見出し画像

シェアハウス・ロック(or日録)2601初旬投稿分

目覚めよと呼ぶ声の聞こえ(0101)

 今年の元旦も、マリ=クレール・アランの『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』(BWV645)で新年を迎える。元旦の朝、これを初めに聞くと、なんだかとても気持ちのいい新年を迎えた気になる。
 今年は、多少新機軸で、そのあと、山下和仁、ディビッド・ラッセル(ともにギターソロ)で同曲を聴く。
 山下和仁は、若いうちは「ぼく、指がよく動くでしょ」タイプのギタリストで、私はあんまり好きではなかったが、この録音をしたころには40歳くらいになっており、ずいぶん落ち着いたいい演奏をするようになっている。こういう演奏を聴くと、歳をとるのもいいことだなあと思う。
 山下和仁は無伴奏バイオリン組曲も全曲弾いており、それも私は聴くことが多い。無伴奏チェロもやらないかなあ。けっこうギタリストは無伴奏チェロを弾くのである。
 元旦であっても、コーヒーを淹れ、トースト、ミルク、バター、ジャム、ヨーグルトと、まったく変わりばえのしない朝食である。音楽も曲目限定ではあるがバッハはバッハで、これも変わりばえがしない。
 朝がこれなんで、お雑煮は昼食べることになる。
 昨年、年頭に、今年の目標として「『マタイ受難曲』を通して一気に、なおかつ独和対訳を読みながら聴く」「旧約聖書の通読」を挙げたが、前者は果たしたが、後者は積み残し。後者は無計画だったのがおそらく敗着で、私の持っている版では旧約部分は約1300ページ。月100ページ超をこなせば通読できることになる。
 今年は、積み残した後者と、プランターでへちまを栽培し、それを入浴時に使えるようにすることを目標にする。
 年末から読み始めた『大使とその妻(上下)』(水村美苗)は200ページまで進んだ。12月30日段階では、「私」が何者なのか以前に、何国人なのか、男性か女性かもわからなかったのだが、アイルランド系のアメリカ人男性(ケヴィン)であり、ゲイであることまではわかった。
「蓬生の宿」に住んでいるのが「大使とその妻」ではなく、それを改装して住むことになったのが「大使とその妻」であることもわかった。
 いま、ケヴィンは、元大使が出かけており、好奇心に負け、妻がひとりその別荘に残され、台風が激しくなり、停電にもなり、それをいいことに(笑)、親切ごかしにその別荘を訪ねたところである。
 いつまでもケヴィンに付き合っていても仕方ないので、午後からは富士山に初詣に行くことにする。近所の公園そばの歩道橋にビューポイントがあり、晴れていて湿度が低ければけっこうはっきりと見えるのである。近所の神社、仏閣は、初詣には帯に短したすきに長しで、諦めている。
 たとえば去年行ってみた高幡不動は、駅のビルを出たところから行列が始まっており、それを見ただけで帰って来た。
 神社仏閣に行かなくとも、富士山にはコノハナサクヤヒメがいるし、そのせいで浅間神社もあるから、たぶん、遠くから眺めただけでも初詣効果はあるに違いない。
 

規則正しい生活を(0102)

