこぼれてきました。
そのとき私たちは、新宿のライブ劇場の客席にいました。
休憩時間に何げなく お互いの母の話になったのでした。
その休憩時間が終わり、ちょうどにぎやかな舞台が再開されました。
周りの拍手や歌に包まれながら、
私は 涙がこぼれてくるのを 止めることはできませんでした。
ちょうどマスクもしていたし、笑い声に包まれ、
周囲に気づかれずにいられ、ありがたくもありました。
人の話を聞いて、
その人の気持ちにぴったり寄り添う言葉を、
こんなにも自然に渡せるなんて。
この友人に 心から感謝しました。
⑦ 母と、これからの時間
母の部屋から帰ろうとしたとき、母は私に
「遠いから 気をつけて帰ってね」と言いました。
「え?分かってるんだ?!」と心の中で、驚きました。
遠いところから来た
ということは 分かっていたのです。
大阪か東京か北海道か 今はどこに住んでいるのか、
それは分からなくても。
私のことを気遣ってくれるのです。
母の姿を見ていると、
時間は思っているよりもずっと早く流れているのだと感じます。
そして、同じ時間は、もう戻ってこないのだということも。
だからこそ、
一日一日を、もう少し大切に過ごしたいと思うようになりました。
母は今、言葉で何かを教えてくれるわけではありません。
けれど、その存在そのものが、
静かに、確かに、いろいろなことを教えてくれています。
やっぱり母は偉大です。尊敬です。
人を大切にすること。
時間を大切にすること。
そして、自分の気持ちに名前をつけてあげること。
母を 元気付けるために訪れたのに、
私のほうが温かい心になり、元気をもらいました。
同じように、
あの一言をくれた友だちのことも、
尊敬し、大切に思っています。

来月は いつ母に会いに行こうか、
と飛行機の時刻表を見ています。
☘️☘️☘️
人はときどき、
ずっとそうだと思っていたことを、
ふとしたきっかけで、違う形で 受け取り直すことがあるんだと思います。
私にとっては、母のあの一言がそうでした。
どこかで、
あまり愛されていなかったかもしれないと、
思い込んでいた気持ちが、少しずつほぐれていきました。
もしかしたら、
同じように、言葉にならないまま抱えている思いが、
誰の中にもあるのかもしれません。
その何かが、やさしくほどけていく瞬間がありますように。
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