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【127】 飯島魁とタコノマクラ

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(*写真はスカシカシパンとタコノマクラ)

タコノマクラ(蛸の枕)の事実上の名付け親は、明治大正の生物学者、飯島いさお(1861-1921)。東京帝国大学理学部にて、お雇い外国人の米エドワード・モースの教えを受けた。モースと言えば大森貝塚の発見者であり、日本にダーウィンの進化論を紹介した人物。飯島は帝大卒業後に独ライプチヒ大学へ三年間留学し、25歳で帝国大学動物学科の教授になった。

飯島は日本の寄生虫研究の開祖であり、1888年発表の『人体寄生動物編』の執筆にあたっては、体長10mのサナダムシを自ら飲み込んで感染経路の調査をしたと伝わる豪胆者。1897年、兵庫県の和田岬に日本初の水族館となる「和楽園水族館」を開設、自ら濾過循環型水槽の設計まで手がけた。

1898年に『保護鳥図譜』、1899年には『中等教育動物學教科書』を発表。この教科書でタコノマクラが紹介され、世に知られるようになったようだ。名付け親が飯島魁なのか、もっと前からあった名なのかは確認が出来なかった。

そして1904年、帝国大学三崎臨海実験所の所長に就任。この実験所に海洋生物採集者として雇われていたのが地元の漁師、青木熊吉。熊吉が発見し名付けたのがスカシカシパン(透かし菓子パン)。クマイタチウオは熊吉の献名だ。

スカシカシパンは、その後は長らくタコノマクラ目に分類されていたが、最新の研究ではウニ綱カシパン目スカシカシパン科と、ウニ綱タコノマクラ目タコノマクラ科と別系統の扱いになっている。

英語では Sand dollar(砂硬貨)、Sea biscuits(海ビスケット)が通名だが、厳密に使い分けしておらず、一緒くたで Sea cookies(海クッキー)とか Snapper biscuit(鯛ビスケット)とか呼ばれている。スカシカシパンには穴があり、タコノマクラの方は厚ぼったい。

飯島は、1912 年には「日本鳥学会」を創設し初代会長に。鳥類学発展への貢献から、イイジマムシクイ(飯島虫喰)の献名となった。もっと知られていいはずのすごい偉人だと思うのだが。

さて、前章で紹介した人面蟹のヘイケガニ。こいつは背中の人面が恥ずかしいのか、スカシカシパンを背負って行動する習性がある。とても不思議だ。

バブル経済全盛期にして崩壊直前の平成2年(1990年)、全国のお茶の間を騒がせた人面魚。未だに善宝寺(山形県鶴岡市)の池に生きており、私は今年の夏に実物を見て、餌やりまでしてきた。ヘイケガニのようなシャイさはなく、他の鯉を押しのけて餌に突進してくる怪物のようで、恐怖心を覚えたものだ。昔の人が見たら、妖怪や幻獣のモデルになっていただろうと思う。

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