シェアハウス・ロック(or日録)2503下旬投稿分

阿佐田哲也さん、伊集院静さん0321

「【ライブ】旅打ち0319」で、阿佐田哲也さん、伊集院静さんのお名前が出てくる。伊集院静さんの著書を、私はそれほど読んでいない。それでも、名文家であるとは知っている。
 阿佐田哲也名義のものは、相当読んでいる。すべてと言っていいくらい読んでいる。色川武大名義のものも相当読んでいる。阿佐田哲也名義のものは、基本的に麻雀小説である。「麻雀」に「剣豪」を代入すれば、どういう小説だかをご想像いただけると思う。「雀豪」という言葉すらあったぞ。写植のフォントに麻雀牌があるが、あれは、阿佐田哲也さんのために開発されたものだという。
『いねむり先生』(伊集院静)は、「妻の死後、無為な日々を過ごしていた僕が出会ったのは、小説家にしてギャンブルの神様。色川武大との交流が僕から恐れを取り除いてくれた」(これはネットで拾った文章)という内容のもので、ただひたすら競輪等々の「旅打ち」をする話である。
 阿佐田哲也さんは「ナルコレプシー」というめずらしい持病をお持ちだった。それで「いねむり先生」なのである。
 同書は、どうってことのない「旅打ち」の日々が、たいした起伏もなく、たんたんと繰り返されていくお話なのだが、それがとてもいい。しかも、上記「ネットで拾った文章」から想像すると、伊集院静さんを心配した阿佐田哲也さんが声をかけたことは間違いないのだが、『いねむり先生』のなかの阿佐田哲也さんは、伊集院静さんを励ましたり、慰めたりの言葉を一切かけていない。それに伊集院静さんは「出会った」というさりげない言葉で応えている。
 阿佐田哲也さんは、牛込の生まれ、育ちで、江戸っ子の顰に倣い、シャイなのであろう。だから、もっともらしいことは言わない。言いたくなっても、みずからブレーキをかけてしまうのだと思う。
 この交流のエッセンスから、伊集院静さんは後年ベストセラーになったタイトル「大人の流儀」を導き出したと考えたいところである。
 ギャンブルの神様=麻雀の神様(雀聖というのも聞いたことがある)と、私は一度麻雀を打てるかもしれない状態になったことがある。
 あるとき、短期間総評(後の連合)の仕事をしたことがあり、私らのセクションのトップがスズキコウインというおじさんだった。このおじさんがチンチロリンで家屋敷を失ったという猛者で、つまりギャンブル狂いの人だった。
 その仕事を私に紹介した私の兄貴分のスズキユウさんと、私らの外郭団体みたいなウリウという男と、4人で仕事後、よく麻雀を打った。あるとき、ウリウの都合が悪くなり、スズキコウインが、「じゃあ、阿佐田でも呼ぶか」と言った。
「阿佐田って?」と聞く私に、「阿佐田哲也だよ、知ってるだろ」。そんなのあんた、知ってるも知らないも。
 電話を切ったスズキコウインは、「だめだ。寝ちゃったってよ。奥さんがそう言ってた」。
 こうして私は、阿佐田哲也さんと麻雀ができるチャンスを逸してしまったのである。

『くらしのアナキズム』(村松圭一郎)読了10322

「図書館で困るところは…0307」で、図書館から「ご依頼の資料の準備ができました」という知らせが入り、『ムラブリ』(伊藤雄馬)、『くらしのアナキズム』(村松圭一郎)の2点が借りられるようになったこと、その時点で既に『利己的な遺伝子 利他的な脳』(ドナルド・W・パフ)を借りていたので、さあ困ったというお話をした。
 図書館の駆り出し期間は2週間である。その2週間で、この3冊を読み切れるのだろうかということである。
 結局、『利己的な遺伝子 利他的な脳』はあきらめた。ドナルド・W・パフは脳科学者ではあるようだが、心理学(それも認知科学)っぽい書き方をされておられ、「どうもなあ」と思っていたのだ。福岡伸一さん(訳者)の前書きにつられ、半分くらい読んだのだが、どうも論考に厳密さを欠くような気がしだしていたところでもあった。
 また気になりだしたら、そのときに改めて借りればいい。よって、満期以前に返すことにした。
『ムラブリ』はすばらしい本だったので、いずれ。伊藤雄馬さんは言語学者であり、ムラブリの村に言葉を採集に行くのだが、言語に関する考察がすばらしい。
 村松圭一郎さんは文化人類学者(岡山大学文学部准教授)であり、同書は「国家は本当に必要なのか」という簡単な問いから書き起こす。