 新年の2日に標題のように書くと、なにがなし今年のモットーのように見えるだろうが、そんな殊勝なお兄さんではない。爺さんである。殊勝でないところは合っている。
 私は寝つきが悪く、寝起きが悪い。これは子どものころからで、まあはっきり言って、神経のピントが合いにくいんだね。だからいま現在の神経の状態を変えるのに一苦労し、よって寝つきも寝起きも悪いことになる。
 すっと眠りに入れたことなど、生涯で数えるほどしかない。そういう人間にとっては、寝るのも一仕事である。
 昔は、新聞、雑誌の記事で睡眠時間は7~9時間とりましょうなどと脅迫的なことをよく言っていたものだった。確かに、長すぎても短すぎても健康に影響はあるだろう。
 こういうことをあまり言われなくなってホッとしていたら、「睡眠は量(長さ)ではなく質です」と言われるようになった。これは、それほど長くは続かなかったし、言ってるやつをよく見るとだいたいが寝具屋だったんで、あまり脅迫的に感じることはなかった。
 さて、こんなことを言い出したのは、愛読する『週刊新潮』の「全知全脳」(池谷裕二)による。「睡眠は『量』ではなく…」(25年12月25日)と題されたその記事には、「睡眠時間よりも、毎日同じ時間に寝起きする『規則正しい生活』のほうが大切」とあったのである。
 これだけならよくある説教と変わらないが、このコラムは、必ず、それなりの科学的、医学的なエビデンスとともになにごとかを言うので、私はけっこう信用しているのである。
 その記事は豪モナシュ大学のウィンドレッド博士らが『スリープ』誌に発表したもので、誌名こそちょっといかがわしいものの、6万人を対象にした大規模調査であるといい、7日間にわたり加速度センサーで睡眠と覚醒のサイクルをモニターしたものをまず集計した。6万人って本当かよと思うが、そう書いてあったのは間違いない。
 その後6年間の追跡調査の結果、規則的に睡眠をとっている上位20%は、不規則な下位20%に比べ、死亡リスクが20~48%低く、特にがんや心代謝系の死亡リスクは16~57%低いことがわかった。これに睡眠時間の影響を加味しても、結果は変わらなかったという。
 では、「規則正しい睡眠」とはどのようなものかと言えば、毎日1時間以内の誤差で就寝、起床をするということらしい。
 説教じみた言い方で、頭ごなしに「規則正しい生活をしなさい」などと言われると、私のようなへそ曲がりは、それだけで「なに言ってやんでえ」となるのだが、これだけの規模での調査の結果言われたら、なにも言い返せなくなってしまう。
 こういうことって、意外とあるのかもね。
 つまり、こういうことっていうのは、単なる説教だと思っていたことが、科学的な調査を経て、その通りだとなるといったことである。あるいは、科学的な調査も経ず、単なる経験則だと思っていたことが、実は真実を射抜いているといったことである。
 結論として、寝られなくとも、12時を過ぎたあたりには、布団に入ろうと思う。それで、寝られなくとも、本でも読んでいればいい。

『大使とその妻(上)』(水村美苗)(0103)

 昨日の午前中に『大使とその妻』上巻を読了。純文学っぽいんで若干恐れをなしたのだが、けっこうスルスルと読めた。これだけ読むと、全容がわかる。もうちょっと正確に言うと、見取り図のようなものは見えて来る。
「私(ケヴィン)」という人の一人称で語り進むお話なのだが、このごろ「ネタバレ」というのを皆さん嫌っているようで、私なんかはある程度「ネタバレ」がないと批評もへったくれもないという立場なんで、ちょっと困るところはある。なんでそんなに皆さん「ネタバレ」に神経質になるのか、理解の外である。
 でも、皆さんが嫌がることをやるのも本意じゃないんで、なるべくそうならないように紹介してみようとは思う。
 まず、「私」はアメリカの北部で生まれ、シカゴ育ち、イェール大学を卒業した人であり、ゲイである。白人男性で日本文化、特に日本文学なんぞにイカレるのはおおむねゲイであると小説中にも出て来るが、ドナルド・キーンさんとか、ロバート・キャンベルさんとかを思い出せばいい。『源氏物語』なども、ケヴィンは私なんかよりも百倍も詳しい。そう言えば、ドナルド・キーンさんも日本に入れ込むきっかけは、ニューヨークの古本屋で買った『源氏物語』の英訳本だったはずだ。
 ケヴィンは、親の信託基金で生活している人で、基本東京のアパート暮らしだが、軽井沢の追分に5m×7mの「小屋」を買い、そこを「方丈庵」と名付け、東京と半々くらいに住んでいる。
 彼が取り組んでいるのは、「失われた日本を求めて」というプロジェクトで、これはそういうものをデジタル・アーカイブとして保存するというのが基本テーマである。
 このプロジェクトのタイトルは『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト)を連想させるが、どこか響き合っているところはあるような気もするものの、「舞台装置」を借りたものだけなのかもしれない。
 大使の「その妻」は貴子といい、主人公よりちょっと上の歳で、能管を吹き、小鼓を叩く。舞もやるようだ。
 このあたりも、日本びいきのケヴィンには魅惑的であり、初めて能管の音を空耳のように聴くシーンなど、幽玄と呼びたいくらいである。
 上巻を読んだだけでこんなことを言うのは不遜であることはわかっているが、こういう小説を、私は思弁小説と呼びたい。
 要するに、シチュエーションだけを設定し、そのなかで主人公たちがどう考え、どう行動するかを思弁する小説であるということである。
 思弁小説は、スペキュレイティブ・フィクションと翻訳されることが多いが、もともとはSFの一分野として考えられたものだ。「サイエンス・フィクションは大衆的で浅薄である」という偏見があり、これに対抗するためにロバート・A・ハインラインが言い始めたという。おもしろいのは、どちらもSF(サイエンス・フィクション、スペキュレイティブ・フィクション)であるところだ。
 それ以来、思弁小説の範囲はどんどんと広がり、そして現在は純文学までその領土に繰り入れるようになったというのが私の見立てである。
 大使もその夫人も国際人であり、ケヴィンもアメリカ人で、彼らが、現在の日本、千年前から連続している日本、そういったものを思弁する小説であるというのが、いまのところの私の読み方である。
 正月は暇なんで、下巻を読み終わるのもあと2日くらいだろう。そのときに、本日お話ししたことがそれほど的外れでなければ、このお話はこのままになる。
 さて。
 

