【150】 大國主神と八上比賣
(*写真は蒲の穂)
稻羽之素菟は、なぜ白くなってしまったのか?
「何も引かない、何も足さない」の精神で、原文にある漢字のみと、仮名の活用語尾、助詞のみを用いて訓み下しをしてみよう。
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古事記 上卷四 大國主神
此の大國主神、之の兄弟は、八十神に坐す。然るに皆國の者、大國主神を避け於き、この者を避けんとす所以、其の八十神、各が婚に稻羽之八上比賣、之の心欲す有り。
共に稻羽へ行きし時、於いて大穴牟遲神に帒を負わせ、從者として率い往かせ爲す。是に於て、氣多の前に至りし時、裸菟の伏せる也。
爾るに、八十神、其の菟に謂れ云う。汝、將に爲さんとす者、此の海鹽に浴し、而して吹く風に當り、高き山の尾に上りて伏せよ。
故に其の菟、八十神の教えに伏して而ち從い、爾るに其の鹽の乾く随に、其の身の皮、悉く風見るに拆き吹きて、故に痛み苦しみて泣き伏せる者。最後之に來し大穴牟遲神、其の菟見て言う。何に由りて、汝泣き伏すか。
菟答えて言う。僕は淤岐嶋に在す、と雖も此の地に度るを欲すも、度る因無し。故に海の和邇の欺きて言う。
吾、汝と競い與い、族の多少、之の計らいを欲す。故に汝ら者、隨に坐す其の族を悉く率いて來させ、自ら此の嶋の氣多の前まで于に至りて、皆が列なり伏せて度らせ。
爾るに吾其の上を蹈み、走り乍ら讀み度らん。是に於いて吾ら族の孰れが多きか知れ與わん。此の如く言う者、列なり伏せ、之の時、而して欺き見て、吾其の上を蹈み、度り來て讀む。今將に地に下らん時、吾云う。
汝ら者、我が欺きを見よ。言い竟るに卽ち最たる端に伏せる和邇、我を捕らえ、我の衣服悉く剥ぐ。因て此の泣き患う者、先に行く八十神の命ずるを以て、誨え告げ、海鹽を浴び、伏せて風に當れと。故の如き教えし者の爲し、我が身悉く傷む。
是に於いて大穴牟遲神、其の菟に教え告ぐ。今急ぎ此の水門を往き、汝の身を水を以て洗い、卽ち其の水門の蒲黃を取りて、敷き散らせ而るに、輾轉と其の上の者、汝の身を本膚の如く必ず差す。
故の如き教えの爲し、其の身、本の如き也。此の稻羽之素菟の者也、於いて今の者謂う菟神也。故に其の菟、大穴牟遲神に【白す】、此の八十神、必ず八上比賣を得不る。帒を負うと雖も、汝、之を獲る命なり。
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大穴牟遲神は、大國主神の別名。
現代では、淤岐嶋という名の島、というか岩が、白兎海岸の沖合150mにある。これが稻羽之素菟が元々いた島、という説を唱える人がいるが、私はまったく同意しない。現物を間近で見たことがあるが、ウサギでも泳いで渡れるほどの、神話のスケール感とはかけ離れた位置関係だ。
草木も生えないこの岩で、稻羽之素菟は何をしていたというのか? そもそもそこまではどうやって来たのだ? 普通に考えれば、古事記の淤岐嶋は、本土から約80km離れた現代の隠岐島であろう。なお氣多の前は、白兎海岸西側の地名である。
蒲黃とは、ガマの穂から採れる生薬。これが薬であることを、大國主神は知っていた。ちなみにガマの穂は蒲鉾の語源であり、蒲団の材料だ。
そして本題の、稻羽之素菟は、なぜ白くなってしまったのか?
これは、【白す】の部分。原文では「故其菟白大穴牟遲神」だが、この文節には、言、云、讀、答のような動詞にあたる文字が「白」しかない。「白」はホワイトではなく、「もうす」または「しらす」と読むのだ。意味は、思い切って真実を告げること。例は、自白、告白、激白、白状、科白などだ。
昔の人は、「菟白」を「白菟」と読み間違えたのではないか? 日本語では単語を後ろから修飾しないので、あくまで仮説であるが。
また原文の「蒲黃 敷散而 輾轉其上者 汝身如本膚必差」について。動物の体を守る役割をする一部の毛を「差し毛」という。すなわち、蒲黃に輾轉とすれば、差し毛が生えて必ず本膚が復活する、元の毛に戻る、と言っているのだ。元の毛の色はガマの穂の色であろう。要するに最初から最後まで「白色」ではない。
なお日本の野ウサギの生態は、「【148】 八十神とオキノウサギ」を参照されたし。
さて、稻羽之素菟が、ひいては日本のウサギ全般が白のイメージを持つようになった理由には、もっと分かりやすい出来事がある。
次章以降で説明しよう。