 歴史的にみれば、国家は、そんなやさしい存在ではなかった(やさしいに傍点)(p.28)

 この問いは、より厳密には「国家があるから私たちは存在できるのか」「私たちがいるから国家は存続できるのか」である。考えるまでもなく、後者が正しい。縄文時代、あるいは狩猟採取経済の時期には、国家など成立しようがなかく、せいぜいムラといった単位だった。
 このことについて、吉本隆明さんは、

 遡って遡って、どんどん遡っていけば、天皇制もなにもかもが無効になる。

と言っている。
 ただ、言うのはとても簡単だが、それを実現するには、特に社会的なオーダーでそれを実現するのはなかなか大変ではある。村松圭一郎さんも、自身のご実家がある熊本県で起こった熊本地震に関することを述べられ、そこで、住民相互の助け合いを目撃することで、「国家の先にあるべきもの」を見ているように読める。
 ところで、この本は、我が畏友その1が「ぜひ読め」と勧めてくれたもので、当「シェアハウス・ロック」で私が、「我がシェアハウスでは、私は贈与の気分で家事をやっている」と書いたことに反応してのことだったようだ。
 同書から何か所か抜き書きしているし、それをテコにしてこのあたりのことを数回にわたって書いてみようと思う。

『くらしのアナキズム』(村松圭一郎)読了20323

 前回、村松圭一郎さんは「国家の先にあるべきもの」をこの本で考察していると言った。
 今回は、文化人類学の「来歴」(私にとっての)をお話しするところから始めたい。
 へなちょこのマルクス少年だった私が、もっとへなちょこの実存主義青年になったころ、次は構造主義だと言われた。言ったのは特定の個人ではなく、当時の「論壇」だった。「論壇」というよりも、マスコミ、あるいは出版界だね。当初なんのことやらわからなかった。構造主義がイデオロギーになるなんてと思ったのだ。
 へなちょこの私は、イデオロギーを求めていたのだと思う。イデオロギーは、当時の私の理解では、「思想+生き方」である。あるいは、生き方として発動できる思想がイデオロギーである。つまり、生き方がよくわからなかったので、思想に頼ったのだろう。思想がこういうところではあまり頼りにならないことがわかったのは、ずっと後年だった。残念なことだが私はバカだったことになる。
 思想などなくても、あるいはあるように見えなくとも、立派に生きている人はいる。ただし、生き方が立派という人と、ただ生きている人とがいる。両方とも、一応は立派に生きていることにはなる。
 生き方が立派という人に学ぶべきだった。あるいは、ただ生きているだけの人の前では思想など無効だということに気が付くべきだった。
 このラインとはまったく別個に、雑誌『中央公論』で、とてもおもしろい評論を私は発見した。筆者は山口昌男。その評論を私は切り取り、製本し、長らくとっておき、何回も読んだ。
 数年後、私が自家製本したものが一冊の本として発売された。『歴史・祝祭・神話』(中公文庫)である。1978年に出たとある。
 それまでに、『悲しき熱帯』(レヴィ・ストロース)は読んでいた。バカなりに努力はしていたのだ。ところが、この本をお読みになった方はご存じだろうけど、まず冗長。当時の訳も悪かった。で、挫折した。
 うかつなことに、文化人類学に挫折した私は、『歴史・祝祭・神話』を文化人類学者が書いたもの(すなわち、文化人類学の一翼を担うもの)とは思わず、ただただ「おもしろい読み物」として読んだのである。バカもここまで来れば筋金入りであり、いっそすがすがしい感じすらする。
 75歳になり、現在の私は、生き方の集成が思想であり、まず、生き方が先であることがわかってきた。
 述懐だけで終わりそうなので、『くらしのアナキズム』の話をする。
 印象的な引用だけを、今回は紹介する。

 ニューギニアのガワ(ブサマ)のリーダーは「骨を食べ、石灰だけを噛んでいる男たち」のことだった(同書三五四頁)。自分は食べ残しだけで、一番うまい食べ物は他人に与えていたからだ。昔の伝説的なリーダーは、だれよりも多くの豚とひろい農園をもっていたが、すべて気前よく分け与えてしまった。その仕事はたいへんで、みなしぶしぶその地位についた。つねに手を土で真っ黒にして額に汗して働いても、物質的な報酬はなかったという。(『くらしのアナキズム』p.86)