『万延元年のフットボール』(大江健三郎)再読(0104)

 再読とは言っても、まだ再読はしていない。これからするという話である。
『万延元年のフットボール』(大江健三郎)、『共同幻想論』(吉本隆明)は、我が青春の読書の二大エポックであり、これを読む前と後では世界が違って見えた。同じ年だったから、この年は、二回世界が変わり、忙しい年だったことになる。
 再読しようと思ったきっかけは、noteの「読んで書く2024年・6月【夏目漱石】」で、書き手は「cogagacco こががっこ」さんである。当該部分を抜き書きする。

 宮沢賢治学会イーハトーブセンターが1995年に刊行した『宮沢賢治研究Annual Vol.5』の中に大隈満さんという方が書かれたとても面白い研究ノートが掲載されていました。以下引用です。
《大江健三郎の「万延元年のフットボール」には、宮沢賢治の「文語詩篇」ノートの次の一節が引用されている。「なれらつどひて石投じる そはなんぢには戯なれども われには死ぞと云ひしとき 口うちつぐみ青ざめて 異様の面をなせしならずや」》
《弱い者が苦しんでいる。自分はそれに深く同情している。ところが、その弱者の苦痛の原因が実は自分自身である。つまり、自分は罪深い存在である。こういう構図が、「万延元年」の中から浮かび上がる。ところが、これは正に宮沢賢治の精神の構図其物でもある》
《「よだかの星」は弱い虫を食べてでも生きていかねばならない自分の運命に気付いたよだかの物語だが、「万延元年」の鷹四とはこのよだかの面影を引くものではないだろうか》
 こう予想して大隈さんは鷹四を四鷹とひっくり返して「よだか」と読めることを示唆しています。さらに
《鷹四の信奉者には星男というのが出てくるのである(!)》と付け加えています。
 
 私は、『万延元年のフットボール』に「文語詩篇」(宮沢賢治)が引用されていたことは完全に忘れているが、主人公の根所蜜三郎の弟が鷹四であり、鷹四の信奉者に星男というティーンエージャーがおり(ちなみに、彼のガールフレンドであり、もうひとりの信奉者は桃子だったと思う)、そのあたりを読んだときにモヤモヤとしたものを感じていたことを、このnoteの記事を読んだことで完全に思い出した。
 ただ残念なことに、大隅満さんのようにまとまったことを考えたわけではなく、モヤモヤはモヤモヤのまま、たとえば鷹四が酒浸りの蜜三郎に向かい、「人生はシラフで送らなければだめだ」と言ったり、谷間の蜂起の戦略や、敵であるスーパーマーケットの天皇などの印象的な造形と、ストーリー展開に心を奪われてしまい、モヤモヤはモヤモヤのまま終わらせてしまったのである。
 若読みはあまりしないほうがいいという、典型例であったと思う。だが、それなりに反省はしていて、一昨年あたり、非常に安い値段で古本屋に出ていたので、「いずれ再読しよう」と考え、買っておいたのである。
 大江健三郎読みの間で、「四国もの」と呼ばれるジャンルがあり、「四国もの」には共通して大食漢の女性ジン、ギーおじさんなど、魅力的な人物が出て来る。それらを構造的に解説した「四国の谷間のミソロジー」とかいうタイトルの、非常に魅力的な解説が文庫化されたものにあったのだが、あれも探し出して読んでみたいと思っている。タイトルも不確かだが、解説者のお名前も忘れてしまっている。

