【143】 岡ふぐと屋根ウサギ
(*写真は屋根ウサギ)
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ある日私が、縁先で蝗を串にさしていると、隣村から老友がやってきた。しばし私の手先をながめていたが、蝗などという気品の卑しい虫は食うものじゃない。と、抗議するのである。それほど、動物性の蛋白質に飢えているなら、わが輩が素晴らしいご馳走を進上しようと、同情ある口吻をもらすのである。
素晴らしいご馳走とは、なんじゃと問うと、猫じゃと答えるのである。すると、わが老妻が傍らでそれをきいていて猫を食べるのはおよしなさい。猫を殺せば七代祟ると俚言があるけれど、その猫を食べれば十代も、二十代も祟るかも知れません。ああ、怖ろしい。
その言葉に老友が答えて、奥さん我々は来年の春から夏へかけて、餓死するであろうというのであるから、遅くも田植え頃までには一家親族が飢え死に、死に絶えるかも知れません。してみると、猫が祟りたいと専ら神通力を揮ったところで、孫も子も死に絶えていないのだから祟りをどこへ持って行きようもない。つまり、猫は殺され損になるでしょう。
とにかく、猫でも鼠でも鼬でも、蜻蛉でも蠅でも芋虫でも、食えるうちに食って置こうじゃないかということになり、老友は二、三日後を約して帰って行った。
昔から猫のことを『おしやます』という。おしやますとはどんなところから名が出たのか知らぬが、おしやますの吸物といえば、珍饌中の珍饌に数えられてある。また一名『岡ふぐ』ともいう。
二、三日後、老友は小風呂敷の包みを持ってやってきた。包みを解くと、竹の皮に家鶏の抱き肉のような白い半透明の肉が、一枚一枚ならべてある。
君、これは鶏の肉じゃないか、おしやますじゃあるまい。これでは、何の変哲もないのうと期待に反した文句をいうと、いやこれは、正真の猫肉じゃ。猫肉は、犬の肉のように闇赤色に濁って、下品ではない。恰も、若鶏の如くやわらかく白く澄み、風味たとうべからずであるから、食べてみてから文句をいい給え。
さようか、分かった。しかし若鶏の肉にも似ているが、鰒の刺身のようでもあるのう、貴公はもう試食済みか。
いや、試食どころではない、常食にしちょる。猫肉は、精気を育み体欲を進め、血行を滑らかにすると、ある本に書いてあったから、先年来密かに用いたところ、なるほど本の通りであった。試みに、わが輩の顔の色沢を見給え、青年からさらに遡り童顔に等しかろう。どうじゃ、わが輩の腕の筋肉の盛り上がりよう。
ところで貴公、貴公は先年来、猫を常食にしているというが、いままでに何頭ほど食ったかな、三十数頭。よう食ったものじゃ。してみると、貴公は猫捕りの名人ちうことになるな。
それほどのことはないがね。
『岡ふぐ談』(佐藤垢石)
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ネコ肉の隠語、英語では Roof rabbit(屋根ウサギ)または Gutter rabbit(側溝ウサギ)、ドイツ語では Dachhase(屋根の野ウサギ)、フランス語では Lapin de gouttière(側溝ウサギ)、イタリア語では Coniglio da tetto(屋根ウサギ)。
戦時中の食糧難では、欧州でもネコは貴重なタンパク源であった。ただし後ろめたい気持ちはあり、ウサギに言い換えたのであろう。西洋ではウサギは普通に食べる。ピーターラビットの父親はパイにされて食べられた。
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私は約20年前、ジビエ料理で有名な、英ウィンチェスターのウェセックスホテルに泊まり、ディナーにウサギのステーキを食べたことがある。とても美味であった。翌朝裏庭を散歩していたら、ウサギが数匹飛び跳ねている。昨夜は君らの父を食ったのか?などと妄想したものだ。