 上記「同書」は『石器時代の経済学』(シャル・サーリンス)。
 次回は、『悲しき熱帯』から始まる。

『くらしのアナキズム』(村松圭一郎)読了30324

 首長はこうした多様な職務を遂行するに当たって、何らの明確に定められた権限も、公に認められた権威も、支えとしてもっていないということである。同意が権力の根源であり、彼が首長の地位にあることの正当さを保持しているのも、この同意なのである(『悲しき熱帯Ⅱ』二二三頁)(『くらしのアナキズム』p.82)

 首長制の空間は権力の場ではなく、「首長」(この呼び方も適切とはいえない)の形象は、来るべき専制王の姿を先取りするものではない。(『国家に抗する社会』(ピエール・クラストル)二五六頁)(『くらしのアナキズム』p.91)

『くらしのアナキズム』の前半は引用が多い。 
 そのなかから、首長の話をふたつ並べてみた。どちらも専制王に対比される、あるいはそれ以前の首長である。
 前回お話しした『歴史・祝祭・神話』にも、同様の王がでてくる。山口昌男は、「トリックスターとしての王」という表現をしていたと思う。アフリカのある部族では、それなりに擁立され王となるものの、たとえば旱魃続きのときなどは、天がこの王を認めていないとして供儀の対象になるといった話である。すなわち、殺されてしまう。
 では、この「トリックスターとしての王」「供儀王」が専制王に変わる節目はどこなのだろう。

 生産活動が初期の目的からそれ、自らのためにのみ生産していた未開人が、交換も互酬性もなしに他者のために生産する時、全てがひっくり返る。その時、すなわち、交換の平等性の規則が社会の「民法法規」であることをやめ、生産活動が他者の必要を充足することを目ざし、交換規則に負債の恐怖がとって代わる時、われわれは労働について語ることが可能になる(『国家に抗する社会』(ピエール・クラストル)二四六頁)(『くらしのアナキズム』p.96)

 農業が大きなファクターだった。また、労働の起源についても言っている。以前、『世界史の構造』(柄谷行人)のお話をしたときにも、このことを申しあげた。
 小学校のころ、「農業が始まり、人々は定住するようになった」と習い、小心だった小学生の私は、「それはわかったが、じゃあ、一年目はどうしたんだろう」と古代人の身の上を心配したものだった。二年目からは、一年目の収穫でやっていけるが、一年目は(前年の収穫などないから)やっていけたんだろうかと心配になったのである。
 ただ、これは大きなお世話であって、徐々に農業への依存を高めていったのだろうし、バカの小学生が心配などしなくとも、彼らは彼らで、それなりにやっていたわけである。
 だが、それよりも(「それ」は技術革新)制度の問題として、多く立ち現れたのではないか。
 日本では公地公民と言われたが、この「公」は天皇である。天皇という存在が生まれるまではこの「公」は豪族のことだった。つまり、これをこそ、資本の原始的蓄積と呼ぶのではないか。
 前々回で「歴史的にみれば、国家は、そんなやさしい存在ではなかった(やさしいに傍点)」と引用したのは、まず、こういう意味である。
 私らが平和に暮らしているところへ、国家が立ち現れた。
『人新世の「資本論」』(斎藤幸平)は、「コモン」という言葉を使っていたと思ったが、これをこそ資本の原始的蓄積と呼んでいたはずである。

『くらしのアナキズム』(村松圭一郎)読了40325
 前回は、私たちが頼んでもいないのに国家が立ち現れ、「おまえらを統治してやる」と言い出したところまでをお話しした。
 当初は国家も可愛いもんだったんだろうと思う。いや、当初のほうがエグかったのかな。だって、みんな国家慣れしてないもんな。それなりにガツンとやらないと、みんな言うこと聞かなかったかもしれないし。
 まあ、国家ったって、このころはヤーさんみたいなもんだったって言ったら、ヤーさん怒るかな。国家がヤーさんで、税金がみかじめ料ね。
 憲法も法律もほとんどなく、「俺が法律」みたいなもんだろうから、みなさん苦しんだろう。あるいは、それ以前の採取狩猟時代のよき名残りがまだあり、比較的緩いものだったんだろうか。まったくわからない。
 さて、それから約2000年、近代的な法整備も整い、そういう状況下でいま私たちは生きているわけだが、国家が肥大すると、どこで誰がなにをどうやっているのかが見えにくくなる。
 熊本地震の混乱のなかに投げ出された村松圭一郎さんは、次のように言う。

