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【140】 D市七月叙景

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(*写真は満洲国建国の知らせを読む満洲人)

一人は、到頭とうとうたちあがってった。

「行こう。はいろうじゃないか。」

だが、一人は一寸ちょっと躊躇ちゅうちょして、かくし、、、に手を入れて見せた。が、それは、すぐにさえぎられた。

「馬鹿。何とかなるさ。喰ってしまえば。」

入口に沢山ぶたつるした酒場の腰掛に腰をおろすと二人は、早速、赤く唐辛子をかけた、うどん、、、をガツガツツとすすりこんだ。

それから臓物ぞうもつの揚げたのを無暗むやみと詰めこみ初めた。こうりゃん酒のコップを手にした頃には、もう彼等はひどく、いい気持になって居た。二人のすぐ前に見える料理場では、今、まないたの上に殺されたばかりの猫の死骸が乗って居た。(猫といえどの界隈では珍重すべき食料であった。)

料理人は先ず猫のくびのあたりの動脈を切開いた。血が勢いよくほとばしり出た。それから彼は、その血だらけの猫の腹を巧妙な手つきで揉み初めた。そしてひととおり血を側の桶の中に絞り出してしまうと、今度は廚刀ちゅうとうの先端を猫の下顎に入れて、それをグーッと腹部から尻尾まで切り下げて、肉片のついた尾骨を叩き斬り、かえす刀で、皮と肉との間を二三度器用な廚刀を入れるともう、カバカバの皮と真赤な肉片とに分れてしまった。

それから四肢の関節を外し、胸壁の中に指を入れて、肺臓をえぐり出して、腸と一緒に、それを桶の中に投げこんでから、水で一洗いすると、既に立派な食用肉が出来上って居るのであった。二人の苦力くーりーこうりゃん酒をあおりながら、感心して、之を見て居た。彼等はもう、いい気持になって居た。久し振りのアルコオルが身にみて嬉しかったのであった。

彼等は次第に気が大きくなって行った。彼等は仕事のことも忘れてしまった。明日の飯のことも忘れてしまった。現在金銭かねもないのに飲食して居るのだという事実さえ忘れてしまった。そして、の猫の料理を見て居るうちに、ふと彼等の心の中には、何か、ひどく乱暴なことをして見たいという慾望が起ってくるのであった。この残忍なこころよい気持の昂奮は殺伐な料理が進行するにつれて段々たかまって行った。

ついに、彼等の一人は耐えきれなくなった。彼は前後を忘れて立上った。そして料理人が奥に引込んで居る間に濡板の所に行って真赤な血の垂れる猫の肉をひっつかむと、かたわら沸々ふつふつとたぎって居るかまの湯の中に、力一杯叩き込んだ。熱い水沫みなわは四散し、肉は見る見る紫色から褐色に変って行った。彼はそれを気持よさそうに眺めた。

『D市七月叙景』(中島敦)

D市とは大連ダイレンのこと。

『D市七月叙景』は、中島敦が22歳のとき、通学中の第一高等学校(旧制一高:東大教養学部の前身)の『校友会雑誌 第325号』(1930年1月発行)に掲載された。満洲国建国が1932年3月1日なので、約二年前の叙景だ。

中島敦は名作揃いだが、なかでも『D市七月叙景』は、最高傑作だと私は思っている。あまり知られていないのが不思議でならぬ。

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