【226】 狐にばかされるという事の合理的の解釈
(写真は食肉目イヌ科キツネ属スイフトギツネ)
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君子は乱神怪力を語らず
孔子様は、君子は乱神怪力を語らずといわれた。さすがに深い深い実感から生れた話だと思う。乱神怪力を語るという事は、結局「嘘」という事に無神経だという事になる。
妖怪変化というものは、「無」いといってしまっては曲のないものにはちがいない。人間というものは、何事でも面白い方が好きなもので、ばけもの等も、本当は、無いのだという事になる事はちと興ざめな話なのである。
元来妖怪等というものは、人間の神秘的要求、恐怖本能、等から生れた空想を一層興味を以て潤色し工風した一種の恐怖的な神秘詩なのだから、人間の一面には、この化物を愛好し、その存在を守ろうとする一種の本能的な気持があるものだ。
それと同時に人間には、そういういわゆる乱神怪力を、信じない本能がある。信じまいとする本能は誰れでも気がつくが、それではなく信じない本能というものがあると思える。つまり「何だかおかしい。そんな理屈はどうもない」という、唯物的、合理性本能というようなものが、学ばずして人間にはあるように思える。
昔、科学の力のなかった時代でもよく、賢明にして意志の強いような人物は、「世に変化の類あることわりなし」とか何とか明言しているが、その人が今日の唯物論を学んでいた訳はないので別に学術上の確かな論拠は持っていないはずである。
しかしその人にとっては、それは実感であって、動かし難いものなのである。その人とても大木の下を通る時とか、その他恐ろしいところを通る時にはやはり実感的に一種の鬼気を感じたであろうが、それにもかかわらずその人は、世に変化の類ある事なしという実感の方を肯定しているのである。
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狐にばかされるという事の合理的の解釈
附 狐附きの考
これは誰れでも考えついている事かもしれないが私が一通りすじ道を立て、自分でも合理な説明と思えるのでかく事にした。狐にばかされるという事実は実際にある事であろう。しかし、それはそういう結果があるのでその元因は何も狐がそれを本当に行うのではない。
一口にいえばこれは自己催眠の民族的一殊異現象という事が出来る。即ち、一時的に狂態を演ずるところの痴呆状態になる一種の病的現象というものは、狐が化かすという口碑伝説の伝らない以前の日本にも、また全然狐が化すという事実を知らぬ外国にもある現象にちがいない。
この状態に入るのは一種の催眠状態から入るものらしく、余の知っている某老人の仕立職が、余が幼時の家である銀座通りの店へ入ろうとして、店の前まで来てどうしても入る事が出来ず行き過ぎ引きかえしてまた入れず、かくする事四回にしてようやく気がついて、「狐につままれ」たといいつつ入って来た事を覚えているが、これらは全く一種の自己催眠で、どうしても入れぬという観念を何かによって自己自身で自己に与えたためにそうなったらしい。
ともかく催眠術をかけるのは催眠状態に入らしめて、後に暗示を与え、その暗示通りになるというのだそうだが、この狐に化されるのもそれに適合している。即ち化かされるものは、狐が化るという事をどこかで信じているか疑っていてももし本当なら恐いという恐怖を割に持っているかどっちかの人であって、そういう人が山道とか、畑道とかを通る。
かねがね物の本でみたり人に聞いたりした狐に化かされた人の話やその痴態やらを思い出す。あの田の中へ入っておお深い深いといっていたそうだなど思っているところへ、狐か、狐に似た犬か何かがスッと飛び出しでもすると、もう完全にその人は自己催眠に陥る、すると、かねて人に聞いたり、または画本などで見ていた、狐に化かされた男女のいろいろな狂態が頭に浮ぶ、常は忘れていたような事まで、無自覚の中に頭に浮んで来る。
そこで、それを一つ一つ、自分で実行しなくてはならない命令を全く無意識の中に自己が自己にしている。この事の証拠は狐に化かされた人の化かされた時にする狂態が必ず、一致している。一つの法則を出ない、即ち、田を河の如くに渡るとか、糞尿のために入って風呂をつかうような事をするとか、馬糞を牡丹餅として食うとか、皆同一規である。これは自己の智識記憶がその暗示となって、それをしなくてはならなくなってしまうからの事である。
其処に折よく第三者が来て、「彼奴は狐に化かされている」といって、背中をどやしてくれると即ち催眠状態が醒めるのである。
狐つきはやはり一種の一時的狂気であるが、狐に化かされるのよりは永続的で、また催眠状態ではなく本当に気がちがうのである。ただ普通の狂気と異うのは、その人の狂気前に見聞きしていた狐つきなどの説話が、全く無意識の中に狂気と同時にその人の頭脳の中に一種の強迫観念となって生息し出し、その説話の命令通りに行為させる。
この時は狐に化かされている時の状態と同じで丁度酔漢が酔った時に多くの人の為すべき行為を、自己命令でやる心理とよく似ている。狂人というものは無意識の中に、人とちがった事、狂った事を狂った事とする意識を持っているもののように思う。
即ち狐つきが油揚げを急に好きになったり、大食をしたりするが、大食の方はそういう狂気の性質もある、だが油揚げの方は正に病気前の見聞が暗示となったものである。何となれば肉食獣である狐は必ずしも油あげを殊に好くものではないからである。
とにかく狐が化かすという説は日本が主のようであるがその元は支那か印度あたりにあるものかもしれないがよくは知らぬ。心理学はちっとも知らないのだからちがっていたら御かんべん御かんべん。
『ばけものばなし』(岸田劉生)
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「子不語怪力亂神(し かいりょくらんしんを かたらず)」については、「【076】 朱雀大路と朱雀門」を参照されたし。