【追記】

 トランプがついにやってくれた。2、3日と、新聞が来なくて幸せは言い過ぎだが、心の平安が保て、のん気に文学の話などをしていたのが、新聞が来るようになって即このザマである。
 今年も嫌な年になりそうだ。

『憲法なんか知らないよ』(池澤夏樹)の積み残し(0105)
 、
「『憲法なんて知らないよ』(池澤夏樹)(1224)」に「巻末のなだいなだの解説もとてもいい」と書いて、それっきりになっている。本日は「どういいか」についてお話ししたい。
 まず、引用。「大阪の小学五年の坊や」の質問というか、問題意識がなかなか鋭いと、まず言っておきたい。

 ぼくが「全国ラジオ子ども電話相談室」の回答者をしていたときのことだ。一人の小学五年生の子どもが電話をかけてきた。大阪の子どもだったと思う。こんな質問をした。
「日本は民主主義の国なのに、どうして代議士の子どもが代議士になるのですか」
「それはねえ」とそこまで習慣で答えて、ウッと次の言葉が出てこなくなった。
「ほんとうにどうしてだろう」
 考えたら、こっちが分からなくなった。だから一緒に考えることにした。
「どうしてだろうねえ」
「どこかが間違っているのじゃないのですか」
 小学生はいいことをいってくれる。
「そうにちがいない。きっとそうだ。だけど、どこが間違っているのだろう?」

 なだいなださんもタジタジだが、結局、この話は小学生が言い出したある言葉でケリがついた。だが、これは本当のケリではなく、仮のケリにすぎない。

「もしかして、民主主義って、勉強するのに時間がかかることなんじゃありませんか」
 ぼくは子どもの答えにしびれた。
「それだ。それだよ、君」
「なにがそれですか」

 最終的に、

「日本は建前は民主主義の国になったんだ。でもまだ、本当に民主主義になったとはいえない。だから、親が代議士なので、子どもも代議士になる場合がまだ多いのだよ」

となだいなださんは結論づけている。
 大阪の小学生の言葉も、なだいなださんの言葉も、的に当たってはいるのだが、的を射抜いてはいない。
 世襲と民主主義は、あるいは世襲と非民主主義は、本質的にはなにも関連はない。ただ世襲を認めているうちは、非民主主義的だと言えるには言えるが、それだけの話である。
「(勉強するのに)時間がかかる」というところで、世襲が有利かなという気はする。だが、じゃあ、時間をかけたはずの世襲議員が民主主義をわかっているかと言えば、どちらかと言えばわかってない人のほうが多いような気もする。なだいなださんもその後に「あとがき」で言っているように、「時間をかけても」なんら身になっていない二代目、三代目がゴロゴロしているように見える。具体例を挙げてもいいけど、時間のムダだからやめておく。
 だが、それでは初代ならまともかと言えば、そんなこともない。初代であったってまともじゃない人をここで挙げていってもいいが、これも時間のムダだ。
 話は違うが、私が文楽を好きな理由のひとつは、世襲がまったくと言っていいくらいないことからである。文楽をやっている方々には申し訳ない言い方になるかもしれないが、あんまりいい商売ではないからなのだろう。
 世襲がはびこる業界は、なんだかんだ言っていい商売であるというのは間違いないところに思える。
 国会議員も、なんとかしてあんまりいい商売じゃなくなるようにしたら、世襲議員も減るだろうけどね。
 
 
「全国子ども電話相談室」でもう一題(0106)

 TBSラジオで放送されていた『全国こども電話相談室』は、1964年にスタートし、2008年まで続いた番組である。前回は、なだいなださんが「全国ラジオ子ども電話相談室」と書いていて、それに倣っているが、こっちの番組名が正しい。
 この番組が開始されたときには、私は1949年生まれなので「子ども」というには少々トウが立っていたが、それでもこの番組のファンだった。
 私ども愛聴者からしたら、この番組=無着成恭(むちゃく・せいきょう)である。不思議なお名前だが、これは本名。無着成恭は禅宗の僧侶であり、学校の先生だった。そういう家系には無着なんていう姓もあるのだろうね。興福寺に無着像があるが、あの人はインド人のはずなんで、たぶんあの人の子孫ということはないだろう。
 ちなみに、昨日のなだいなださんはペンネーム。スペイン語の「nada y nada」をペンネームにしたという。英語にすると、「nothing and nothing」である。
 昨日の小学5年生もなかなかだったが、私が聴いたなかの最高質問は以下だった。文章で読んだことが一度もないので、たぶん、誰も書かなかったことである。このまま忘れ去られるにはあまりにも惜しい質問なんで、書いておこうと思う。とは言っても、すべて記憶によるしかない。
 男の子の質問は、