 ぼくらはつねに匿名のシステムに依存して生きている。そのシステムが壊れたとき、たよりになるのは、それぞれがつながってきた顔の見える社会関係だけだ。その関係から切り離され孤立すれば、生存すら脅かされてしまう。(『くらしのアナキズム』P.82)。

 これは熊本地震の体験から導き出されたもののようだ。
 ちょっと松村さんに茶々を入れると、システム≒国家=行政だったら、それほどは依存してないよ。もっと依存したいくらいだ。
 話を戻して、そういう状況下で個人的な関係のなかで実現した素晴らしい相互の関係性の回復、そのもとで展開された助け合いを、村松さんは多数紹介している。『くらしのアナキズム』の白眉といっていい部分である。
 こんなにはドラマチックではないが、私ら、シェアハウスに住むおじさん、おばさん、私は、本当に些細なことではあるが、支えあいが日常化している。
 我が畏友その1に勧められて読んだ『くらしのアナキズム』だが、ここから始まるんだなという思いを強くした。
「1」でお話しした「国家があるから私たちは存在できるのか」「私たちがいるから国家は存続できるのか」の問いかけの答えは、後者が正解であるのは自明である。私たちがいなくなってしまったら国家は存続できないが、国家なんかなくっとも、私らは存在できる。縄文人がそれを証明している。
 答えは簡単でも、実現するためのプログラムはなかなか難しい。ただ、前述のように「ここから」であることはわかった。
 これは、たいしたことではないかもしれないけれども、大きな一歩ではあると思うことにする。
 ああ、「実現する」ったって、国家を解体するなどという過激なことを申しあげているわけではない。ただ、国家の弊をどうやって、どこまで除いていくかということである。

トランプの暴言暴挙(続き)0326

「トランプの暴言暴挙0305」では、

 同コラムでは、こういった暴挙にブレーキをかけられるのは、裁判所しかないとされ、職員の休職については裁判所が一時差し止めを命じたが、バンス副大統領は「裁判所は大統領令を止めることはできない」と言い出した、と述べられている。日本の首相で、三権分立を理解されておられない方がいらしたが、アメリカもその領域に入りつつある。

 同コラムは、『週刊文春』の「そこからですか!?」(池上彰)である。このトランプ(政権)もスゴいが、その後もスゴい。
「BBC News によるストーリー」では、

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は4日、「違法な」抗議活動を許可している米大学への資金援助を停止し、抗議に参加した留学生を起訴して強制送還すると述べた。
 トランプ氏はこの日、学生による「違法な」抗議行動を許可した教育機関への「連邦政府の資金援助をすべて停止する」と、自分のソーシャルメディア(SNS)サイト「トゥルース・ソーシャル」に投稿した。

とある。これは「違法な」をきちんと定義してくれないと、罪刑法定主義に反する。たとえば、日本の刑法第235条は窃盗罪について「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役または50万円以下の罰金に処する」と明記している。ここには動機など一切触れられていない。罪と刑が一対一対応している。これが罪刑法定主義だ。
 第一、「許可している米大学」ってなんだろう。違法を許可する大学なんてあるわけがないだろう。学内でのデモ、集会を許可すること自体が違法になるはずがない。よしんば学生の行動が違法になったら、そのときにはそのときで処分するというのが正しい姿だろう。しかも、ここでも「違法」の定義をきちんとやらないといけないし、この言い方はあと一歩で予備検束っぽい。つまり、デタラメである。
 もっとスゴいのは、「テスラ車への放火は、テロと認める」と言い出したことである。これは、毎日新聞がネタ元。数日前の5センチ角くらいの小さな記事だったが、これにも驚愕した。昨日の同紙夕刊には、より詳しく出ていた。
 前述の罪刑法定主義では、放火はどこまで行っても単なる放火である。それ以上でも以下でもない。イーロン・マスクに気を使ったのかね。
 明治初期の江戸っ子は、薩長土肥に対する抵抗・反感から、彼らの制服に付けられた「錦」のワッペン様のものを剥ぎ取る行為をした。これは罪刑法定主義では単なる窃盗である。明治政府が生意気な江戸っ子にやれるのは、せいぜい、窃盗行為に付随して多少の傷を薩長土肥に与えたとして、傷害/強盗に仕立てあげることぐらいだ。これを、国家反逆罪に仕立てあげるというのが、トランプの言っていることである。バカもこじらせると恐ろしい。あの明治政府ですら、さすがに国家反逆罪はおろか、強盗に仕立てあげることもなかったと思う。少なくとも、私は聞いたことがない。
 昨日の最後に、「ただ、国家の弊をどうやって、どこまで除いていくかということである」と申しあげたが、これは国家の弊以外のなにものでもない。

