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【208】 最初の悲哀

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(写真は伏見稲荷大社の行燈)

街子まちこの父親は、貧しい町絵師でありました。がつのぼりの下絵や、稲荷いなり様の行燈あんどんや、ビラ絵をいて、生活をしているのでありました。

しかし、街子はたいそう幸福でした。というのは、父親は街子を、このうえもなく愛していたし、街子もまた父親を世の中で一番えらくてい人だと思っていました。

母親が早くなくなったので、街子は小学校を卒業すると、うちにいて、父親のため朝夕の食べものをつくったり、洗濯をしたり、夜おそく父親が仕事をするときに、熱いお茶を入れたりしました。家の外を風が吹くように、貧しいことなどは、ちっとも苦労ではありませんでした。

父親も街子も、ほんとにしあわせそうでありました。何よりもいことに、街子は父親の仕事を好きなばかりでなく、父親のりょうを尊敬さえしていたことです。

ところが街子にとって、容易ならぬかなしみが一つ出来たのであります。それは稲荷様の祭の日のことでありました。毎年のならいで、ことしも稲荷いなり様の境内から町内のかけ行燈あんどんの絵は、みんな街子まちこの父親がいたのです。地口行燈と言って、おどけた絵に川柳など添えてかいてあるもので、通る人は一つずつそれをよんで見て喜んでいました。

仕立おろしのセルをすらりときた若い奥様に、

「どうだ、愉快だね。こんな風な絵は国宝だよ」

そう言って見てゆくだん様もありました。街子はそれをきいてこのうえもなくしあわせで、

「それはあたしの父さんが描いたんですよ」

そう言いたいほどでした。

ところが街子とおんなじ年に小学校を出て、いまは女学校へあがっているお友達が三人、やはり地口行燈のまえに立っていました。街子はなつかしくてそばへよってゆきました。するとその時、三人はどっと笑い出しました。

「なんて古くさい絵でしょう」

馬鹿ばかにしてるわ」

「このはどうでしょう」

そんなことを言いながらまたころげるように笑っていました。それを聞いた哀れな街子は、人の影へかくれるようにしながら、うちの方へけ出しました。

それが街子の最初のかなしみでありました。

『最初の悲哀』(竹久夢二)

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