「ぼくは、なんでここにいるんですか」

だった。無着先生の返答は、まず、「いまキミは、電話の前にいるでしょう」だったと思う。おそらく、無着先生は、「その前はどこにいた?」と続け、簡単な因果論を持ち出し、それをやや拡大し、ごまかすという戦略だったんだろう。禅宗の坊主の考えそうなことである。
 ところが、男の子は、無着先生の手には乗らなかった。

「あの、そういうことじゃないんです」

 どうも男の子の聞きたいことはもっと深淵なことで、意識はどこで生まれるのかとか、自分の意識は自分のものだと思っていいのかとか、この時代に生まれたことになにか意味があるのかとか、もし意味があるのならば、それはどのようにして理解が可能なのかとか、無着先生が探り鍼のような質問をするたびに、どんどんと男の子の問いは深くなっていく。イエスですら「神に遣わされた」で済ませていたことを、この男の子は徒手空拳で考えようとしていたのである。
 その放送を聴き、この男の子の言葉で、私はめまいのようなものを感じたのだが、約20年後、カール・セーガンの『コスモス』で感じためまいよりも、この男の子の言葉で感じためまいのほうがずっと深かった。
 もちろん、無着先生はしどろもどろで放送を終わった。
 この男の子は、どういう大人になったのだろうか。私より10歳くらい下だから、いま60代の真ん中くらいだ。

綴方教室の時代(無着成恭と寒川道夫)(0107)

 前回お話しした無着成恭は、山元村(現在の山形県上山市)の中学校教師時代、教え子の中学生たちの学級文集(生活記録)をまとめ『山びこ学校』として1951年(昭和26年)に青銅社から刊行。これにより、全国的に有名になった。
 この出版は、教育界で戦後民主主義教育の典型例として大きな反響を呼び、ついで教育界の外側にも波及した。『山びこ学校』は43人のクラスの生徒全員の生活の実体験のなかから出てきた作品であり、ベストセラーになった。
 翌1952年 、『山びこ学校』は今井正監督によって映画化もされている。
 しかし、地元からは「子どもを使って村の貧しさをえぐり出し、世間に恥をさらした」などの声が起こり、無着は石もて追われるようにして村から追放される。
 1953年上京。駒澤大学仏教学部に編入し、卒業。1956年、明星学園教諭に就任。
 この時代は、綴方教室の時代と言ってよく、同じ1951年、寒川道夫が刊行した彼の教え子の詩集である『山芋』も世に知られたが、こちらは大関松三郎という天才少年を世に出した。これは現在、『大関松三郎詩集 山芋』(寒川道夫、講談社文庫)で読める。
 ちなみに、大関松三郎は黒条尋常高等小学校卒業後、1941年(昭和16年)に新潟鉄道教習所に入学。卒業後、機関助手として勤務しつつも軍属を志し、1943年(昭和18年)に山口県防府市に新設された海軍通信学校へ入学。海軍通信隊員として、マニラの海軍通信隊に赴任中の1944年(昭和19年)12月19日、乗っていた輸送船が南シナ海で魚雷攻撃を受けて戦死。18歳だった。
 ちょっと皮肉な言い方をすれば、寒川のほうは時代も違い、「便乗出版」だったことになる。それでも、大関松三郎という才能を、私たちに知らしめた功績は大であると言える。
 もうひとり、生活綴方で必ず出て来る名前は豊田正子である。
 豊田正子は1922年11月13日、本所(墨田区)の貧しい職工の家に生まれ、四つ木(葛飾区)で小学生時代を過ごしたが、小学4、5年生のときの教師大木顕一郎らの指導で書いた作文26篇が『綴方教室』に収められて刊行されるとたちまちベストセラーとなり、映画化され、本人朗読によるレコードも発売された。そのときには、本人はすでに小学校を卒業し、女工になっていた。
 また、『綴方教室』は映画にもなった。監督は山本嘉次郎で、製作主任として黒澤明が名を連ね、正子役は高峰秀子。他に徳川夢声、滝沢修、赤木蘭子、清川虹子、三島雅夫などが出演している。公開日は、1938年8月21日。
 豊田はその後、『婦人公論』で創作を発表するなどし、20歳を迎えた戦時中には中国視察に派遣され、『私の支那紀行 清郷を往く』(1943年)を発表している。戦意発揚に動員されたのだろう。
 こういう言い方は高飛車で嫌なのだが、豊田正子の人生は、まわりからもみくちゃにされたことでとても痛ましいものになったと、少なくとも私の目には映る。
 紆余曲折を経て、戦後宝飾店で働くことになり、そこで既知の田村秋子(女優)と再会し、田村の死までを描いた『花の別れ』で1986年日本エッセイストクラブ賞を受賞した。これは読んでみたい。前述の高飛車な感想を減ぜられるかもしれないし、田村秋子にも興味がある。
 なお、今回の始めのあたりに、戦後民主主義教育≒綴方指導ととられるような書き方をしたが、大関松三郎の例、豊田正子の例でわかるように、綴方運動は戦前からの潮流であり、鈴木三重吉(1918年‐1936年)が『赤い鳥』に拠って推進したものであると言っていい。
 だから、源流は、大正デモクラシーまで遡れるものである。