【Live】3月25日のウーバーイーツ0327

 我がシェアハウスのおばさんが、鉄火場麻雀をやっている雀荘へ、我が友・青ちゃんとイノウエさんに、救援物資を配達する話である。
 本日のウーバーイーツは簡単(昨日書いているから、「本日」ね)。蕎麦セットである。たぬきつね蕎麦セット。たぬきのほうは、駅前のスーパーで前日仕入れておいた。きつねは、朝から煮ている。あと、ほうれん草を茹で、小分けにする。そして、シマダヤの冷凍蕎麦を付ける。これだけ。
 これだけとは言っても、けっこう作業的には大変である。時間もかかる。
 独居老人の我が友らは、手近なコンビニなんかで、ちゃっちゃっと買い物をし、それを食するという悲しい食生活を送っているに違いないから、冷凍蕎麦(5食入り)などというものを知らないはずで、どうもそれだけでも感動している様子だ。コンビニなんかでは1食1パックのものがメインだろうし、スーパーでもせいぜい3食1パックだ。5食1パックだと、迫力が違う。
 青ちゃんは、以前、蕎麦セットをウーバーしたとき、おばさんに「あの揚げ玉はうまい」と言ったそうである。おー、味わかるんだ。ゴメン、ゴメン。
 手近なコンビニ、あるいはスーパーで売っている揚げ玉は、わざわざ商品として揚げ玉をつくったものである。青ちゃんは、こういう揚げ玉しか買ったことがなかったのだろう。そんな揚げ玉が、うまいはずがない。
 私、揚げ玉が好きで、四谷にいたころは、文殊庵という立ち食い蕎麦屋に、わざわざ揚げ玉を買いに行った。八王子に移住して、揚げ玉日照りになったが、結局、駅前のスーパーで買うことに落ち着いた。それまでは、たとえば高幡不動にある天丼屋(ここが安くてうまい!)にわざわざ買いに行ったし、どこか遠征に行ったついでに買ってきた。つまり、揚げ玉難民だったわけである。
 揚げ玉は、飯にぶっかけ、醤油をぶっかけて食う。これに自家製海苔の佃煮、漬物くらいあれば御の字である。少し手間をかけるときは、カツ丼ならぬ、たぬき丼をつくる。カツの代わりに揚げ玉を使うという悲しいものだが、これがうまい。私は大好物である。
 ただ、我がシェアハウスのおばさんには、不評。貧乏くさいとおっしゃる。「くさい」ではなく、私は正真正銘、筋金入りの貧乏である。ほっといていただきたい。
 さて、肝腎の麻雀戦は、青ちゃん(▽)、イノウエさん(△)、おばさん(±)。雀荘と同じビルの1Fにある居酒屋で戦後処理の反省会が開かれたのだが、おばさんは「たまには飴しゃぶらせてやらないと」と、感想戦はやくざまがい。これに、「素人衆には」とか、「お客さんには」と前ぶりがつけば、「まがい」がとれる。
 ああそうそう。前回の戦後処理では、おばさん、レシートに「ポテトサラダ」が余分についているのを発見し、シェアハウスに帰るなりクレームを入れていたが、本日、お店につくなり「すみません。前回付け間違いがありました」とバイトのあんちゃんが言ってきた。ことほど左様に、この店を切り回していたオオイシさんの教育成果が継承されている。
 このオオイシさんの人となりは、「【Live】初ウーバーイーツ0109(25)」で紹介した。
 いい店とは、こういう店を言う。味も、価格ももちろん大事だが、まずホスピタリティである。
 
 
「あまりよくない」から「ちょっといい」へ0328

 マデリン・ペルー(Madeleine Peyroux)というシンガーソングライターの記事を読んだ。どこで読んだかは忘れてしまったが、たぶんnoteでどなたかが書いていたものだろう。
 不思議な名前だったんで、図書館のサイトで調べてみたら、一枚あったので借りて聞いてみた。
『ハーフ・ザ・パーフェクト』というアルバムだった。
 曲目は以下。

