【256】 新釈諸国噺と法華宗
(写真は筑前煮)
*
猿塚
むかし筑前の国、太宰府の町に、白坂徳右衛門とて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女お蘭の美形ならびなく、七つ八つの頃ころから見る人すべて瞠若し、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖も重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口を噤んで見とれ、名花の誉は国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。
ここに桑盛次郎右衛門とて、隣町の裕福な質屋の若旦那、醜男ではないけれども、鼻が大きく目尻の垂れ下った何のへんてつも無い律儀そうな鬚男、歯の綺麗なのが取柄で笑顔にちょっと愛嬌のあるところがよかったのか、
或る日の雨宿りが縁になって、人は見かけに依らぬもの、縁は異なもの、馬鹿らしいもの、お蘭に慕われるという飛んでもない大果報を得たというのがこの物語の発端である。
両方の親は知らず、次郎右衛門ひそかに、出入のさかなやの伝六に頼み、徳右衛門方に縁組の内相談を持ちかけさせた。伝六はかねがねこの質屋に一かたならず面倒をかけている事とて、次郎右衛門の言いにくそうな頼みを聞いて、向うは酒屋、うまく橋渡しが出来たら思うぞんぶん飲めるであろう、
かつはこちらの質の利息払いの期限をのばしてもらうのはこの時と勇み立ち、あつかましくも質流れの紋服で身を飾り、知らぬ人が見たらどなたさまかと思うほどの分別ありげの様子をして徳右衛門方に乗り込み、えへへと笑い扇子を鳴らして庭の石を褒め、相手は薄気味悪く、何か御用でも、と言い、伝六あわてず、いや何、と言い、やがてそれとなく次郎右衛門の希望を匂わせ、こちらさまは酒屋、向うさまは質屋、まんざら縁の無い御商売ではございませぬ、
酒屋へ走る前には必ず質屋へ立寄り、質屋を出てからは必ず酒屋へ立寄るもので、謂いわば坊主ぼうずとお医者の如ごとくこの二つが親戚しんせきだったら、鬼に金棒で、町内の者が皆殺されてしまいます、などとけしからぬ事まで口走り、一世一代の無い智慧ちえを絞って懸命に取りなせば、徳右衛門も少し心が動き、
「桑盛様の御総領ならば、私のほうでも不足はございませんが、時に、桑盛さまの御宗旨は?」
「ええと、それは、」
意外の質問なので、伝六はぐっとつまり、
「はっきりは、わかりませぬが、たしか浄土宗で。」
「それならば、お断り申します。」
と口を曲げて憎々しげに言い渡した。
「私の家では代々の法華宗で、殊にも私の代になりましてから、深く日蓮様に帰依仕って、朝夕南無妙法蓮華経のお題目を怠らず、娘にもそのように仕込んでありますので、いまさら他宗へ嫁にやるわけには行きません。
あなたも縁談の橋渡しをしようというほどの男なら、それくらいの事を調べてからおいでになったらどうです。」
「いや、あの、私は、」
と冷汗を流し、
「私は代々の法華宗の日蓮様で、朝夕、南無妙法蓮華経と。」
「何を言っているのです。あなたに嫁をやるわけじゃあるまいし、桑盛様が浄土宗ならば、いかほど金銀を積んでも、またその御総領が御発明で男振りがよくっても、私は、いやと申します。日蓮様に相すみません。
あんな陰気くさい浄土宗など、どこがいいのです。よくもこの代々の法華宗の家へ、娘がほしいなんて申込めたものだ。あなたの顔を見てさえ胸くそが悪い。お帰り下さい。」
さんざんの不首尾で伝六は退散し、しょげ切ってこの由を次郎右衛門に告げた。次郎右衛門は気軽に、なんだ、そんな事は何でもない、こちらの宗旨を変えたらいい、家は代々不信心だから浄土宗だって法華宗だってかまわないんだ、と言って、にわかに総の長い珠数に持ちかえ、父母にもすすめて、
朝夕お題目をあげて、父母は何の事かわからぬが子供に甘い親なので、とにかく次郎右衛門の言いつけどおりに、わきを見てあくびをしながら南無妙法蓮華経と称え、ふたたび伝六は、徳右衛門方におもむき、いまは桑盛様も一家中、日蓮様を信心してお題目をあげていますと得意満面で申し述べたが、徳右衛門はむずかしい男で、いやいや根抜きの法華でなければ信心が薄い、お蘭ほしさの改宗は見えすいて浅間し、日蓮さまだっていい顔をなさるまい、ちょっと考えてもわかりそうな事だ、娘は或る知合いの法華の家へ嫁にやるようにきまっています、というむごい返事、
次郎右衛門は聞いて仰天して、取敢えずお蘭に、伝六なんの役にも立たざる事、ならびに、お前がよその法華へ嫁ぐそうだが、畜生め、私はお前のために好きでもないお題目を称えて太鼓をたたき手に豆をこしらえたのだぞ、
思えば私の次郎右衛門という名は、あずまの佐野の次郎左衛門に似ていて、かねてから気になっていたのだが、やはり東西左右の振られ男であった、私もこうなれば、刀を振りまわして百人斬りをするかも知れぬ、男の一念、馬鹿にするな、と涙を流して書き送れば、
すぐに折り返しお蘭の便り、あなたのお手紙何が何やら合点が行かず、とにかく刀を振りまわすなど危い事はよして下さい、百人斬りはおろか一人も斬らぬうちにあなたが斬られてしまいます、あなたの身にもしもの事があったなら、私はどうしたらいいのでしょう、あまりおどかさないで下さい、
よその縁談の事など、本当に私には初耳です、あなたはいつもお鼻や目尻の事を気にして自信が無く、何のかのと言って私を疑うので困ってしまいます、私が今更どこへ行くものですか、安心していらっしゃい、もしもお父さんが私をよそへやるようだったら私はこの家から逃げてもあなたのところへ行くつもり、女の一念、覚えていらっしゃい、
という事なので次郎右衛門すこし笑い、しかし、まだまだ安心はならぬと無理に顔をしかめて、とにかくお題目と今は本気に日蓮様におすがりしたくなって、南無妙法蓮華経と大声でわめいて滅多矢鱈に太鼓をたたく。
『新釈諸国噺 猿塚』(太宰治)
*