お気楽七福人の板橋七福神巡り(0108)

 1月6日は板橋七福神巡り。まだ松の内だからね。板橋七福神って、あんまり聞いたことないでしょ。でも、100年くらいの歴史がある。
 板橋七福神にはもうひとつ大きな特徴があるが、その前に七福神の説明をしておく。さらに、その前に七福神を思い出すときの戦略の説明をする。
 まず、デブ三人。恵比寿、大黒、布袋。そうでもないのが三人。毘沙門、福禄寿、寿老人。どちらかと言えば、この三人は細長い。女性ひとり。弁財天。七人を順に思い出そうとすると必ず誰か抜けるし、また、誰を数えあげたかもたいがいわからなくなるが、小分けにすることでそれはだいぶまぬがれる。
 さて、このなかで日本人は恵比寿さんだけである。この人は、大国主命の息子さんという噂もあるが、真偽のほどは不明。
 大黒さんは、大国主命と思っている人も多いようだが、本当はインド人。ヒンドゥー教のシヴァ神の異名、あるいは化身である。異名のマハーカーラは、「マハー」が「大(偉大)」、「カーラ」が「時」あるいは「黒(暗黒、闇)」を意味する。つまり「大黒」である。当然、インド人。大国さんとの混同は、どちらも「ダイコク」だからだろう。
 布袋さんは中国人。唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在した伝説的な仏僧である。大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。このなかでは、唯一の実在人物だ。
 毘沙門は梵名ヴァイシュラヴァナ。四天王の一人、多聞天である。つまりインド人。
 福禄寿は道教の神さまで、幸福、封禄、長寿の三徳を具現化した存在。宋の道士天南星の化身説、南極星の化身(南極老人)説もあり、七福神の寿老人と同体異名の神(つまり同一人物)とされることもある。中国人。
 よって寿老人は、七福神から外されることもあり、その場合は猩猩が入るという。猩猩がよくわからないが、そう言われているんだから仕方がない。
 弁財天はサラスワティ。ヒンドゥー教で、学問、音楽、知識の神さまである。中国に渡って弁財天になってから日本に来て、七福神にシードされた。
 まとめると、恵比寿(日本人)、大黒(インド人)、布袋(中国人)、毘沙門(インド人)、福禄寿(中国人)、寿老人(中国人)、弁財天(インド人)。みごとに排外主義を排している。
 余談だが、毘沙門、大黒、弁財はそれぞれ「天」が付く。逆に天がつく人たちはヒンドゥー教からの移入神と思ってよろしい。帝釈天とかね。吉祥天とかね。毘沙門天は、ソロのときの呼び名で、グループのときは多聞天と呼ばれる。四天王は護方神であり、それぞれ担当は、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)、多聞天(北)である。つまり、四天王でグループ名。
 さて、冒頭に申しあげた「大きな特徴」だが、それは昭和の初めごろ、町彫師の田中金太郎さんがおひとりで七柱を掘ったことである。金太郎さんが彫ったものがそれぞれのお寺に収められ、昭和十二年から板橋七福神巡拝が始まったという。だから、大きさ(だいたい25㎝くらい)にも、あたりまえだが作風にも、統一感がある。これはあちらこちらの七福神を拝観してきた経験からはなかなかないことで、だいたいどこの七福神でも、時代も作風もばらばらである。
 さて、今回七福神を巡ったのはお気楽七福人。我がシェアハウスのおばさん、私、毎度おなじみケイコさん、カヤマ三姉妹、そしてツァーコンダクターは我が畏友その1である。
 畏友その1は長らく板橋に住み、七福神巡りの「あがり」を「仲宿酒蔵」なる飲み屋にしたいというおばさんの無茶ブリにもよく応え、行程を組んでくれた。
 打ち上げの席でその1を顕彰したのは言うまでもない。
 私は、数日前から花粉症で苦しく、全行程歩けるかと不安だったが、なんとか完歩。
 その1は講評で、「全員迷子になることもなく、誰も漏らすこともなく、無事に歩きとおした」と言っていたが、アブナイ局面もあったと思うぞ。意味のあることとは思えないが、全員の歳を合算すると、五百歳を軽く超える。これも長寿の七福神っぽい。
 私の歩数計は、19,677歩だった。