 1.悲しみにさよなら*
 2.ザ・サマー・ウィンド
 3.ブルー・アラート(レナード・コーヘン)
 4.うわさの男
 5.リヴァー feat.k.d.ラング(ジョニ・ミッチェル)
 6.ア・リトル・ビット*
 7.ワンス・イン・ア・ホワイル*
 8.土曜日の夜(トム・ウェイツ)
 9.ハーフ・ザ・パーフェクト・ワールド
 10.ラ・ジャヴァネーズ(セルジュ・ゲインズブール)
 11.カリフォルニア・レイン*
 12.スマイル(チャールス・チャップリン)
 13.クレイジー・トゥ・ラヴ・ユー (ボーナス・トラック)(レナード・コーヘン)
 14.哀しみのダンス (ボーナス・トラック)(レナード・コーヘン)

 *印が自作である。
 4.は、1970年前後にニルソンという人が歌い、中ヒットした。ニルソンは、ジョン・レノン、リンゴ・スターなどの飲み仲間として有名で(金持ちだったらしい)、この曲は映画『真夜中のカウボーイ』のタイトルバックで使われている。
 出だしの歌詞、

 Coming on Cristmas
 Cutting down tree

が印象的な5.『リバー』はジョニ・ミッチェルの曲で、『ブルー』(71年)というアルバムに収められていた。
 8.はトム・ウェイツの曲である。「酒場の酔いどれ詩人」ね。
 このアルバムでは、ボーナストラックも含め、3曲、レナード・コーヘンの曲を取りあげている。コーヘンは、歌手としてはあまりうまい人ではないが、詩人としてはなかなかで、私が好きなアーチストである。うまければいいってもんでもない。うまくてつまらないというのが最悪である。
 コーヘンの追悼コンサートで、k.d.ラング(5.で参加している)が歌う『ハレルヤ』は圧巻。一度はお聴きになったほうがいいと思う。
 ジェニファー・ウォーンズという人の『フェイマス・ブルー・レインコート』というアルバムは、全編レナード・コーヘンの曲で、とてもいい。どっかに行ってしまったので、もう一度手に入れようと思っている。
 12.は、映画『街の灯』のテーマソングである。
『ハーフ・ザ・パーフェクト』は、全体としてちょっといいアルバムだった。
 若いころだと、こういうアルバムを、たぶん私は「あまりよくない」と言ったと思う。だが、歳をとったいまとなっては標題のように「ちょっといい」と思えるようになった。
 このあたりのことを明日お話ししようと思うが、とりあえず今日の結論は、「歳をとるのも悪いことではない」ということになる。

マイナーポエット0329

 昨日お話ししたマデリン・ペルーを、エッセイ風に紹介すると次のようになる。

 30代のころ、私はライブなどにはとても行ってられないほど忙しかった。だから、生の音楽に飢えていたと言える。
 ある日、打ち合わせで吉祥寺に行き、土地勘がないものだから、1時間も前に着いてしまい、手近な店で時間をつぶそうと考え、看板もろくに見ずに地下の喫茶店に入った。私と同年代くらいの女性が、ピアノで弾き語りをしていた。
 それに気づき、私は一瞬店を出ようとしたが、階段を降りてすぐにとって返すのも大儀で、そのまま席についた。
 出されたコーヒーはまずまず。それよりも、弾き語りの女性がなぜか、私の好きな曲ばかりをやる。あまりうまいとも思えないが、絶望的に下手なわけでもない。ある瞬間、瞬間には、「おっ、いいんじゃないの」と思うことすらある。コーヒーを飲み終わり、しばらくして彼女の出番が終わったのをしおに、私は店を後にした。つまり、なかなか気に入ったことになる。
 私は彼女の名前をおぼえなかったが、ときおり彼女の演奏は思い出すことがある。

 こんな感じね。
 村松友視さんのエッセイに、「ACB」だかどこだかのジャズ喫茶に、田川譲二が出る日に通いつめた話が出てくる。田川譲二は猫背で、曲間に「え、次は…」とぼそぼそと次の曲を紹介した。それも含めてマイナーポエットのような感じが好きだったと村松さんは言っている。マイナーポエットのこういう使い方を、私はそのエッセイで知ったわけである。
 長い前置きだったが、私は、マデリン・ペルーはマイナーポエットだと感じたのである。
 まったく知らなかったので、マデリン・ペルーをネットで調べたところ、

