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現代超訳『新未来記』(ジヲスコリデス(蘭語)、近藤真琴 訳述、明治11年 )、その9

おまたせしました。現代超訳『新未来記』第三編の続きです。
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私は尋ねた。
「それでは、さまざまな物を作る仕事に人に雇われ、給料でその日その日を送っている人々も、ここへ来て本を読むのですか。
その製作所の主人たちは、その工人がここに来て本を読むことを許しているのですか。
もしそうなら、雇った給料は減らして与えるのでしょうか。
工人は、すでに本を読むようになれば、だんだん高尚になって学者ぶるようになり、その職業の妨げにもなりはしないかと、その主人は心配しないのですか。」

巴哥(ベーコン)は言った。
「いいえ。今の世の人は、そのように胸の狭いことはしません。
その給料を減らしはせず、本を読むために、毎日一時ずつ暇を与えるのです。
さて、読む本は、ただ目を楽しませ心を遊ばせるだけの、むだな文章などではありません。
機械の製作やその扱いは、日ごとに新しく変わっていきます。
昔は人の手だけで作っていたものも、後々には機械に任せるようになるのは、昔の人の才知や発明を読み継いだからこそなのです。
昔の人の才知や発明を、ぬれ手で粟を取るように楽に受け取るには、本を読むより早い方法はありません。
ですから、毎日一時ずつ暇をもらって読む本は、自分の職業の助けとなるものをおいて、ほかに何を読むでしょうか。
自分の職業に関する本を読めば、自分の才知も広がり、自分から新しい発明も出るかもしれません。
器物の製造も、自分の手で進歩させることができれば、製作所の主人にとっても悪いことではありません。
体の力だけに任せ、教えられたとおりに長年ただ一筋に同じことばかり働いてきて、自然に身についた手加減は、車大工の工夫のように、わが子にさえ伝わらないものです。
手わざだけに任せる工芸というものは、このように不自由なものなのです。
だから、手わざの細工をする人が少なくなるのにしたがって、心の細工はいよいよ進み、機械はますます開けていくのです。」

私は問うた。
「けれども、世の人がだれもかれも本を読む暇があるわけではないでしょう。」

巴哥(ベーコン)は言った。
「いや、そうではありません。だれにも、本を学ぶための少しの暇は、かならずあります。
ただ、その暇をむだに費やす者がいないだけです。」

また問うた。
「そうはいっても、字の書けない者もいるでしょうし、本を読む術を知らない者もいるでしょう。」

巴哥は言った。
「何という愚かなことを言うのです。ここは、あのアフリカの黒人の地ではありません。
ここは名高いヨーロッパの、高い文明をもつ国ですから、植えて育たぬ花はありません。
今では世の中がますます文明開化しているので、いやしい身分の娘でさえ、読み書きの術を知らない者はありません。

そのうえ、幼い時からみなに学ばせるのは、算術の、足し算・引き算・掛け算・割り算、相場の計算、勾股弦の法にまで及びます。
十歳ほどになるころには、それを知らない者はまったくないのです。

この算術というものは、とりわけ、ほかのさまざまな学芸の高い段階へ進むための梯子でもあり、また海よりも広いところを渡る船のようなものでもあります。
会社の商売にも、機械の取り扱いにも、そのほか何事にも、これがなくては成り立たない仕事であるので、人々はもっぱらこれを学ぶのです。」

私は問うた。
「ここまで開けた世の中になると、子を持つ父母は、その子を学校に入れて学問を習わせることも、おのずから自分の務めになったのですか。」

巴哥は言った。
「そのとおりです。
わが子の脛や足を伸ばす、つまり身体を育てるだけで、父母の務めが足りたとは言えません。
その子の心の知識をもよく養い、その才能を伸ばすことも、もとより父母の務めなのです。」

また問うた。
「心の力を伸ばすことが父母の務めであるとしても、私はこれまでの成り行きを考えてみるに、初めからそのように心がける人ばかりではなかったでしょう。
きっと国の定めがあって、子に学ばせない罪はこのようなものだと布告して知らせ、それに背けばただちにその身に罰が及ぶことを知らせたので、このように世の中がなったのでしょう。
とはいえ、そのような定めを立てれば、父母である者の一個の自由を、政府が妨げることになるとも言われるでしょう。
それはどうなのですか。」

そう言うと、巴哥はうなずいて、

「あなたの推察は、まことにもっともです。」

と言った。

けれども、そもそも人間はみな、たがいに助け合って生きるものです。
自分ひとりの自由を少し捨てて、社会のために行うとき、その利益はついには自分に返ってきます。
そのめぐり戻るさまは、輪廻の車が目の前でめぐるようであり、その幸いは身に余るほどです。

こうした道理から考えれば、父母にはもとより子を育てる恩もありますが、子のほうにもまた、このように開けた世の中に生まれ出た以上は、人並みに学問をし、さらに世の進歩を助ける者となって、その恩に報いるべき権利と義務とを備えているのです。

それを、たとえ自分の子であっても、教えるも教えないもただ自分の心まかせだ、とするならば、
それはちょうど、天地にも等しい恩のある父母に対する孝行さえも、
「自分の親なのだから、ただ自分の自主自由のままだ」
とするのと同じことです。

また、子を父母の自由に任せて学ばせないのは、たとえて言えば、昔あった強国が、海軍・陸軍の力によって隣国の小国の人々を苦しめ、自分だけの自由を通したのに似ています。