電送少女メイちゃん(0109)

 1月7日は、我が孫・メイちゃんとほぼ一日を過ごした。至福の一日。
 標題の「電送」は、最寄り駅のホームで我が長女の連絡してくれた電車、号車を待ち、メイちゃんをピックアップしたことによる。電気送信ではなく、電車送受。長女が乗っけ、私が受け取る。同じ私鉄の沿線に住んでいるんで、こういうことが可能になるわけである。
 我が長女からのメールには「朝トイレに行ったきりなんで、すぐにトイレに行きたがるかも」と書いてあったのだが、そのとおりで、ホームで会うなり開口一番「おじいちゃーん、トイレ、トイレ!」。
 メイちゃんは、よっぽど2つ前の駅で途中下車し、トイレに行こうと思ったようだったが、母親から私が待ち受けているのを聞いており、当該の電車にいないと私が心配すると思ったそうで、前述の仕儀となった。
 そらあ心配するがね。半狂乱になっただろう。
 私は極甘のおじいちゃん役なので、事前にガチャガチャセンターを調べており、私らの最寄り駅至近の大きめのガチャセンが閉鎖していたのを把握していた。よって、トイレに行った後、2つ手前の駅に戻った。ただ、ガチャセンは開店前だったので、仕方ない、コーヒー、ココアをそれぞれ飲みながら、ガチャセンが開くのを待ち、ガチャガチャを完遂。
 それから我がシェアハウスに向かった。
 それでもガチャガチャ関連で時間を取られたので、我がシェアハウスのおじさん、おばさんは既に昼飯を済ませていた。
 おじさん、おばさん、私から首尾よくお年玉をもらったメイちゃんと、近所の町中華へ。それぞれラーメン、餃子。メイちゃん、私と同量食べたな。偉い、偉い。いっぱい食べて褒められるのは、今のうちだ。いま、小学3年生。
 戻ってから、メダカの諸君にエサをやるも、半冬眠状態なので反応なし。コラ、おまえら、せっかくメイちゃんがエサやったんだぞ。目をさまさんか。
 それからは、持参の任天堂スイッチでゲーム大会。スイッチは、おととしのクリスマスプレゼントであげたものなので、「こうして使ってるよ」と見せたかったのだろう。可愛いっちゃない。
 私はこの段階で、ちょっとやらなければならないことがあったので、スイッチ対戦をたまたま下におりてきたおばさんに代わってもらい、2階へ。メイちゃんに「上手、上手」「才能ある」などとおだてられ、おばさん、舞い上がっちゃった。本日(8日)の夕飯時、「五月の連休に、またメイちゃん来ないかね」。完全にその気になってしまっている。
 長女からのメールで、「こっちの駅に、4時30分以降に着くように、送り出してください」とあったので、帰りは駅まで送り、その通りに逆電送した。
 ピックアップしたというメールが来るまでずっと心配だったが、向こうの最寄り駅のホームで撮ったメイちゃんの写真を送って来てくれた。
 当日は、会ってからずっと、ずいぶんお姉さんの顔をしていたが、あれ、緊張していたんだね。向こうの最寄り駅でお母さんに会って、普段の顔に戻っていた。
 翌日、我が長女からメールが来て、「たくさん楽しかったことがあったようで、帰り道、ずっとおしゃべりが止まりませんでした」。よかった、よかった。
 多少のサポートはあっても、「自分ひとりでここまでできた」というのが、たぶん最大のよかったことだね。
 
