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何がわからないのかがわからない時読むノート

スマホの画面には、保存したままの投稿が残っている。

転職の話。
AIの話。
副業の話。
英語の勉強法。
noteの書き方。

どれも、たぶん大事なのだと思う。
実際、今のままではまずい気もしている。
何かを始めた方がいい。何かを変えた方がいい。

でも、画面を眺めているうちに、いつも同じところに戻ってくる。

で、何からしたらええねん。

この言葉は、かなり便利だと思う。

何からしたらいいか分からない、と言っている間は、まだ何も選ばなくていい。
何も始めなくていい。
何も失敗しなくていい。
自分の今の状態を、細かく見る必要もない。

「分からない」という場所にいれば、とりあえず止まっていられる。

でも、それは少し雑だ。

本当に何も分からないわけではない。
本当は、少しだけ分かっている。

転職なら、職務経歴書を開いた方がいい。
英語なら、一問だけでも解けばいい。
noteなら、タイトルだけでも残せばいい。
AIなら、自分の作業をひとつ説明してみればいい。

そのくらいは、たぶん分かっている。

でも、それをやると見えてしまう。

職務経歴書が思ったより弱いこと。
英語が読めていないこと。
noteの下書きが薄いこと。
AIに任せたい作業を、自分でも整理できていないこと。
転職したいと言いながら、何も準備していないこと。

そこを見るのが、普通にしんどい。

だから私は、よく「何から始めればいいか分からない」という場所に逃げる。
逃げる、と言うと少し強いけれど、たぶんそういう面はある。

未来の相談をしているようで、実は現在地を見ないようにしている。

何からしたらいいか。
その前に、何を放置しているのか。

ここを見た方が早いことがある。

たとえば、転職。

「転職したいけど、何からしたらいいか分からない」と思う。
自己分析か。求人検索か。エージェント登録か。職務経歴書か。面接対策か。

選択肢はいくらでも出てくる。

でも、最初にやることは、そんなに立派なものではないのかもしれない。

今の職務経歴を一度書いてみる。
求人を一件保存する。
必須条件と自分の経験を並べてみる。
足りないものを、見える場所に出す。

それだけでいい。

いや、それが嫌なのだ。

足りないものが見えるから。

英語も同じだと思う。

TOEICを上げたい。
でも何からしたらいいか分からない。
単語か。文法か。リスニングか。Part 7か。
教材も多い。動画も多い。やり方も多い。

でも本当は、最初の一手はかなり地味だ。

一問解く。
間違える。
なぜ間違えたかを見る。

それだけだ。

ただ、それも嫌なのだ。

間違えると、自分の弱点が見える。
読めていないことが分かる。
聞けていないことが分かる。
分かった気になっていただけだと分かる。

だから、教材を探す。
勉強法を調べる。
おすすめ動画を見る。
そして少し安心する。

情報を集めている時間は、何かしている気分になれる。

これが厄介だ。

本当に進んでいるわけではないのに、止まっている感じが少し薄まる。
調べているから、まだ諦めていない。
保存しているから、いつかやる気はある。
ロードマップを見ているから、準備はしている。

聞こえはいい。

でも、それで何が変わるのか。

保存した投稿は、保存しただけでは何も変えない。
見たロードマップは、自分の机の上に勝手に降りてこない。
「いつかやる」は、何もしなければただの保留で終わる。

自分で書いていて耳が痛い。

私はよく、情報を集めることと、始めることを混同する。
準備しているつもりで、現在地を見るのを先延ばしにする。
何から始めるかを探しながら、本当は何を放置しているかを見ない。

「で、何からしたらええねん?」は、たいてい未来の話に聞こえる。

これから何をするか。
どの道を選ぶか。
どのスキルを身につけるか。
どの副業を始めるか。
どの会社に行くか。

でも本当は、未来より先に現在地の話なのかもしれない。

今、何ができていないのか。
今、何を見ないようにしているのか。
今、どこで止まっているのか。
今、何を一歩と呼べばいいのか。

ここが曖昧なままでは、人はたぶんまた止まる。

「まず小さく始めましょう」という言葉は正しい。
正しいけれど、弱い。

小さく始めるとは、何なのか。

求人を一件保存することなのか。
職務経歴書の一行を直すことなのか。
英語を一問解くことなのか。
noteのタイトルだけ残すことなのか。
AIに今の作業を説明することなのか。

そこまで落とさないと、人は動けない。

「とにかく行動」と言われても困る。
何に触ればいいか分からない人に「動け」と言っても、ただ焦るだけだ。

たぶん、問題はそこではない。

最初の一歩が分からないのではなく、何を一歩と呼ぶか決めていないだけ、ということがある。

一歩を大きく見積もりすぎている。

転職なら、応募すること。
副業なら、収益化すること。
英語なら、点数を上げること。
noteなら、記事を公開すること。
AIなら、ちゃんとしたツールを作ること。

そう思っていると、全部重い。
重すぎるから、始まらない。

でも、一歩はもっと小さくていい。

求人を保存したら一歩。
過去の業務を三行書いたら一歩。
英語を一問解いたら一歩。
noteの切り口を一つ残したら一歩。
AIに作業の目的を一行で説明したら一歩。

それを一歩として数えないから、ずっとゼロのままに見える。

人が本当に欲しいのは、立派なロードマップではないのかもしれない。
今日どこに手を置けばいいか、そこだけなのだと思う。

机の上に、書きかけのメモがある。
スマホには、保存した投稿がある。
ブラウザには、開いたままの求人がある。
ノートには、途中で止まったタイトルがある。

そこに、もう入口はある。

ただ、自分がそれを入口として扱っていないだけかもしれない。

何から手をつければいいのか。

そう思った時、私はいつも未来を見にいこうとする。
正解の順番を探す。
失敗しないルートを探す。
遠回りしない方法を探す。

ただ、おそらく最初に見るべきなのはそこではない。

今、自分が何を放置しているのか。
どのファイルを開きっぱなしにしているのか。
どの下書きを閉じたままにしているのか。
どの求人を見なかったことにしているのか。
どの一問から逃げているのか。

そこを見る方が早い。

きれいに言えば、「現在地を確認する」ということになる。
でも現実はもう少し鈍い。

見たくないものを見るだけだ。

自分の足りなさ。
準備不足。
続いていない記録。
書けていない下書き。
応募していない求人。
使えていない時間。

それを見たくないから、何から始めるかを探していることがある。

だから、「何からしたらええのん?」に答えるなら、私はたぶんこう言う。

まず、今すでに放置しているものをひとつ開く。

新しい教材ではなく、買ったままの本。
新しい副業ではなく、途中で止まった下書き。
新しい求人検索ではなく、保存した求人。
新しいAIツールではなく、自分が毎回面倒だと思っている作業。

そこに手を置く。

それで人生が変わるわけではない。
そんな都合のいい話ではない。

ただ、少なくとも「何からしたらいいか分からない」という霧は少し薄くなる。

何から始めるかは、いつも未来に落ちているわけではない。
昨日閉じた画面の中にある。
途中でやめた下書きの中にある。
見なかったことにした現実の中にある。

何からしたら?

その問いは、未来の相談のようで、たぶん現在地の確認だ。

次に進むために必要なのは、完璧な答えではない。
今、自分がどこで止まっているのかを、少しだけ見ることなのだと思う。

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