それゆえ、政府は規則を設けて、賢い者も愚かな者も区別なく、みな学ばせるようにしたのです。

子どもの成長が、父母ののちの栄え衰えにかかわることは、だれも知らないわけではありません。
けれども、それだからといって、舵を取らなければ、思いがけず進路を失ってしまうでしょう。

子どもに本を読ませることが、まだ一般にはなっていなかったころ、罪を犯して捕らえられ、囚人となった人々をたずねてみると、その中には無筆、すなわち読み書きのできない者が、とりわけ多かったのです。
それゆえ、読み書きのできる者の中には、償いがたい罪を犯した者が少ない、ということをたとえとして、
ここから政府も、この規則を立てたのです。

私は問うた。
「規則を立てて導くのは、もっともなことのようですが、その始めには、それをさえぎることもあったでしょう。
それは、どのようにしたことだったのですか。」

*「癡道人」の挿話
癡道人、試みにこの問いに、巴哥に代わって答えてみよう。
読者には、少し横から口をはさむようで迷惑かもしれないが、しばらくお聞きいただきたい。

昔の中国の鄭の国に、子産という賢人がいた。
その人がその国の宰相となったとき、どのような政治をしたかというと、
国中の民どもはたいそう憤って、

「我らの田は子産に奪われ、我らの子も子産に奪われる。
子産を殺す者があれば、われわれは味方に加わろう。」

と歌ったのである。

けれども子産は、少しもそれにかまわず、初めの考えを少しも変えずに政治を行った。

そうして十年ほど時が過ぎると、

「我らの田は子産に養われ、我らの子は子産に教えられる。
子産にもしものことがあったなら、われわれはどこへ行けばよいのか。」

と歌うようになった。

そのように歌ったのである。
だから、このような規則を立てて、厳しく民に命じれば、初めは恨む者もある。
少しばかり不都合なこともあるだろう。
けれども、それをやり遂げたのちには、民は文明開化した民となる。
そうであるのに、それを捨て置いて、アフリカの黒人のようなありさまにしておくよりは、
初めに設ける法律によって民を導き、学問する心にさせることこそ、仁政というべきであろう。
そうはいっても、巴哥(ベーコン)はどのような説をするのか、原書を開いて聞いてみるべきである。

巴哥は、
「たしかに、布告して命じれば、少しばかり不都合がないではありません。
けれども、あなたが心配するほどのものではありません。
十九世紀に、ドイツで学制のような制度を立てたことがありました。
その時、国民があれこれ言い立てたこともなかったのは、あなたもきっとご存じでしょう。
その後、ほかの国々もこれにならいました。
まだ開けていなかった国の民は、これをたいそう迷惑なことと思い、少しばかりの故障は時おりありました。
けれども、その時、政府の力によって法が崩れないように世話をしたので、数年ののちは、このようにすることをだれもが日ごろの習いと心得るようになりました。
そして、少しも苦しいと思わないうちに、読み書きをした功が現れ、ほかの技芸のもととなり、自分の重宝ともなり、世の利益であることを、だれも疑わないようになりました。
こうした規則を、たとえ廃するとしても、幼い子どもを学校へ入れない者は、もういなくなったのです。」

巴哥の話を聞いて、私はひとり心の中でこう思った。
昔、「進歩」という言葉は、だれもが口ぐせのように言っていたけれども、
ほんとうの進歩となる時には、必ず故障のあるものであって、
月にはむら雲、花には風というように、思うままにはなりにくい。
進歩という字は、さまざまな意味を含んでいるものだから、
二千年代の今日では、どのような意味に用いるのだろうか。

そう思って、もう一度巴哥に問おうとして頭を上げると、
目の前に、前に見た文庫よりもさらに大きな建物が、一棟、軒を並べて建っていた。
そこで、
「ここも文庫でございますか」
と尋ねると、

巴哥は、
「いや、そうではありません。」
と言った。

「ここは、すべての人々のために建てられた博物館です。
人の技術によって作られたものも、天の工夫というべき自然のままに成ったものも、多くこの建物に集めて置き、世のさまざまな人の知恵を広げ、知識を増すためのものです。
ですから、たいへん珍しい物が多いのです。
中へ入ってご覧になりませんか。」

と、そう言われたけれども、私は前の文庫でこりていたので、

「このように広大な博物館は、ただ通り過ぎるだけでも、何日もかかることでしょう。
その中で、何か心得になるようなものを、ただ一つの科だけ見たいものです。」

と言った。

その時、あの幻(ハンタシー)は、いつのまにかここへ来ていて、
「系法通覧之堂」という額を掛けた門の前に立っていた。

幻(ハンタシー)は言った。

「この堂の中に並べてあるものは、たいそう珍しい展覧です。
どうです、あなたがたもこの家に入って、一通りご覧になりませんか。
私がことさらに好む学問は、これにあるのです。」

そう聞いて私は、
この人は諸家の系譜の学問を好み、紋章や徽章の陳列を見るのを楽しみとしているのだろうと思って、
そのあとについて行った。

すると、そうした物は一つもなく、
堂の造りは、開いた扇のように建て設けられていた。
初めは一つの場所から、あまたの筋に分かれ、
またその枝からさらに枝を生じ、
末には数知れない区画に分かれて、その端が尽きていた。

その間には、さまざまな生き物の類が立てられ、
多くの骨が並べてあった。
牛や馬は言うまでもなく、
前の世界にいたという、形の大きな象の骨、
あるいは異様な角を持つ獣、
また一種の馬もあって、
見覚えのあるものもないではなかったが、
そのほか数多くの生き物の形は、まったく見分けがつかなかった。

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