 
トランプに正義はあるのか(0110)

 1月4日の【追記】に、

 トランプがついにやってくれた。2、3日と、新聞が来なくて幸せは言い過ぎだが、心の平安が保て、のん気に文学の話などをしていたのが、新聞が来るようになって即このザマである。

と書いた。遅まきながら、本日はそのお話を。
 テキストとして使うのはNHK ONEで、担当は国際部記者の吉塚美然さん。上智大学の前嶋和弘教授からの聞き書きである。
 ベネズエラ侵攻は「いつ起きてもおかしくない状況」だったが、「最初は薬物を積んでいるとされる漁船を攻撃して100人ぐらい亡くなっているわけです」「そもそも薬物を積んでいたとされる漁船が、本当に薬物を積んでたかどうかわからないという問題があります」。
 よしんば、薬物を本当に積んでいたとしても、この「攻撃」自体が違法である。このあたりで、これは、ヤローやるなと私は思っていたのだが、案の定であった。
「マドゥーロ大統領の生活パターンも全部分かっていたと思う」「ですので、夜に襲撃したという形なのかと思います」
 卑しくも(相当に卑しいみたいだけど、それは置いておいて)主権国家に土足で踏み込み、そこの大統領を拉致するというのは国際法上の大問題である。ただ、アメリカには、それをやってきた歴史がある。
「1990年のパナマのノリエガ排除もありますし、1973年にはチリのアジェンデ政権の転覆みたいなこともありました。チリの方は特に利権絡みでもあったので、今回と似ているかもしれません」
 前嶋和弘教授は、トランプ大統領のこの件に関する記者会見を全部見たと言っており、そのうえで、
「最初、いかにこの作戦を周到に準備してうまくやったのかということを褒めた後、記者会見のところで、すぐ利権の話が出てきたり、あるいはマドゥーロ拘束後のベネズエラを運営していく話が急に出てきたりという形で、かなり荒っぽく、アメリカがベネズエラをコントロールするというシナリオはすでに前からできていたように見えます」
 記者会見でトランプは、RUNという動詞を使っていたと前嶋教授は言う。RUNは、「運営する」でもいいし、「統治する」でもいい。もっとゲスに「転がす」でもいい。あらかじめ、そういうことが既定路線だったということである。
 これらの暴挙は「トランプ政権の説明だと、これは(アメリカの)国内法から説明できる」「例えば、麻薬などでアメリカ国民を危険にさらしたということで、アメリカの司法手続きにのっとって捕まえてきた。さらには、そもそも選挙違反で大統領になったから正当性がなく、大統領でもない人物なので国家の主権を脅かしているということではないと言っています」。よしんば正当な大統領ではなく、一般市民でも拉致は拉致である。また、国内法で説明できても、国内法の及ぼす範囲は国内であることは自明だ。この「トランプ政権の説明」はまったく意味をなしていない。
 それ以前に、米軍内に、今回の「侵攻」に反対する声はなかったのかと思う。普通ならあるはずだ。トランプ支配は、そこまで来ているのだろうか。
 ここからは、「小さな話」だが、同根、相似形である。これはCNNニュースに拠る。
 ミネアポリスで7日、不法移民の摘発にあたっていた移民税関捜査局(ICE)の職員が発砲し、女性(レニー・ニコル・グッドさん(37))が死亡した事件があった。ICEは、トランプの移民排斥の先兵である。ICEを管轄する国土安全保障省のノーム長官は、グッドさんが業務を遂行する捜査官に「つきまとい、妨害していた」とし、車を「武器化」して捜査官をはねようとしたと述べた。この事件で、ICEの誰かは「正当防衛」を主張していたはずである。
 ミネソタ州の政治家らは、トランプ政権の移民政策が今回の銃撃事件につながったと批判した。ウォルズ知事は、州兵を動員する用意があると警告。これは、州兵をICEに対峙させるという意味だろう。ミネアポリスのフライ市長は、今回の事態は「社会の忍耐力が試されている」と述べた。
 トランプはとんでもないが、アメリカは「地方」という「中間団体」がそれなりに機能している分、まだ健全だと、多少の希望は持てる。多少ではあるが、日本のようにほとんどないよりはまだましである。

いいなと思ったら応援しよう!