 アメリカで生まれ、パリで育った稀代の才能。 「21世紀のビリー・ホリデイ」との異名をとるシンガー・ソングライター。

と出てきた。
 ちょっと見当違いの評であると思う。
 大詩人には大詩人のよさがあるが、マイナーポエットにはマイナーポエットなりのよさがある。この評は、マデリン・ペルーのよさをたわめていると感じる。
 だが、ミュージシャンには、というか人には「化ける」ことがあり、昨日お話ししたk.d.ラングは昔々は可愛い子ちゃん歌手のマイナーポエット的な存在だったのだが、レナード・コーヘンの追悼コンサートで、『ハレルヤ』を歌うk.d.ラングは大歌手に「化け」ていた。たぶん、LGBTであることをカミングアウトしたのだろうけど、服装もおっさんぽくなったこともあり、大歌手の押し出しである。あれは一回聴いたほうがいい。
 ああ、そうそう。レナード・コーヘンもマイナーポエットっぽい。私も村松さん同様、マイナーポエットが好きなのかもしれない。

 
思想家としてのマイナーポエット0330

 昨日お話しした、マイナーポエットで思い出したことがある。
 それは『一言芳談抄』という本で、岩波文庫で出ている。鎌倉時代あたりの念仏系のお坊さんの語録集である。法然が数か所で出てくるのだが、大思想家の法然より、小思想家の人たちの言っていることがおもしろい。
 ああ、念仏系と言っても確か親鸞は出てこない。あのころ親鸞は、「知る人ぞ知る」といった程度の存在だったのである。法然のお弟子さんのランキングでは26番目とか、そのあたりだったはずだ。意外でしょ。親鸞がメジャーデビューしたのは蓮如のおかげだ。蓮如がいなかったら、親鸞も歴史の闇に消えていたかもしれない。
『一言芳談』の刊本で一番古いのは慶安元年だそうだから、法然の時代より400年も後のことになる。これは『一言芳談抄』(岩波文庫)の「解題」にあった話だが、本当に「刊本」なのだろうか。にわかには信じられない。「写本←→刊本」の歴史を調べないといけないな。
『一言芳談抄』で、たとえばある人は、「明日こそ往生していると思い、寝に就くのだが、目覚めたら、まだ生きている。胸のつぶれる思いだ」などと言っている。また、ある人は、「歩くと、虫を潰してしまうおそれがある。生類に害を与えたくないので、なるべく歩かないようにしている」などと言う。もう、ほとんどビョーキの域である。
 これが大思想家・親鸞になると、「往生を遂げたいと思うのだが、往生をすることに歓喜の思いが起こらない。私は修行が足らないのでしょうか」と唯円が聞くのへ、「おまえもそうか。私も同じだよ」と答えている。これが大思想家の貫禄というものである。これは、『歎異抄』の(九)だ。ただし、オリジナルは会話体ではない。
 小思想家(=マイナーポエット)のほうが、私にはなんとなくおもしろく思えるし、私にはなじめる。私自身が卑小思想家だからか、小思想家のうめきのようなもののほうが、本質をついていると思うことさえある。整序された思想よりおもしろいことがあるのだ。
 ところで、念仏系の開祖は903年あたりに生まれた空也である。ところが、空也に関してはほとんど知られていない。
 1133年に生まれた法然まで、そこから230年の空白がある。この間、念仏系で有名な坊さんはほとんど出ていない。私は専門家でもなんでもないんであてにならないが、でも、たぶん間違いはない。だが、記録がないだけかもしれないと考えたほうがあたっていると思う。
 おそらく、天台系など、どことなく国教風の立ち現れ方をしていた宗派に比べ、念仏系はカウンターカルチャーっぽい出自であり、記録が残っていないのだろう。
 空也から法然の間には、おそらく大思想家、小思想家がたくさんいたに違いない。その一端が『一言芳談』である。私はそういったことをこそ知りたいのだが、果たせない。ただ、この間の念仏系の人たち、その信者の人たちを表す言葉として、私は「念仏層」という言葉を考えた。この「念仏層」というアマルガムのようなものを媒介にすると、なんとなく、念仏系の動きがわかるような気がする。あくまで、「気がする」だけだけどね。
 1239年に生まれた一遍は、法然よりさらに100年は後の人だ。
 一遍は、弟(聖戒。異母弟らしい)が没後すぐに『一遍聖絵』を書き残し(絵は別の人)、その活動はかなりはっきりしているから、逆に、このはっきりしている生涯を「念仏層」に代入すると、念仏系のかなりの部分がわかるというか、感じられるような気がするわけである。
 空也について確認するため『阿弥陀聖 空也』(石井義長)を読んだ。10年ほど前に読み、再読なのだが、この間念仏系についていろいろと考えていたせいなのか、10年前には感じられなかったが、非常にいい本であるとわかった。
 同書に出てくる空也のエピソードで私が好きなものは、天台宗三井寺の千観が、偶然四条鴨川原で遭った空也に「来世安心のためには、どうしたらいいのでしょう」と聞くものである。千観は宮中の法会の帰りで、車に乗り、金ぴかの衣装である。一方、空也は、「市の聖」の名に恥じぬズタボロ。空也は「捨ててこそ」と言い放ち、足早に立ち去ったという。空也、カッコいい!
 千観はその場で金ぴかを脱ぎ、箕面の山中に向かい、後半生を念仏に投じたという。
 この話は、鴨長明の『発心集』が出どこだというが、私は、鴨長明の「つくり」だと思う。長明もどちらかと言えば(言わなくても)空也派だし、だいいち、こんなこと言われたくらいですぐ改心するような甘っちょろい精神では、とても宮中法会を取り仕切るような立場に上り詰めることはできまい。
 ただ、『一遍上人語録』(岩波文庫)のp.34には、多少文脈は違うが次がある。

 むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかが申すべきやと問ければ、「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、西行法師の撰集抄に載せられたり。これ誠に金言なり。

 今度は、『撰集抄』(西行)ですか。
 こうなると、上記のエピソードは「つくり」なのかどうかも、浅学非才の身にはわからない。ただし、「捨ててこそ」が空也の決めゼリフだった可能性も排除できない。
 長明くんもなかなかおもしろい人だが、そのお話はいずれまた。私は『方丈記』も愛読書で、二十数回は読んでいる。このお話もいずれまた。

【Live】篠田正浩さんの訃報0331

 3月28日の朝刊に、篠田正浩さんの訃報が載っていた。94歳だった。篠田さんは、大島渚、吉田喜重とともに「松竹ヌーベルバーグ」の三羽烏の一翼をになっていた。このあたりは、小学生だった私も知っていた。
 篠田さんのつくった映画を、私はそれほど見ていない。見なかった理由はあまりないんだけどね。肌合いが合わなかったか、縁がなかったくらいしか考えつかない。
 それでも、66年に松竹を退社、フリーとなった翌67年、独立プロダクションの表現社を設立し、ほどなくつくった『心中天網島』(1969年)を、私はATGの常設館のようだった日劇文化で見ている。紙屋治兵衛を中村吉右衛門が演じ、岩下志麻がおさん、小春の二役を演じる。小春は治兵衛と心中をする遊女、おさんは治兵衛の女房である。
 近松門左衛門お得意の錯綜した筋書きを、さらに錯綜させるようにおさん、小春を二役にし、そして、それぞれの「役」には、文楽の人形を遣うように黒子(人形遣い)が付き、生きた人間がそれぞれの運命を黒子に「操られる」という仕掛けになっている。これによって、錯綜はさらに度合いを増し、これが運命という大きな川の流れになる。
『乾いた花』(1964年)は、借りたDVDで見た。ここ10年くらいのことである。ほぼ同時期に『はなれ瞽女おりん』(1977年)を、やはり借りたDVDで見ている。
 コーヒーを飲みながら朝刊を読み、こんなことをボンヤリ考えていたら、突然、前田美波里がビヤホールで歌うシーンが頭に浮かんだ。『乾いた花』にそんなシーンがあっただろうかと不審に思い、『乾いた花』を頭のなかでスキャンしたのだが、どうしても思い出せない。
 前田美波里が歌うのは、ナチスが「退廃音楽」と呼んだような曲で、歌詞もドイツ語だったように思う。
 よくよく考え、また調べてみたら、そのシーンが出てくるのは『他人の顔』(監督・勅使河原宏)だったことがわかった。「どうしても思い出せない」と書いたが、思い出せなくてよかったよ。思い出したら、どこかとんでもないところへ行ってしまうところだった。そこへ行ってしまったら、もう、二度と戻って来られなかったかもしれない。異世界に行ったっきり。こんなヘンなことを考えたのも、篠田版『心中天網島』を頭のなかでスキャンしたからだろう。
 今度は、なんでこんな混同を起こしたかを、考えてみた。これは簡単だった。音楽が全部武満徹さんだったのだ。同じ音楽、同じムードというふうに記憶していたんだね。
 前述の「退廃音楽」は、武満さんの手によって、組曲風に再生されているのを、今回調べたなかで知った。これはいずれ聴く。
 武満さんの映画音楽を集めたCDがある。全7巻だったか。映画音楽だから切れ切れであるが、それでも武満徹は武満徹である。30代のころ、図書館で借り通して聴いたことがある。八王子の図書館にも確かあったはずだ。
 朝のコーヒータイムは、とりとめがないけれども、それなりに楽しい。

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